作品タイトル不明
290.幻魔
◇
この国(キョクトウ) の首都は、海から続く平地と、背後にそびえる霊山との間に築かれている。
霊山から流れ出る水が街を巡り、海は外国との交易を支えていると聞いている。
国民の信仰の象徴ともいえる霊山と、生活の糧である海。
その両方に守られながら、この国の中心―― 首都(ハネミヤ) は栄えてきた。
俺たちはそんなハネミヤの郊外、山林にひっそりと佇む神社の跡地に転移してきた。
見上げた空は一面の黒に染まっている。
だが、ハネミヤの反対側に視線を向けると、そこには澄んだ青空が広がっていた。
この黒い空がハネミヤを覆っている、そう考えるのが自然だろう。
厳密には違うが、火山が噴火したときに周囲の空が火山灰で覆われるようなものと言える。
ハネミヤに近づくにつれて、首都から離れようと逃げている人々とすれ違う頻度が増していく。
その最中、二体目の怪物を見つけた。
逃げ惑う人々を追っているようだ。
「これ以上、この国は荒らさせねぇ!」
ハルトさんが声を上げながら、氣を纏わせた拳を叩き込む。
拳を受けた怪物は大きく吹き飛ばされた。
やはり氣による攻撃が有効なようで、怪物は自身の形を保てず、液状の魔力となって地面に広がった。
「……生態としては魔力生命体に近いな」
その様子を見ながら呟くと、隣のシオンが頷く。
「うん。でも、妖精や悪魔みたいな知性は無いように見える。本能だけで動く、獣みたいな魔力生命体って感じかな」
魔力は本来、ただのエネルギーにすぎない。
けれど、まれに自我の芽を持った〝精霊〟が現れることがある。
それが核となり、周囲の魔力を取り込み、やがて知性を持つ存在へと変化することもある。
そうして生まれるのが魔力生命体――その中でも人間に友好的なものは『妖精』、敵対するものは『悪魔』と呼ばれてきた。
だが、今現れているこの怪物は、それらとは少し違う。
精霊と魔力生命体の中間にあるような、知性なき魔力生命体だ。
「知性を持たない魔力生命体か。さしずめ『幻魔』と呼んだところか」
「……なるほど」
シオンが静かに呟いた。
「実体があって、でも確かじゃない。『居る』のに何かが欠けてる感じがする。うん、幻っぽい」
「知性がない分、話の通じる相手でないってのが厄介だな」
◇
それからも俺たちは道中で見かけた幻魔を斃しながら走り続け、ようやくハネミヤに辿り着いた。
ハネミヤの中にいる幻魔の数は想像以上だった。
キョクトウの兵と思われる人たちが、各所で懸命に戦っているが劣勢に見える。
そして、最初に助けた少女が言っていた通り、霊山の中腹から涅い魔力が噴き出し続けている。
黒く濁った空は、今なおその範囲を広げつつあった。
このまま放置すれば、いずれキョクトウ全土を呑み込むだろう。
早めにあの噴出を止める必要がある。
だが、街中で暴れまわっている幻魔を見過ごすこともできない。
「手分けをするぞ。霊山に向かうチームと、ここで幻魔を殲滅するチームだ」
俺の提案に、誰よりも早く動いたのはシオンだった。
「了解! 広域戦闘が得意な私は殲滅チームだね。テルシェ、私が幻魔の動きを止めるから仕留めて!」
「承知いたしました、シオン様」
シオンがテルシェさんに指示を出すとともに魔法を発動する。
冷気の奔流が幻魔たちを包み込んだ。
黒き魔物の表層がたちまち凍りつき、動きを止めた瞬間、テルシェさんの氣を纏った短剣が氷越しに突き刺さる。
「俺たちもやるぞ、ルーナ! とどめは俺が差すから援護を頼む!」
「わかりました!」
続けてオリヴァーとルーナも戦線に加わり、息の合った連携で幻魔を次々と撃破していく。
その様子を見届けたハルトさんが、低く呟いた。
「『俺は霊山に』って言いたいところだが――」
そこまで言って、ハルトさんは拳を握りしめた。
「霊山の方はフウカとオルンが居れば充分だろ。カティ、ヒューイ、幻魔を狩り尽くすぞ。これ以上の死傷者を出させるな!」
「「了解!!」」
その時、フウカが駆けだそうとしたハルトさんに声をかけた。
「ハルト、ナギサと先生は見かけた?」
「……いや、どっちも見てねぇな。というより、ハネミヤに入ってから更に魔力が不安定になったのか、【鳥瞰視覚】自体が使えなくなってる」
「……そう。わかった。――ハルト」
「なんだ?」
「民と街のこと、お願い」
「あぁ。任せとけ、姫様」
それが合図となるように、ハルトさんも戦線に加わる。
「行くぞ、フウカ」
「――うん」
仲間たちに背を預け、俺とフウカは霊山へ向けて駆け出した。
◇
俺たちは道中で遭遇した幻魔を可能な限り斃しながら、全力で駆け続けていた。
それにしても、やはりフウカの戦闘能力の高さには驚かされる。
幻魔を斃すには、氣による攻撃が必要不可欠だ。
そのため、氣を体外に放出するのが苦手なシオンや、氣の操作が未熟なルーナは、テルシェさんやオリヴァーの補佐に回っている。
氣は身体から離れれば離れるほど、操作することが格段に難しくなる。
ゆえに、多くの使い手は身を護るように体表を纏ったり、身体に触れたものへと氣を流し込んだりといった使い方に留まる。
フウカも例外ではなく、刀身に氣を纏わせて戦っている――はずなのだが。
それなのに、彼女は俺と同じくらいの範囲の幻魔を、次々と斬り伏せていく。
俺は〔念動力〕で広域に干渉できるからまだ理屈は通る。
だが、フウカは刀に氣を纏わせるだけの近接戦闘で、それをやってのけている。
しかも、移動のペースが落ちているわけでもない。
【未来視】によって効率良く動けるとはいえ、これほどの速さと精度で動き続けられるのは、彼女自身の圧倒的な身体能力があってこそだろう。
ハネミヤとその周辺を覆っている黒い空も霊山には届いていないのか、いつしか涅い雨は止み、俺たちの上空には青い空が顔をのぞかせていた。
そして、霊山へと続く石畳を駆けていった先――俺たちは、分岐路に差し掛かった。
左手には、堂々たる門構えが見える。
フウカの実家であるシノノメ家の屋敷だ。
その門の前に、一人の男が立っていた。
後頭部で束ねられた黒髪には白いものが目立ち始めていた。
風に揺れるその髪と、歳月を感じさせる落ち着いた佇まいに、俺たちは自然と足を止めた。
彼はただジッと立っているだけだというのに、下手な動きを見せれば即座に斬られてしまうと思わせる異様な雰囲気が嫌でも伝わってくる。
「……先生」
フウカがぽつりと呟く。
その声は静かだったが、わずかに震えているように感じた。
やはり彼がフウカの剣の師匠であるキリュウ・テンドウか。
フウカの声に反応するようにキリュウさんが目を開ける。
そして、彼女を視界に捉えると、穏やかに微笑んだ。
「お久しぶりでございます、 姫(・) 」
彼は敵意を隠すでも、ぶつけるでもない。
ただ、丁寧な物腰でフウカを迎えている。
フウカのまなざしがわずかに揺れる。
けれど、すぐに真っ直ぐな強さが戻ってきた。
「うん。久しぶり。約束通り帰ってきたよ」
キリュウさんが微笑む。
「辛い道のりだったでしょうに、よくぞ戻られました。このような時節ではありますが、大きくなられた貴女を拝見できて、儂は嬉しく思います」
「…………ナギサはどこ? 今のこの状況を ひっくり返す(・・・・・・) なら、あの子の力が必要だってことは先生も分かってるよね?」
「そうですな。ナギサ様の異能があれば、今ハネミヤで暴れている怪物を一掃することも可能でしょう。ですが、彼女に万が一があってはなりません。多くのモノを奪われましたが、あのお方を御守りする 命令(・・) だけは果たさねばなりませんので」
「その命令をしたのは私だよね? なら一時的に撤回する。ここまでナギサを護ってくれたことには感謝するけど、今はあの子の力が必要。だから、あの子の居場所を教えて」
「申し訳ありませんが、その命令を受けることはできませんな」
「………………」
フウカが無言で糾弾するも、それでもキリュウさんは穏やかな表情を崩さない。
「話は平行線だな。フウカ、まずは霊山の噴出口を止めるのが先決だ。二人でどうにかあの人を――」
「――霊山に登られたいのでしたら、儂と戦う必要はありませんよ」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。儂はナギサ様を護るためにここに居る故、霊山に登ろうとする者が居ようとも止めはしません」
キリュウさんはそう言と俺たちに背を向けた。
そのまま門を押し開け、ゆっくりと屋敷の敷地内へと入っていく。
「オルン、先に霊山を登って」
フウカが、キリュウの背を見据えながら口を開く。
「先生が嘘を言っているようには見えなかった。多分ナギサは屋敷の中に軟禁されてる」
フウカの妹分であるナギサ・アサギリの異能は【霊魂操作】。
《 羅刹(スティーグ) 》を始めとした悪魔たちは、魔力濃度が薄かった時から人の身体を依り代にこの世界で存在できていた。
それは【霊魂操作】に依るところが大きい。
彼女の異能は魔力生命体の核である 自我の芽(せいれい) に干渉することができる。
悪魔たちに敵対的な異能の行使をすれば抵抗されるだろうが、本能しか持たない幻魔であれば、大した抵抗受けずに無力化できる可能性が高い。
幻魔が相手となれば、ナギサの存在はジョーカーに成り得る。
「わかった。霊山の件は俺が引き受ける」
「うん。ありがとう。――オルン」
分岐路の右側、天霊神社まで伸びている霊山の参道を進もうとしたところで、フウカから声を掛けられる。
「何だ?」
「私の国のことなのに、大変なことを任せてごめん。前に言ったと思うけど、改めて言う」
フウカは俺を真っすぐ見つめながら、一息置いて口を開いた。
「――私は貴方の剣。キョクトウの一件が無事に片付いたら、私の全てをオルンに捧げる。だから、この国のために力を貸してください」
深々と頭を下げるフウカ。
そんな彼女を見て、俺はつい苦笑をしてしまった。
「深刻に考えすぎだ。これは仲間の悲願なんだ。だったら協力するに決まっているだろ? 俺は見返りなんて求めてないよ。仲間ってそういうものじゃないのか?」
「……そっか」
フウカは短く息を吐くと、顔を上げた。
「それじゃあ――よろしく、オルン」
「あぁ、任せろ。フウカも負けるなよ」
「当然」
軽く手を振って背を向ける。
俺が足を進めたのは、分岐路の右側――天霊神社へと続く霊山の参道だ。
霊山に足を踏み入れた瞬間――周りの雰囲気が変わった。
その雰囲気は少し前まで毎日のように感じていたものに近い。
「……これは、霊山全体が 迷宮化(・・・) しているのか?」
俺の独り言を肯定するように、地面から何体も幻魔が湧いてきた。
分岐路に差し掛かった辺りで涅い雨も止んでいたが、この地に邪神の魔力が溜まっているなら、雨が降っていなくても幻魔が現れることはおかしな話ではないな。
「悪いが、お前らに時間を割いている暇は無いんだ。失せろ」
〔念動力〕で幻魔を上から押し潰す。
ここが迷宮化しているのであれば、単純に参道を道なりに進んでも、山頂を目指しても、目的地に着かない可能性が高い。
(こんなもので俺を足止めできると思われているとはな)
即座にルクレの異能である【魔力追跡】を再現する。
迷宮にはそれを構成するための核となる魔石が存在する。
その迷宮核が迷宮全体に魔力を行き渡らせることで、空間の維持であったり魔獣を生み出したりしている。
【魔力追跡】には、迷宮核が供給している魔力の流れを遡ることができる。
つまりは、初めて踏み込んだ迷宮であろうとも最短ルートを見極めることができる。
霊山が迷宮化しているということは、ここにも迷宮核と同じ働きをするものが存在するはずだ。
状況的に、それがある場所に天霊神社があると考えて良いだろう。
「天霊神社があるのは、……こっちか」
邪魔をしてくる幻魔を殲滅しながら、俺は天霊神社へと駆ける。