軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

295 蝿の王(2)

「――蝿の王よ! やはりお前は! 風魔法で揚力を増幅しながら飛んでいる!」

俺は蝿の王の頭上で渦巻いている空気の流れを、風魔法で強引に減速させた。

揚力を失った蝿の王が、塔の屋上で待機していた俺たちの方へ真っ逆さまに堕ちてくる。

俺が塔で眷属相手にまるで単純作業でもこなしているかのように無双できたのは、これが蝿の王を討伐する際の鍵になると思い眷属たちを相手に練習していたからだ。

剣を振るう直前に風魔法で蝿達の揚力を 抜(・) く(・) コツを掴むと、眷属達を造作もなく切り捨てることができた。

だが――

「ぐぉおおおおっ! は、 翅(はね) を優先的に狙ってください!」

俺の苦悶の声を聞いて、キアナさんが王の翅に矢を撃ち込んでいく。

これも予想はしていたがベルゼバブルは扱える魔力量が桁違いで、俺が強引に奪い去った制御をとんでもない魔力量ですぐさま上書きしにきた。

凄まじい連射速度で正確無比な矢を撃ち込んでいくキアナさんの強弓の援護を受けながら、俺は逆に風の渦を強くしたり、乱したり、はたまた再度止めたりをして、何とか飛行阻害を続ける。

ふらふらと上がり下がりを繰り返していた蝿の王が、俺達に向かって小規模な水弾をメチャクチャに降らせてくる。

だがその魔法は、『守り』を受け持っている師匠が危なげなく弾いていく。

ついに蝿の王が塔の側壁に激突し、そのまま塔の前へと墜落する。

魔力を静かに練り上げていたダンテさんが間髪入れずに塔の屋上から飛び降り、大剣による渾身の一撃を蝿の王に振り下ろそうとした瞬間――

地に足をついた蝿の王は体勢を立て直し、途轍もない威力の水弾を信じがたい速度で構築してダンテさんに向かって射出した。

「ぬぅぅぅううんっっ!!!」

空中で逃げ場のないダンテさんが大剣を横にして剣の腹で水弾を受ける。

「肩を貸せダンテ!」

守りを受け持っていたはずの師匠がいつの間にか塔から飛び降り、ダンテさんの肩を踏み越えるようにして蝿の王の翅へと狙いを定めて襲い掛かる。

だが蝿の王は右前脚を師匠に向かって突っ張り、翅を庇った。

「ちぃぃっ!!」

距離を取られた師匠が仕方なく狙いを翅から右前脚に変えて、これを一振りで切り飛ばす。

脚一本と引き換えに距離を取った蝿の王は地をバウンドするように飛び、追撃を試みる師匠から逃れて空へと舞い上がった。

そのままぐんぐんと高度を上げて俺の風魔法の射程を完全に外れたところでホバリングし、こちらに体を正対させる。

その頃には師匠とダンテさんは塔の屋上へと戻っており、俺を中心に据えた初期の陣形を組み直している。

「大丈夫か、ダンテ」

魔法は何とか逸らして直撃は回避したものの、勢い余って塔に激突したダンテさんは頷いた。

「身体は問題ありません。が……すみません、しくじりました」

ダンテさんが苦い顔でそう言うと、師匠は首を振った。

「いや、ダンテの飛び出しのタイミングは完璧だった。あの速度であれだけの魔法を構築するたぁな。おそらくカウンターを狙ってたんだろうよ。だが……ありゃ~もうしばらく降りてこねぇぞ」

蝿の王ベルゼバブルは、先ほどまでくすんだ茶色だった目を真っ赤に光らせ、俺達へ……特に俺へと、はっきりと憎悪を向けている。

「ふむ。あの距離で上を取られたら流石に弓ではどうしようもない。……怒りに任せて突っ込んできてくれれば助かったが、やはりそれほど甘くはないな」

キアナさんが構えていた弓を下ろし、厳しい目で空を睨みつける。

「……そうですね。ですがいくらあいつでも初っ端や今ダンテさんに放ったような大魔法など、そうそう連発はできないはずです。それにキアナさんが翅を削ってくれたおかげで、随分と飛びづらそうにもしています。何より――」

俺は塔の屋上から二つの神殿へと意識を向けた。

『す、すげぇ……あの蝿の王相手に一歩も引けをとってねぇ』

『……あれが王国の最終兵器、ユグリア王国騎士団ですか……これなら……』

『あぁ……何とかやれるかもしれない!』

皆が口々に発する前向きな声を風が運んでくる。

「――皆の目に光が戻りました」

初っ端に蝿の王に大魔法をかまされて完全に浮足立っていた聖騎士と僧侶たちは、俺たちが一発やり返した事でその目に希望を宿した。

「あっはっはっ! 伝説の魔物をいきなりあんなにカンカンに怒らせるだなんてね! アレン・ロヴェーヌにかかれば蝿の王ベルゼバブルも恐るるに足らずだね!」

『あ、あの化け物を……恐るるに足らず?』

「あ~あ、今のはデューさんのチョンボだね。最近ずっと頭が痛えって言ってたし、いつもより動きが悪い。デューさんの二日酔いが覚めたら楽勝だと思うけど、しょうがないからそれまでは僕らで頑張ろう! ぷっ!」

『こ、この状況で二日酔いだと?!』

……すかさずパッチさんとジャスティンさんが、いい加減な煽り文句で皆を鼓舞する。

もちろん、王が警戒して降りてくることがなければ皆も随分戦い易くなるだろう。

直接攻撃はもちろん、魔法による攻撃もこれだけ距離があれば随分と威力が落ちるはずだ。

「……ベルゼバブルは完全に私たちに矛先を向けましたね。狙い通り、このまま暫く我慢比べ……ですかね、デューさん?」

「…………だといいがな」

ダンテさんの問いに、師匠は厳しい顔で空を睨みながら答えた。

ココと共に、レベランス家直轄の最側近の騎士五十余名とセバスを連れて駆け付けたレベランス侯爵は、聖地の空を見上げて思わず息を呑んだ。

蝿の王を討伐するために必要な遠距離攻撃用の物資の調達は部下に任せ、自分は精鋭を連れて先に駆け付けた格好だ。

予想していた通り、聖地の空は蝿の王の眷属が覆い尽くしている。

「……なんだ、あの泡は?」

そして聖地上空では中央にある生誕の塔を中心に伝説の蝿の王ベルゼバブルが旋回しており、細かい紫の泡のような魔法を雨のように際限なく降り注いでいる。

「あれは……! ……古代都市ルビカを滅ぼしたのは、やっぱりベルゼバブルだったんだ……」

ここまで一行を先導してきたココが、目を見開いて呟くように口にする。

「ルビカ? その昔サン・アンゴル山脈のどこかにあったっていう伝説の城砦都市国家か? 栄華を極めていたが、なぜか一夜にして滅んだっていう」

レベランス侯爵の問いに、ココははっきりと頷いた。

「カナルディアの記録にルビカと思われる古代遺跡を調査した記録が残ってる。調査の結果、上空から広範に毒が撒かれた可能性が高いって。多分……あの泡がそれ」

ココの説明にレベランス侯爵は首を傾げた。

「ルビカの遺跡だぁ? んなもんが発見されてたら俺が知らねぇ訳ねぇと思うが」

ココは気まずそうに俯いた。

「それは…… 多分、入山禁止指定されている区域を勝手に調査したから、公表できなかったんだと思う」

サン・アンゴル山脈に限らず、スタンピードなどの魔物災害を誘引する危険が高い場所などに立入禁止の措置が取られるケースは儘ある。

これを破ると何千、時には何万もの人命を危険にさらす可能性があるので、結構な重罪となる。

その昔、魔物調査の専門家として宮中伯爵家の位にあったカナルディア家が失脚したのも、こうした違法調査を政敵に暴露された結果だ。

「……古代都市ルビカの発見となると途轍もない名誉と実績になります。場合によってはカナルディア家の再興もあり得たでしょう。なぜ正式に許可をとって再調査をしなかったのでしょうか?」

セバスの疑問にココは首を傾げた。

「……さぁ。大規模な再調査は危険だと思ったのかもしれないし、ただ知りたい事は知れたから満足したのかもしれない。調査記録以外は何も残ってなかったから、多分後者かな」

あっさりとそんな事を言うココに、レベランス侯爵とセバスは呆れた。

一行を先導してきたココは、そこでぴたりと歩みを止めて振り返った。

「さらに古い時代には蝿の王はベルゼブブと呼ばれていた形跡もある。だから古代人は、ベルゼバブルのあの魔法を知っていたのかもしれない。けど……僕が知る限り、あの毒泡魔法によって滅ぼされた街の記録は一つもない。ただ珍しい特異種ってだけかもしれないけど……」

レベランス侯爵は、ココが言いたい事を察した。

「――あの魔法を見て生き残った者はいない。その可能性があるってことか」

ココは頷いた。

「少なくとも、侯爵は離れて待機していた方がいいと思う。万が一、ジュエちゃんと侯爵の二人共にもしもの事があったら――」

侯爵は手を挙げてココの言葉の先を制した。

「言いてえ事は分かるが、これでおめおめと逃げ帰ってみろ。 妻(ドリー) にぶっ殺されちまう。もちろん自分大事で娘を見殺しにした俺に、この先レベランス地方を纏めることなんてできねぇだろうよ」

侯爵は一切迷うことなく決断を下し、腹から声を出した。

「鬼門が見えたぞお前ら! 覚悟はいいか!? 中央にある生誕の塔は、どうやら蝿の王と王国騎士団が膠着状態だ! 近づくなよ! まずはジュエを探すぞ!」

「「はっ!」」

聖地内部へと入ったレベランス侯爵達は、捜索するまでもなくすぐにジュエを発見した。

苦難の神殿の一画でレベランス家と繋がりのある聖騎士や僧侶を励ましながら、粗末な衣服を身に纏った子供を守るように自らも棍棒を振るっている。

「ジュエっ!」

「ジュエリー様!」

ジュエの首には貞節のチョーカーが、そして第三軍団の黒いマントを羽織っているものの、その身には血に染まった薄衣一枚だけを纏っている。

その姿が、聖アガーテによるハイドランジ家創生の伝説に出てくる天女の 羽衣(はごろも) になぞらえられている事は明白だ。

ドゥリトルの狙いが何だったのか、侯爵には手に取るように分かった。

侯爵は顔を悲痛に歪めながら娘に駆け寄って、その身を抱き寄せた。

「お父様……お待ちしていました。魔導カッターはお持ちですか?」

ジュエは焦りを感じさせる声音で、開口一番そう言った。それはそうだろう。

首元にナイフを当てられて、平然としていられる者はいまい。

「すまねぇ……奴のバカさ加減を見誤った俺の責任だ。……ドゥリトルの野郎はどこだ? 俺がこの手でぶっ殺してやる!」

侯爵が怒髪天をつく勢いでそう言うと、ジュエは首を振った。

「あの方はコルナール枢機卿に唆されて、利用されていたようです。最後はあっさりと切り捨てられ、天に還りました。……私の方こそ、無責任な行動を取りました。お叱りは後でゆっくり受けますが、今はそれどころではありません。対魔道具用の魔導カッターはお持ちですか?」

ジュエが焦りを感じさせる声で重ねてそう言うと、侯爵は戸惑いながらも頷いた。

「え、あぁ……もちろん持ってきている。だが……いくら『誓い』が発動してないからといって、流石にこんな戦場の真っ只中でそのふざけたチョーカーを外すのは危険すぎる。後で外してやるからな」

「チョーカーは今はこのままで構いません。それよりも早く……早くこの魔封じの錠を外してくださいっ」

ジュエが切迫感のある声でそう言うと、侯爵とセバスは顔を見合わせた。

「……魔封じの錠……? まさかお嬢様、まだご自身でお戦いになるおつもりですか……? ここから先は我々が、何としてもお嬢様の事をお守り致しますが」

だがジュエは首を振って、空をゆっくりと旋回する蝿の王を睨みつけた。

「休んでいる暇などありません。ベルゼバブルが先刻より降らせているあの泡のような魔法。あれが非常に厄介な毒を含み、ほとんどの者は魔力分解が追いついていません。幸い、僧侶が数百名居ますので何とか戦線は維持できていますが、解毒魔法の連続行使によって僧侶達の魔力が恐ろしい速度で枯渇に向かっています。体に毒を付着させた眷属達が飛び回るので、一帯の毒の濃度は濃くなる一方です。このままでは……ほとんどの者が数十分で戦闘不能になり、眷属達の餌食となるでしょう」

「す、数十分だと!?」

侯爵達は仰天した。

ベルゼバブルを討つための追加物資など到底望めぬ、絶望的なタイムスケールだ。

ジュエがはっきりと頷くのを見た侯爵はセバスから魔導カッターを受け取り、自らその錠を切断してやった。

「ありがとうございます。私の 錫杖(スタッフ) は……さすがにありませんね。今だけで結構です。その レベランス家当主(お父様) のスタッフをお貸しください。お父様はどちらかというと剣の方がお得意でしょう」

ジュエは返事を待たずに父の腰からスタッフを引き抜いた。

そして、毒の治療を待つ者達が集められている広間の中心まで悠然と歩みながら、呼吸を整える。

溜まりに溜まった想いを溢れさせるように――

強い光を目に宿したジュエは、レベランス家に伝わる聖女サリーのスタッフを流麗な所作でシャラランと廻し、そして高々と掲げてから古代ラヴァンドラ語で歌うように呪文を唱えた。

スタッフから溢れ出た金色の光が、紫の瘴気に染まった広間を覆い尽くす――