軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第10話 セシリア

窓の外で、私が植えた花が咲いていた。

目を開けて、最初に見えたのがそれだった。来客用別邸の寝室の窓から、庭園の一角が見える。半年前、荒れた花壇の土を入れ替えて、石組みの隙間の雑草を抜いて、春に咲く品種の苗を植えた。

白い花が三輪、朝日の中で揺れている。

小さな花だ。侯爵家の庭に比べれば、ほんの一角にすぎない。けれど、私が選んで、私が植えて、私が水を遣った花だ。

今日で、待婚期間が終わる。

離縁が成立してから、一年。

寝台から起き上がり、洗面を済ませ、髪を整えた。鏡の中の自分は、一年前と少し変わっている。頬の肉が戻った。目の下の隈が消えた。──笑い方が、違う。侯爵夫人だった頃の、作り上げた微笑みではない。もっと雑で、もっと小さな笑い方を覚えた。

マリアが朝食を運んできた。

「おはようございます、お嬢様。今日はとてもいいお天気ですね」

「そうね」

マリアがにこにこしている。何か知っているような顔だ。この子は勘が良い。

朝食を済ませ、いつものように書類鞄を持って別邸を出た。

子爵の居城に向かう。交易顧問としての半年間で、この道は体が覚えてしまった。門番が会釈をくれる。廊下で家臣とすれ違えば、自然に挨拶が返ってくる。あの最初の会議で私を軽視していた文官は、今では報告書を私のところに持ってくる常連だ。

──ここが、私の居場所になった。

部屋ではなく。肩書きではなく。仕事と、人と、信頼で作った、私の場所。

執務室の扉を叩いた。

「入れ」

いつもの声。低く、短く。

扉を開けた。

ディートリヒが机に向かっていた。いつもの執務室。いつもの椅子。窓から差し込む朝の光。書類の山。インク壺。──何も特別なものはない。

けれど、今日だけは空気が違った。

ディートリヒが立ち上がった。書類を置いて、こちらを向いた。

「……今日で、待婚期間が終わる」

「はい」

「あの日の答えを、聞かせてほしい」

あの日。春の舞踏会の夜。庭園のテラスで手を取られた夜。「待ってほしい」と言った私に、「待つ」と答えてくれた夜。

半年間。

この人は本当に待ってくれた。催促もせず、態度も変えず、ただいつも通り隣にいた。暖炉に薪を足し、報告書に付箋を貼り、私の椅子を引き、深夜に茶を持ってきた。──全部、自分の手で。使用人に頼まず。

半年間、私はこの人を見ていた。

優しさが本物かどうか、確かめるように。礼節の裏に何もない空洞がないか、探るように。六年間の傷が、そうさせた。

──何もなかった。空洞は、なかった。

この人の優しさには裏がない。「見事だ」と言えば本当に見事だと思っている。「美味い」と言えば本当に美味い。薪を足すのは部屋が寒いから。それだけだ。

それだけのことが、どれほど得難いか。六年かけて、私は知った。

「一つだけ、お願いがあります」

「何でも」

迷わなかった。ディートリヒは「何でも」と言った。条件を確認せず、内容を聞かず。この人らしい、不用意なほどの率直さ。

「私の名前を、呼んでください」

ディートリヒの目が、わずかに見開かれた。

沈黙が落ちた。

短い沈黙だった。けれどその間に、ディートリヒの喉が一度動いたのが見えた。息を吸って、吐いて──声を作っている。この人にとって、名前を呼ぶということは、そういう行為なのだ。覚悟のいる行為なのだ。

「……セシリア」

低い声だった。

短い、四つの音。

それだけで、壊れた。

六年間かけて積み上げた壁が。一話から、ずっと堪えてきたものが。瞬きでは抑えきれない量の涙が、堰を切って溢れた。

声が出た。

声を上げて、泣いた。

自分でも止められなかった。止めようとも思わなかった。六年間、人前でしか呼ばれなかった名前。社交の場で、形式として、義務として発音されるだけの名前。二人きりの部屋で、ただ私を呼んでほしかった。私がここにいることを、名前で認めてほしかった。

たった一言で、満たされた。

涙で前が見えなかった。ディートリヒの顔がぼやけている。けれど、手だけはわかった。大きな手が伸びて、私の両手を包んだ。剣胼胝のある、温かい掌。

「はい」

泣きながら、声を絞り出した。

「あなたの隣に、立ちます」

ディートリヒの手が、ほんの一瞬強く握られた。

それから、額に唇が触れた。

軽い口づけ。乾いた唇の温度。目を閉じると、涙がまた溢れた。

──ああ、泣いている。こんなに泣くのは、いつぶりだろう。たぶん、初めてだ。こんなふうに、嬉しくて泣くのは。

どれくらい泣いたかわからない。

涙が止まった後、私は自分の顔の惨状に気づいて、慌てて袖で拭った。侯爵夫人だった頃なら絶対にしない所作だ。

ディートリヒが黙って手巾を差し出した。

「……ありがとうございます」

「ああ」

受け取って、目元を押さえた。ディートリヒは何も言わない。泣き顔を見られた恥ずかしさについて、何か言ってくれた方が楽なのに。この人は本当に、必要なこと以外は言わない。

「あの──もう一つ、お願いしてもいいですか」

「何だ」

「これからは、この領地の庭を正式に任せていただけますか」

ディートリヒが、少しだけ目を細めた。

あの控えめな笑い方。口角だけが持ち上がる、不器用な笑み。

「……庭だけでなく、すべてを」

耳まで赤くなっているのが、自分でわかった。

風が冷たくなった。

十月の庭園は、色を失いかけている。

かつてこの場所には、紫と白の花が整然と並んでいた。石組みの小道が花壇の間を巡り、季節ごとに違う花が咲いた。誰が設計し、誰が手入れしていたか──庭師の老フリッツは知っている。だがフリッツに設計はできない。鋏を入れることしかできない。指示を出す人間が、もういない。

花壇の縁が崩れている。雑草が伸び放題で、石組みの隙間を浸食している。紫の花はとうに枯れた。白い花も、夏を越せなかった。

俺は庭に立っていた。

一年前、この庭を窓から見下ろしたことがある。あの日、妻が去った後の空室で。あの時は、花壇の縁がわずかに崩れ始めていただけだった。一年経った今、庭は形を失っていた。

──俺はこの庭を、美しいと思ったことがあっただろうか。

なかった。

妻がいた六年間、この庭を一度も「見た」ことがなかった。窓の外にあることは知っていた。妻が手入れしていることも知っていた。だが、立ち止まって、花の色を見て、配置を見て、そこに注がれた時間と労力を想像したことは──一度もなかった。

「……あの庭は、美しかった」

声に出していた。

誰もいない庭で、一人で。

美しかったのだ。妻がいた頃のこの庭は。

それを俺は、妻がいなくなってから初めて知った。

風が吹いた。枯れた花壇の上を、乾いた葉が転がっていった。

ブルクハルト子爵領の庭園に、新しい花壇ができていた。

紫と白。それから、黄色と薄紅。侯爵家の庭より小さいが、色の配置に迷いがない。石組みの小道が花壇の間を縫い、季節の花が順に咲くように設計されている。

その花壇の前に、一人の女が膝をついていた。

土まみれの手袋。作業着の裾が泥で汚れている。髪は簡単にまとめただけで、風に乱れている。侯爵夫人だった頃の姿とは似ても似つかない。

けれど、花を植えるその手つきは丁寧で、迷いがなかった。

居城の二階、執務室の窓から、ディートリヒがその姿を見ていた。

書類を持ったまま、窓辺に立ち尽くしている。

横で、クルトが控えめに咳払いをした。

「子爵様、あの顔は……」

「うるさい」

短く返して、ディートリヒは窓に目を戻した。

庭園では、セシリアが植えたばかりの苗に水を遣っていた。立ち上がり、泥を払い、花壇を見渡して──小さく、笑った。

誰に見せるでもない、ただの笑み。

春の陽が、新しい庭を照らしていた。