軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

289.涅い雨

俺の目に映ったのは、想像していたキョクトウとは全く異なる光景だった。

転移して最初に目に入ったのは、涅く染まった木々と地面、そして空から降り注ぐ涅い雨。

次に耳に届いたのは、遠くから聞こえてくる人々の悲鳴だった。

間違いない。

この地では、すでに何か良からぬことが起きている。

「……なんだよ、これ……」

呆然と立ち尽くすハルトさんが、かすれた声でそうつぶやいた。

「ルーナ、ハルトさん! まずは周辺を確認してくれ!」

指示を飛ばしながら、俺自身も【鳥瞰視覚】で周辺を確認する。

空から俯瞰した光景は、ただ一言、『異常』としか言いようがなかった。

空を覆っているのは、暗雲なんて生易しいものじゃない。

まるで曇天に墨汁をぶちまけたように、空一面が濃い黒に染まっていた。

「普通の雨じゃないね、これ」

空を見上げていたシオンがぽつりと呟く。

雨の量は、土砂降りというほどではないが、確かな密度で降り続いている。

本来ならとっくにずぶ濡れになっているはずの服は、重くも冷たくもならない。

涅い雨は、まるで防水服に弾かれるかのように、服の上を滑り落ちていった。

布地を濡らすことも、冷たさを伝えることもない。

それは雨に似ていながら、まったく別の〝何か〟だった。

「……これは、魔力だな」

オリヴァーが手の甲に降りかかる雫を見つめながら、低く言う。

「あぁ。それも、単なる魔力じゃない。――邪神の魔力に、かなり近い」

「「――っ!?」」

俺の言葉に、全員が息を呑んだ。

数か月前、ノヒタント王国の王都でベリアと戦ったときに彼が操っていた、邪神由来の禍々しい魔力と似たものを感じる。

「シオンとオリヴァー、テルシェさんの三人でこの周りの探索をお願いしてもいいか?」

「わかった。行ってくる」

俺の指示を受けて、三人がこの場から離れた。

そのときだった。

「い、いやだ……来ないでっ!」

近くから少女の悲鳴が聞こえてきた。

それを聞いた瞬間、フウカが即座に動いた。

彼女が駆けていった先には、見たことのない怪物がいた。

二足で歩くその怪物は、全身が涅い魔力で形作られており、ゆっくりと少女に手を伸ばしていた。

恐怖で腰が抜けているのか、少女はその場にへたり込み、ただ涙をこぼすことしかできない。

フウカは少女と怪物の間にすっと割って入り、抜刀と同時に怪物の腕を斬り飛ばす。

そのまま返す刀でその首を刎ね、怪物は瞬く間に地に崩れた。

……さすがフウカ。一瞬で仕留めるとは。

彼女の流麗な刀捌きに感心しかけたそのとき――

「っ!」

フウカが少女を脇に抱きかかえ、跳ぶようにして怪物から距離を取った。

直後、斬られたはずの怪物のもう片方の腕が、振り下ろされる。

衝撃で地面がえぐれ、二人がいた場所が無惨に陥没した。

さらに、斬られて宙を舞っていた手と首の断面から、涅い魔力が這うように伸びはじめる。

伸びた魔力は切断面を繋ぎ、怪物の形が何事もなかったかのように元通りになっていく。

(不死身……いや、違う。ヤツの身体が魔力で構成されているなら――)

縮地で化け物との距離を一気に詰める。

出現させたシュヴァルツハーゼの刀身に氣を纏わせて怪物を両断する。

すると、水風船が破裂したかのように、液体のような涅い魔力が辺りにまき散った。

数秒ほど警戒を解かずにいたが、怪物が復活することは無かった。

「ふぅ……」

怪物の消滅を確認してから振り返る。

フウカが助けた少女は、涙を流しながらも感謝の言葉を何度も口にしていた。

そんな少女にカティーナさんとヒューイさんが寄り添って落ち着かせている。

少女から話を聞くのは二人に任せよう。

これからどう動くべきか考えていると、フウカが近づいてきた。

「〔破魔〕を使ったの?」

「いや、普通の氣だ。氣を使えばあの怪物は斃せる」

「そっか。良かった。じゃあ、あいつ等全員斬り殺してくる。この様子だとまだまだたくさん居るだろうから」

そう言うフウカの表情はいつも通りの無表情であったが、その雰囲気は怒気に包まれていて、相当怒っていることが伝わってくる。

「フウカ、気持ちは分かるが少し待ってくれ」

彼女を制止していると、ルーナとハルトさんがやってきた。

「二人ともどうだった?」

俺が二人に問いかけるも、二人とも表情は明るくない。

「悪い。色々試してみたんだが、いつものように異能で確認することができなかった」

「私も同じくです。ピクシーとの繋がりが弱まっているのか、【 感覚接続(センスコネクト) 】ができません」

二人から返ってきた内容は予想通りのものだった。

俺も【鳥瞰視覚】で周囲を確認してみたが、得られる情報は少なかった。

とはいえ俺の【鳥瞰視覚】はあくまで異能で再現したものだ。

オリジナルには敵わない。

ハルトさんならもしかしたらと思ったが、状況は似たようなものだった。

「おそらくはこの雨のせいだろうな。これのせいでこの辺りの魔力が不安定になっている」

「邪神の魔力だったか? 厄介なことこの上ねぇな」

「オルン、あの子から話を聞いたわ」

異能では周辺情報を入手できないことが分かったところで、カティーナさんが声を掛けてきた。

「聞かせてください」

カティーナさん経由で少女の話を聞いた。

少女曰く、少し前に霊山から涅い何かが噴き出して、それが空を覆ったらしい。

その後すぐにこの雨が降り始めて、怪物が徘徊するようになったとのことだ。

「霊山から涅い何かが噴き出した、か。『涅い何か』は邪神の魔力で間違いないだろうが、そもそもどうして霊山からそんなものが噴き出したんだ?」

「それは不思議なことじゃない。霊山は死んだ魔獣が最後に行きつく場所だから」

フウカがいつもの無表情のまま淡々とした口調で、当然のことのように告げた。

「……どういうことだ?」

俺の問いかけにも、彼女の表情は変わらない。

「魔獣が死んだときに出てくる黒い霧みたいなのは、最終的に霊山に集まることになってる」

少しだけ視線を上げて、霊山のある方向に視線を向けながらフウカは続ける。

「それを一年に一回浄化するための儀式が霊舞祭だって、私は教えられた」

あくまで事実を並べるように、静かに言葉を紡ぐ。

それは彼女にとって、幼いころから教えられてきた当たり前のことなのだろう。

「これが邪神の魔力だったのは初耳だけど」

言いながらも、ほんの僅かに目を伏せる。

「そういう、ことか……」

魔獣が死ぬと、基本的に体は黒い霧に変わって、その場には魔石だけが残る。

今にして思えば、あの黒い霧は希釈された邪神の魔力そのものだったということだ。

幽世で《 おとぎ話の勇者(アウグストさん) 》からは 魔獣が邪神によって生み出された尖兵であったと聞いている。

邪神の魔力は〝外の世界の魔力〟に近い。

つまりは人間にとっては有毒だ。

それをどうにかする機構が術理に備わっているのは当然だろう。

「ごめん。オルンも知ってると思ってた。もっと早く伝えておくべきだった」

フウカが謝ってきた。

「……いや、フウカが謝ることじゃない。その結論に至るだけの材料はあった。俺の思考が浅かっただけだ」

だとすると、今の状況は考えている以上に切迫かもしれない。

「今すぐに霊山に向かうぞ」

周辺を探索してもらっていたシオンたちとも合流して、俺たちは霊山へと向かって移動を開始した。