軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4 白い影

最初から、実家に頼るつもりなんてなかった。

ただ。

離婚したことを報告したかった。

それだけだったのに。

……泣かない。

だってもう、引き返せない。

屋敷を飛び出すようにして馬車へ乗り込んだ。

すると。

「待て!」

兄の声が響く。

「荷物を下ろせ。後で届けてやるから、手ぶらで帰って、謝罪するんだ!」

……苦笑した。

兄は、私が本当にイベール侯爵家へ戻るのか疑っているのだ。

……当然よね。

離婚届まで出した女が、素直に元の屋敷へ戻ると思えるはずがない。

私は、いつものように穏やかな笑みを貼りつけた。

「ご心配はいりません。他に行く当てもないから、戻ります」

「カミーユに、必ず離婚は取り消して貰うのだぞ」

「ええ。ではお兄様、御機嫌よう」

馬車が静かに動き出す。

私は窓の外を見つめながら、小さく息を吐いた。

誤魔化すことには慣れていた。

苦しくても。

泣きたくても。

カミーユの前で四年間、私はずっと笑ってきたのだから。

妻……いいえ、

“物分かりの良い従者”として。

そうして私は、行き先を告げる。

向かうのは、義妹セシリーの嫁ぎ先――カロライム伯爵領。

翌日。

突然の訪問にもかかわらず、セシリーと伯爵様は私を迎え入れてくれた。

義父母とは入れ違いだったらしい。

「ちょうど今朝、両親は帰ったのよ」

「そうだったのね」

久しぶりの再会に、最初は自然と会話も弾んだ。

「まあ! レリアーナが戻って来たですって? どの顔で……」

セシリーは呆れたように眉を寄せる。

私は紅茶のカップをそっと置き、あの差出人不明の紙を見せた。

「これ、お兄様に見せたの?」

私は首を振った。

「それで、来る前に、神殿で離婚届を出してきたの」

そう。

これで私は、ようやく自由になった。

セシリーなら、この気持ちを分かってくれると思っていた。

けれど――。

「どうして勝手に離婚なんかしたの? 白い結婚なんてイベール侯爵家の恥だわ! レリアーナなんか追い出せばよかったじゃないの! 貴方が女主人なんだから!」

彼女の態度は一変した。

……ああ、分かってもらえなかった。

四年間。

私は何よりもカミーユを優先してきた。

無視されても。

突き放されても。

機嫌が悪くても。

病を抱える彼に逆らうことなど、私には許されなかった。

セシリーだって、その事情を知っていたはずなのに。

「お兄様の病気だって回復したんでしょう? 遠慮なんかいらないわ。きつく叱ってやればよかったのよ! 私なら、レリアーナに汚水を掛けてやったわ! 黙って受け入れるなんて、貴方どうかしてるわ!」

責める言葉が、次々に降ってくる。

私は黙って膝の上で指を握り締めた。

結局、私はどこへ行っても責められるのだ。

夫にも。

家族にも。

友人にも。

「セシリー。私とカミーユの結婚の成り行きは貴方だって知っているじゃない。カミーユの愛する人が戻って、彼は受け入れた。それがすべてなのよ」

やっとの思いでそう告げると、セシリーは苦い顔をした。

「メイベル。そんな弱気で離婚して、貴方これからどうするつもり? うちで面倒は見れないわよ?」

……セシリー

……違うの。

世話になりたいわけじゃない。

ただ少しだけ。

「辛かったわね」と言ってほしかっただけなの。

「貴方の出産のお祝いに来たのよ。可愛い赤子にも会えてうれしかったわ。貴方の世話になる気など無いわ。直ぐにお暇するから、安心して」

そう言って、私はセシリーへ微笑みかけた。

泣きそうな時ほど、私は綺麗に笑える。

「責めているのではないわよ? 離婚は取り消したらどうかしら? レリアーナは両親が追い出すに決まってるわ。大丈夫よ」

「そうね」

私は頷くしかない。

きっと、セシリーが正しい。

お父様も。

お兄様も。

皆、同じことを言う。

我慢しなさい。

戻りなさい。

耐えなさい、と。

……間違っていたのは、私なのだ。

なぜ私は、離婚しようなんて思ってしまったのだろう。

カミーユを愛していた。

どんな形でも、彼を支える覚悟をしたはずなのに。

どうして……

『パパ……』

ふいに、幼い声が耳の奥で響いた。

私はびくりと肩を震わせる。

あの声。

忘れたくても忘れられない。

耳を塞いでも、頭の中で何度も響く。

『パパ……抱っこして』

「やめて」

聞きたくない。

私は、この声から逃げたいのに。

みんな、私に「戻れ」と言う。

──どうして?

「メイベル、大丈夫?」

セシリーの声で、はっと現実に引き戻された。

気づけば、また唇を噛んでいた。

「ちょっと疲れたみたい。休ませてもらっていいかしら?」

「ええ、部屋を用意したから休んでね。きつく言い過ぎたわ。ごめんなさい」

「いいえ、ありがとう……」

微笑んだつもりだった。

けれど、ちゃんと笑えていた自信はない。

部屋へ通され、ベッドへ横になる。

柔らかな寝具に身体を沈めた瞬間、張り詰めていたものが一気に崩れそうになった。

疲れた。

そう思いながら目を閉じかけた。

静寂の中、

ダークブラウンの天井に、白い影が見えた。

ぼんやりした輪郭が、ゆっくり形を成していく。

……小さな女の子。

無邪気に笑いながら、こちらを見下ろしている。

『パパ……この人だれ?』

心臓がぎゅっと締めつけられた。

私は――。

「……私は誰でもない」

「関係ない人……」

そう呟くと、涙が静かに枕へ落ちた。