作品タイトル不明
神の奇跡の生き証人 中編
それは、王宮でのお茶会が終わると知らされていたよりもずいぶん早い時間だった。
大きな音を立てて扉が開いたと思ったら、最近ではすっかりなりを潜めていたはずの駆け足で、娘が家に飛び込んできたのだ。
「母さま!」
「……ミレイユ? どうしたの?」
子供たちが二人とも出かけたあと、家に一人で留守番しながら針仕事をしていたジゼルは、娘のミレイユの様子に、珍しく驚きも露わな様子で立ち上がった。
「ええと、ええと……母さま、明日は武闘会に行くわよね?」
「ええ。陛下より直々にご招待されたのだから、行かなければいけないわね」
正確に言えば、王宮魔術師長夫妻として招待を受けている。
シリルもここ最近、立太子式典のために城に詰めていたが、今晩は明日の用意のために一時帰宅が許されたと連絡が来ていた。明日は、夫婦揃っての公式行事参加となっているはずだ。
子供たちは、バゼーヌの一族として、二人ともシリルの両親や従兄達と一緒に見に行くことが決まっている。
それを改めて娘に問われ、首を傾げたジゼルは、娘の表情を見て、気がついた。
「……なにかいいことでもあったの?」
あきらかに、こらえきれない感情が表情に表れている、笑顔の娘にそう尋ねると、くふくふと、常にない笑いが口元から零れていた。
「あのね、あのね……」
もったいぶっていた娘がようやく口を開いたその時、先程よりさらに力強く開かれた扉が、轟音を響かせた。
「母さん! おじさんが来てる!」
「あああああ! フェリクスのばかぁ! 今、私が母さまに言おうとしてたのにっ!」
ジゼルは、ひとまずミレイユのフェリクスに対する言葉についてたしなめながら、子供達に告げられた言葉を改めて聞き直した。
「……おじさん?」
この二人がおじさんと呼んでいた存在はジゼルが覚えている限り二人いる。もちろんそれはシリルの兄二人である。
一人は現バゼーヌ公爵の長兄。もう一人は、外交官として各国を渡り歩いたのち、隣国の王女に婿入りした次兄である。
どちらも、シリルの兄であり今は頻繁に顔を合わせる相手である。今さら、子供達がここまで慌てるような相手ではない。
訝しげな母親の様子に気づいたのか、子供達は大きく首を振って、声を上げた。
「アルド叔父さんだよ!」
「アルド叔父さんが、明日の武闘会に出るのよ、母さま!」
その名前に、ジゼルは目を見開いた。
「さっき、王宮で武闘会の受付にいたの!」
「昨日、ベルトランに泊まってたって!」
「え!? なにそれ知らない! トリスはそんな事言ってなかったのに!」
フェリクスにつかみかかるミレイユを止めることもできず、ジゼルは固まっていた。
名前は知っている。容姿も、伝え聞いている。
それでも、一度も会うことがなかった年の離れた弟の名前を聞いて、ジゼルは呆然としていたのだ。
「アルド叔父さん、今年西砦で兵士になってたんだって。それで、武闘会に参加資格があるから来たんだって」
「昨日は、軍港にいるベルトランの爺さまから手紙を預かってたから、あっちに行ったんだって。そしたら、侯爵さまから外出禁止にされたって言ってた」
「……教えてくれたら、昨日のうちに会いに行ったのに」
「ミレイユ、いちいち口を挟まないでくれよ」
ふくれ面のミレイユに、フェリクスは溜息をつきながらつっこんだ。
子供達二人がそんないつもの小さな兄妹げんかをする間、ジゼルは弟の話を聞いて、予想以上に衝撃を受けている自分に驚いていた。
会ったことがないのは仕方がなかった。
結婚当初は、シリルも、護衛をつければジゼルを実家に里帰りに向かわせることくらいはできるのではないかと考えていたらしいが、そうはいかない事情ができた。
他でもない、ジゼルが魔術師であるシリルの子を産めた事実が、予想以上に世界中の魔術師の好奇心を煽る結果となったのだ。
銀と紫の色を持っていたことがよかったのか。
それとも純粋に、神の奇跡の結果なのか。
シリルが子を持てたのは、ジゼルとの間にだけなのか。
――そして、神の奇跡でそれを為し得たならば、魔法で再現できないのか。
双子が産まれて以降、ジゼルの周囲には、小動物がやたらと増えた。
鼠にリス、猫に蛇に小鳥、珍しいところではこんな場所にいるはずの無いクジャクがいたこともある。それらが、すべて魔術師達の使い魔であることは、シリルが確認した。
シリルと同じラムゼン派のみならず、他の流派の使い魔もそこには存在しており、シリルひとりで守ることすら難しいところまでいってしまった。
その騒ぎでジゼルがもっとも恐れたのは、子供や実家の家族に害が及ぶことだった。
銀と紫ならば、息子のフェリクスも持っている。
神の奇跡の結果ならば、母の身の潔白を証明した時、母と、そしてその時お腹にいたはずのアルドも祝福を受けているので、無関係ではないはずだ。
魔術師達は、神の目をかいくぐる。当然、各教会は役に立たない。
ただ一柱だけ、それに対抗できる存在はいる。ファーライズならば、魔術師が束になっても敵わない。それはわかっているが、本来、なかなか会えないはずだった。
それでも、他でもない家族を守るために、ジゼルは堂々とシリルを伝にしてファーライズの聖神官と交渉した。
家族を守ってもらいたい。ジゼルの願いはこのひとつ。
ファーライズの聖神官も、神の祝福を正当なものとするためとして、何度も協議して、最終的にジゼルが囮として、魔術師達の好奇の視線に晒されることとなった。
子を成すという性質から、彼らの対象はある意味成人していないと意味が無い。その時点で、その対象として、間違いなくジゼルが一番狙われることになる。次点で母だろうが、母はもう年齢的に、アルドが最後の子だろうと思われた。
それに、金狼という、魔術師にとっての天敵とも言える存在が常に側にいるジゼルなら、守りやすいということもあった。
そして囮となることを受け入れたジゼルは、家族を守るために、自らはガルダンへ行くことがなくなった。
アルドも、事情を実家に説明して、王都には近寄らせないと決められた。
アルドは聖神官の守りを授けられ、魔術師の目から隠された状態で、ガルダンで家族とともに暮らしている。
生涯会うことはないだろうと、そう考えていたのだ。
長く考え込んでいたからか、ジゼルの傍に子供達の姿は無くなっていた。隣に行ってくる、と声を掛けられたような気がする。
ジゼルは、自分が子供の声に反応できないほど集中していたことに気がつき愕然とした。
「子供たちは隣に行ったのかしら」
庭からは声も聞こえない。しかし、ジゼルは庭に出れば夫の使い魔たちに双子から伝言があるかもしれないと身をひるがえした。
しかし、家から出ようとした途端に、ジゼルはそこに帰ってきたばかりの夫がいた事に気付く。
「シリル様……」
「ただいま。ジゼルは今からでかけるところ?」
「……子供たちが出かけたことに気がつかなかったので、隣に行ったのか確認しようと思って」
それを聞いて、シリルは肩をすくめる。
「子供たちなら帰ったときに行き会ってね。間違いなく隣に行ったよ。……ジゼルがあの子たちの声を聞けないほど、なにかあった?」
そう尋ねられ、ジゼルはなにも答えられない。昔から、家族のことが係わると、勘が働く人だった。
「……アルドが……今年兵士になったらしくて」
「ああ、見たよ。……君そっくりで、ほんとにあの顔で兵舎で寝るつもりだったことに驚愕した……」
「なんだかすみません」
どう見ても、頭を抱えはじめたシリルの様子は悲痛なもので、いつも何ごとも動じない人がこんな表情
になっていることに申し訳なく思うが、ふと思う。
「……シリル様は、わざわざアルドを見に行ったのですか」
「たまたま、本人の話をしてたからね」
本人の話と言われ、首をかしげる。
「今年、アルドが兵士になって、ジゼルの実家をそろそろ叙爵してはどうかって話になっててね」
「私の実家……叙爵?」
「うん。もともとお義父さんの功績が大きいんだけど、跡取りと言えるアルドが育った今、叙爵しても良いんじゃないかって」
「それで、見にいったんです?」
そう尋ねられたシリルの、微妙な表情を見てジゼルはその答えを察する。
「国王が挨拶するのについて行って、アルドがミレイユを抱き上げてぐるぐる振り回しているのを見た……」
「それは父がよくやっていた……」
「うん。あのままだった。ほっそりしててお義父さんとはまったく別の育ちっぽいのに、仕草はお義父さんそのままだった」
アルドは聞いた話、妖精とたとえられたジゼルによく似ているらしい。ということは間違いなく女顔だ。
その顔でなにを言われたか、ジゼルは想像できてしまう。
ジゼルのように『家族の誰にも似てない』と言われることはないだろうけど、間違いなく『お姉さんに似てる』とは言われているだろう。
唯一の男子だけに申し訳なさが大きい。
「だけど、叙爵は一旦止まった」
「……え」
父の功績というなら、誰にも止められないと思っていたジゼルに、シリルが両手を挙げる。
「聖神官がね、お義母さんとジゼル、それにお腹の中にいたアルドにもファーライズの加護が入ってるから、加護を受けている本人たちの意志が何より大切で、その確認が先だって」
「つまり……シリル様は私の意思を確認に来た……と?」
こくんと頷く。
「私はこの国で、今もっともファーライズについて理解してるからね」
シリルが笑顔でそう告げたことに、ジゼルは内心シリルが答えをわかっていることに気がついた。
「私は跡を継ぐと言われているアルドが意思を示すのを待ちます」
ジゼルが告げると、予想通りシリルはあっさり頷いた。
「……アルドはファーライズの話を聞かないまま、本人の意思を確認する前に認識されたんだけど、お義父さんとお義母さんがどんなふうに説明してるかわからないんだよね」
「たしかに、私にもそれはわかりませんけど、まだアルドは生きています。少なくとも大人になるまでは父と母の意思を聞いていたはずです。それは間違っていないということでしょう。だったら、その話で一番影響を受けそうなアルドの話を聞いて改めて考えます。それでいいでしょうか」
「うん。いいと思う。なんと言ってもまだ自由の象徴のような第三聖神官様はお元気だしな。あの方が見守っていたアルドが無事でないはずないし」
シリルの了承はジゼルも納得できるもので、異論もない。
この機会に話をするのもいいかもねと、シリルに告げられ頷いた。