軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

296 蝿の王(3)

ジュエの握る 錫杖(スタッフ) から洪水のように溢れ出た金色の光の粉が、広間に集められていた負傷者たちを次々と癒していく。

それは正に、聖女と呼ばれたジュエの先祖サリーによる『神の奇跡』とまで言われた伝説的な回復魔法そのものだ。

「おぉ……聖女様……」

「何という…………本物だ……」

「まさに奇跡……」

絶望的な状況下で見るそのあまりに神々しい光景に、傷を癒やされた聖騎士や僧侶の中にはジュエに向かって膝を折り、伏し拝むような格好を取る者までいる。

ジュエは掲げたスタッフをこんっ、と地について視線を集めた。

「……皆様、休んでいる暇はありません。何とか 苦難の神殿(この場) を立て直し、時を稼いでください。私はこの後、祈りの神殿の立て直しに向かいます。あちらももう、いつ戦線が崩壊してもおかしくない状況のはずですので」

ジュエが厳しい顔でそう言うと、一同は顔を歪めた。

救世主の如く現れた『聖女』がこの場を離れると聞いて、親に置き去りにされる幼子のような心境になっている。

ジュエはその心情を的確に察して、訥々と皆に言葉を掛けた。

「祈りの神殿を立て直した後……私は王と相対する王国騎士団のフォローに入ります。ただ耐え忍んでいては、おそらく応援が来るまで持ちません」

ジュエが真っ直ぐに視線を塔へと向けると、皆ははっとしたように顔を上げた。

確かにジュエの圧倒的な聖魔法の行使によって一時的に戦線は持ち直すだろう。

だがジュエの魔力も無限ではない。

蝿の王の毒攻撃がいつまで続くとも分からない今、応援部隊が到着するまで皆が持ち堪えられるとは限らないのだ。

顔を上げた皆を勇気づけるように、ジュエは力に満ち溢れた目で言葉を続けた。

「未来を勝ち取るには攻めに出るしかありません。私が王国騎士団と共に……アレンさんと共に、必ずや蝿の王を討ち取ってみせます……! ですので……ここは皆さんの力で死守してください。皆で生き残りましょう!」

圧倒的な物量と毒の散布によってじりじりとすり潰されるような展開に絶望しかかっていた皆の目に、小さな小さな希望の光が再び宿る。

それを確認し、ジュエは泰然と踵を返した。

「祈りの神殿へと参ります。お父様、レベランス家の騎士と共に先導を。道を切り拓いてください」

「ジュエ……お前……」

「どうかなさいましたか?」

レベランス侯爵は言いたい事を言葉にできず首を振った。

「……いや、何でもねぇ。道は俺が切り拓いてやる。任せとけ」

……まだまだお子様だと、そのはずだと頭から信じていた娘が――

その凄みのある横顔を見て、レベランス侯爵は嬉しそうに、だがほんの少しだけ寂しそうに唇の端を上げた。

祈りの神殿を広範な聖魔法で立て直したジュエは、塔へと続く隠し通路をセバスと二人歩いていた。

アレンがジュエを救出する際に通ったものと同じ通路だ。

駆けつけたレベランス家の騎士五十余名はレベランス侯爵のいわば親衛隊であり、侯爵の側を離れられない。

かと言って、皆で塔へと入っても王を相手にできる事は何もないし、この人数の精鋭を遊ばせておくには各神殿の戦況は厳しすぎた。

それらを考慮して侯爵はジュエと一旦別れて、両神殿の戦線を支えるフォローへと当たっている。

通路を真っ直ぐに歩きながら、ジュエは取り留めもなく反芻していた。

アレンが、罠を承知でこの聖地の塔へと飛び込んできてからの事を。

――アレンさん。貴方は理解していますか?

『待たせたな、ジュエ』

罠である事を知りながら、まるで散歩でもしているかのように堂々と部屋に入り、そう言ってくれた時……私の胸がどれほど締め付けられたかを。

人質を取られ、武器を奪われてなお、すぐに助けるからちょっと待ってろと、力強く断言してくれた時……私の心がどれほど震えたかを。

ねぇアレンさん。私は、分からないのです。

私は自分でも不思議になるほど、アレンさんが助けに来てくれると信じていました。

どんなに絶望的な状況でも貴方ならきっと覆し、必ず助け出してくれると。

……貴方へのこの信頼は、本当に皆が言うように『恋』などという浮ついた感情なのでしょうか。

アレンさん。貴方は覚えていますか?

初めて教室で出会った日の事を。

民を守る貴族としての覚悟を、貴族らしくもなく率直に問うたライオさんに、貴方は初対面の私たちの面前でこう言い切りました。

『――俺が守りたいのは、俺が守りたいものだけ――』

あの時の、一見すると自己中心的な言葉には、信じられない程の覚悟が宿っているように、私には感じられたのですよ。

……私の胸には、出会ったあの日からずっと、不思議な予感めいたものが渦巻いていますよ、アレンさん。

貴方はどうですか?

私は……貴方の守りたいものになりましたか?

それとも、私がリーナさんを庇ったから、一緒に助けたに過ぎないのでしょうか?

アレンさん。貴方は信じられない程のスタミナで王の眷属達を屠っている際、一瞬だけ心を乱しましたね。

あの報いを受けて当然の、仲間に見捨てられた瀕死の二人を守りきれなくなったとき――

顔を真っ白に染めて、変わらぬ無表情で剣を振るう貴方は、一体何にあれほど怒っていたのですか?

まさか、あの二人を護れなかった自分に?

貴方はなぜ、そんなふうに思うのですか。

ねぇアレンさん。巻き込んで済まなかっただなんて、悲しい事は言わないでください。

貴方こそが、何の落ち度もないのに巻き込まれた被害者ではないですか。

貴方はその両腕で、どれほどのものを抱えているのですか?

誰からも、何の見返りも求めずに、一体何を護ろうとしているのですか?

貴方の事は、誰が護ってくれるというのですか?

コツコツと塔内部の階段を屋上に向かって上るジュエの目に、ふとヴァニッシュの像が目に入る。

それは自分が先刻まで囚われていた広間に設置されている像で、相も変わらずどこか悲哀に満ちた顔で鎮座している。

だが――

ジュエは、ふっと笑みを浮かべた。

「……ねぇアレンさん。私は――」

ジュエが何事かを呟いたような気がして振り返ったセバスが、その目を驚愕に見開く。

「……お……お嬢様……チョーカーが……!」

ジュエがセバスの横を凄絶としか言いようのない笑みを浮かべたまま通り過ぎ、屋上へと続くドアを開ける。

なぜか、ヴァニッシュの像が先程までと違い薄く微笑んでいるように、ジュエには思えた。

「ちぃっ! ダメです、やっぱり奴は完全に俺の風魔法の間合いを見切ってる! 神殿の方は大丈夫ですか?!」

「いいからてめぇは黙って魔力分解に集中してろ! 解毒薬はもう無ぇぞ!」

そう何度もチャンスは無いだろうとは思っていたが……。

やはり蝿の王の対応力は厄介極まりなかった。

あの後、何度かチャンスを見て王を空から引きずり下ろそうとチャレンジしたのだが、上手く躱されその度に少しずつ間合いを測られた。

もちろんその間に何度か反撃も受けたのだが、これは師匠やダンテさんが危なげなく弾いてくれた。

そうしてしばらく 膠着(こうちゃく) 状態が続いた後、ベルゼバブルは俺の風魔法の間合いの外をゆっくりと旋回しながら、紫色の毒泡を降らせ始めた。

師匠達騎士団の三人は毒に対する特殊な訓練を受けているので魔力分解の能力が俺より遥かに高く、それほど活動に支障はないようだ。

だが仮団員の俺はまだそうした特殊訓練を受けていない。

索敵魔法も全て停止し、魔力分解に専念して何とかぎりぎりで毒に拮抗できるレベルだ。

かと言って、俺達が塔の内部などに隠れでもしたら、せっかくこちらに集中している王のヘイトが神殿の方へと向かいかねない。

ジュエの魔封じの錠さえ外れればまだ王に有効なカードはあるが、どこを探しても鍵はなかったしジュエにこちらに来るよう伝える術もない。

少しずつ毒が体の感覚を蝕んでいる気がして焦りは募るが……今は耐えるしかない――

そう思って唇を噛んでいると、棟内と屋上を繋ぐドアが突然がちゃりと開いた。

「お待たせしましたアレンさん。準備はできています。さぁ、王を討ちましょう!」

……さすがはジュエだな……。

この言葉と迷いのない明るい声を聞けば見なくても分かる!

俺のやりたい事を予想した上で、何とか魔封じの錠を外して駆けつけてくれたのだろう。

「待ってたぞジュエ! 皆さん準備はいいですね? 決めにいきますよ!」

すかさずジュエが解毒魔法を掛けてくれたのを契機に、俺は全身全霊を込めた風魔法を発動し、直上を飛ぶ王へと伸ばした。

降り注ぐ紫の泡が風によって反転し、王に向かって吹き上がっていく。

と同時に、ジュエがスタッフを真っ直ぐに俺へと差し向けて 支援(バフ) 魔法を発動する。

支援魔法は取り扱いが難しい。

上手く使えば魔力を節約したり威力を高めたりする事が可能な反面、普段体内で魔力を練り上げている感覚が使えなくなるからだ。

高いレベルで繊細な制御をしている者ほど、違和感は大きくなるだろう。

だが、もちろん俺はジュエのそのロマン溢れる魔法と連携する訓練を魔法研で飽きるほどやっている。

ジュエのサポートを受けた俺の風は、ぐんと威力を増した。

だが――

何かを感じ取ったのか、これまで間合いの外へひらりと躱すだけだった蝿の王は俺の風から逃れるべく、真っ直ぐに上方へと逃亡を始めた。

「ちぃぃいいいっ!」

何とか喰らいつくように、王に向かって必死に風魔法を伸ばした次の瞬間――

俺の心臓はどくりと跳ねた。

なっ――

ジュエの支援魔法により、全身の魔力がずるりと抜け落ちたかと錯覚するほどの猛烈な魔力が俺の身体から溢れ出す――