作品タイトル不明
3 離婚
──ニーナの誕生日パーティの日。
朝から屋敷は喧騒に包まれていた。
指示が飛び交い、靴音が絶えず響くその空間に、私の居場所はない。
私は忙しく立ち回るセバスを呼び止めた。
「部屋に閉じ籠っていると気が滅入るの。しばらく外で過ごすわ」
「外って……どこに行かれるのですか?」
「とりあえず、セシリーを訪ねるわ。赤ちゃんに会いたいの」
そう口にした時だった。
「メイベル! 何をしているんだ。部屋にいるように命じてあったはずだ」
夫の大きな声。
使用人たちの動きがぴたりと止まる。
……これは。
彼は意図している。
私を、皆の前で貶めるために。
これで私は完全に、レリアーナより下の存在として刻まれた。
……けれど、もういい。
一刻も早くここを離れたい。
「申し訳ありません。セバスに用があったので」
「メイドに言い付ければいいだろう」
私はただ静かに頭を下げる。
怒気を含んだ夫の視線が、肌に刺さる。
……ふふ。
思わず、心の中で笑ってしまった。
そんなにも、私の存在が不快なのかしら。
「パパ? この人だれ?」
ああ……また、この声。
「関係ない人だよ。ママの所で待っていなさい」
その一言で、すべてが終わる。
彼はニーナを抱き上げ、迷いなくレリアーナのもとへ向かっていった。
残された私は何事もなかったように、セバスへ向き直った。
「外出の件は、パーティが終わってから、彼に伝えてちょうだい」
すぐには返事が返ってこない。
セバスは何かを考えるように視線を落とした。
私は、無理に微笑みを作る。
「旦那様には余計な心配をかけたくないの。パーティを楽しんで欲しいのよ」
「……承知致しました」
ようやく頷いたその言葉に、安堵する。
――もっとも、カミーユが私のことを心配するはずもないけど。
義父母が戻れば、この侯爵家にはきっと嵐が吹き荒れる。
義父母は間違いなく、私を引き留めるだろう。
だから。
決心が鈍らないよう、私は今のうちに去るのだ。
◇
屋敷を抜け出し、馬車へトランクを積み込ませていた、その時。
「奥様、申し訳ございません」
背後から届いた声。
――分かっている。セバスね。
そして、その謝罪の意味も。
ゆっくりと振り返ると、そこには正装に身を包んだ夫が立っていた。
その美しい姿に今更ながら、私は夫に相応しくないのだと思い知らされる。
きっとこの後、彼は指輪を掲げてレリアーナに求婚する。
そして、ニーナの“父親”になる。
それが、夫の望む形なのだから。
「何か御用ですか?」
「あ……メイベル。セシリーに会いに行くんだって?」
なぜか彼の声は、不安げに揺れている。
「ええ。この機会に思い切って会いに行こうと思います」
「そうか。私も近いうちに会いに行くと伝えて欲しい」
「分かりました」
それ以上、言葉を重ねることはしなかった。
私は真っ直ぐ、馬車へ乗り込む。
扉が閉まる、その刹那――
窓の外に映ったのは、レリアーナとニーナの姿。
――もう、聞きたくない。
あの声を……
「パパ!」
思わず耳を塞ぐ。
やがて、馬車はゆっくりと動き出した。
遠ざかっていく屋敷。
――さようなら。
あの場所に、お飾りの妻だった私はもういない。
◇
神殿で、離縁証明書を二通受け取った。
一通はイベール侯爵家へ届けてもらうよう頼み、寄付金を差し出す。
これで、本当に終わった。
悩んでいたのが嘘みたいに、簡単なことだった。
……次は実家。
離婚の報告を避けることはできない。
気が重いまま馬車に揺られ、久しぶりの屋敷へ向かった。
1時間後。
予想通り。
私の離婚は、家族にとって許されるものではなかった。
「白い婚姻生活による離婚だと?」
居間に響いた父の怒声に、肩がびくりと震える。
長兄のキリウスも、冷たい目で私を見下ろした。
「最初から止めておくべきだったんですよ!」
「あの時、カミーユはまともな思考では無かった。もともとメイベルなど、彼の妹の友人という存在にしか過ぎなかった。愛されるはずもない」
胸が痛む。
分かっていた。
そんなこと、誰より私自身が分かっていた。
「カミーユはお前に出て行くよう指示したのか?」
父の問いに、私は小さく首を振る。
すると父は眉を吊り上げた。
「なら、なぜ早まったマネをした! 子連れのレリアーナなど愛人に据えて置けば済むことだ。早く戻りなさい!」
思わず体が震えた。
あの屋敷へ戻れと?
あの息苦しい場所へ?
「でも、もう離婚してしまったのですから……」
おずおずと母が口を挟む。
けれど父は、遮るように激しくテーブルを叩いた。
「メイベル、お前には尊厳がないのか! 負け犬のように実家に戻るなど、恥を知れ!」
私はきつく唇を噛む。
それでも。
「お父さま、戻っても、待っているのは監禁生活です。決心して逃げて来たんです。どうか分かって下さい」
必死に訴えた。
けれど母は俯いたままで。
父と兄は私を睨むだけだった。
何を言っても無駄。
「分かりました。戻ります」
「それでいい」
父は安堵したように息を吐き、兄は鼻を鳴らす。
「ふん、さっさと戻れ!」
私は静かに立ち上がる。
口の中は鉄の味がした。