軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

神の奇跡の生き証人 前編

「……っくし!」

豪快にくしゃみをした王女に、その場にいた女官達の視線が突き刺さる。

「グレース殿下……」

「仕方ないじゃない。寒いんだもの!」

春先の、日の当たらない東の露台は、いかにも寒々とした風が吹きすさむ。

風になぶられ、冬用に仕立てたコートをばっさばっさと翻しながら、グレースは侍女に渡された手巾で口元を拭う。

そんな場所で茶会など冗談じゃないと誰もが思うところなのだが、現在まさに、グレース主催で友人を招待した茶会の真っ最中である。

祖母とおなじ名を持つグレース・ブランシュ王女は、その二人の友に思わず恨みがましい視線を向けた。

一人は、父譲りの紫黒の髪をきっちり結い上げ、前髪だけを風に揺らしながら、毅然と紅茶のカップを持ち上げ、口に含んでいる。

王国一の強者と名高いベルトラン侯爵を父に持つ、ベアトリス・オレリー・ベルトランは、まるで寒さなど感じていないかのごとく平然とした表情で、先程からそこに座っていた。

グレースの祖母によく似た美貌で、まだ十五だというのに婚姻の申し込みは後を絶たない。しかしながら、彼女に相手の理想を尋ねると、『家族より強い人』と帰ってくるため、申し込んだ人々が恐れを成して逃げていくのもまた、恒例となっている。

普通なら、達成できる可能性もある条件のはずだが、彼女の出自から、それが冗談でもなく、高くそびえ立つ障害として存在していることは明らかであった。

父は現在将軍位にあり、さらに叔父たちもそれぞれ騎士団を預かる身。およそ思いつく限り、一族の男はすべて、何らかの戦闘職にあるという、生粋の武家の姫である。

ちなみに、産まれたからには、娘ですらその一族の洗礼を受けている。つまり下手をすれば、ベアトリス自身にも敵わない可能性すらあるのだ。

彼女は、自らの武術の腕を上げることに余念が無く、自らの容姿にまったく頓着しないまま、毎日ベルトランの精鋭に混じって剣を振っている、未来の王太子近衛隊士としての地位が確定している少女なのである。ついた二つ名が戦姫なのもさもありなんである。

そして今一人。

こちらはよりにもよってこの暴風吹き荒れる場所で、ふわふわとした春用の黄色のドレスを身に纏い、そよ風程度の風に亜麻色の髪を揺らしながら、母譲りの、妖精とたとえられるその顔に満面の笑みを浮かべ、なにやら感動したように菓子の皿を捧げ持っている。

まるでそこだけ暴風とは無縁なのだが、実際彼女の周囲にはその風が届いていない。

父である王国魔術師長シリル・ラムゼン謹製の防御魔法によって、彼女には寒さすら届かない。その為、春らしい薄手のドレスでも、まったく平気なのである。

――多少グレースが羨んでも仕方が無いだろう。

彼女の名はミレイユ・カリエ・バゼーヌ。平民でありながら、バゼーヌの癒し姫として、その名を王国中に轟かせている少女である。

そのミレイユは、先程から皿を捧げ持ったまま、動かない。

その姿を見ていれば、ミレイユが何も言わずとも理解した。その表情は、穏やかに何かに感謝し、微笑んでいる。味に感動しているのだろう。よほど口に合ったらしい。

グレースは、寒さから身を守るように自らの肩を抱きながら女官を呼び寄せ、そっと耳打ちした。

「……帰りに少し包んであげてちょうだい。ついでに作り方も入れておきなさい」

「……よろしいのですか?」

王宮の料理について、そのレシピはすべて秘伝とされる。外に持ち出すなど、そもそも職人達が認めはしないだろう。

もちろんグレースは言われるまでも無くそれを知っている。

……しかし。

「ミレイユが気に入っていたという話を聞きつければ、どうせ宰相はあれをなんとしても持ち出すでしょう。遅いか早いかの違いなら、ここで宰相に貸しの一つでも作っておく方がいいわ。いっしょにベアトリスにも包んであげて。どうせバゼーヌで作るようになれば、隣のベルトランにもおすそわけされるでしょうし、こちらには作り方は入れなくていいわ」

「かしこまりました」

宰相で、ミレイユの伯父の現バゼーヌ公爵は、とにかくミレイユに甘かった。

バゼーヌで産まれた現在ただ一人の女の子、それも魔力持ちという事で、振るように沸いているはずのミレイユへの縁談は、本人どころか両親に届く前に、すべて公爵が黒い笑顔で握りつぶしているという話である。

ちなみにこの握りつぶした中に、グレースの弟王子の申し込みも入っていたという笑えない噂もあった。

グレースの立太子が決定した直後に惜しまれながら宰相を退任した前公爵も、孫であるミレイユのことは目に入れても痛くないほど可愛がっている。

菓子一つの製法でバゼーヌ家に貸しができるというのなら、ずいぶん安いもの。しかも相手も間違いなく喜んで受け入れるので、どこも損することがない。

そのミレイユは、周囲に温かい眼差しで見守られながら、ようやく菓子の二口目をゆっくり口に含んでいた。

グレースはようやく肩から手を外し、入れ直してもあっという間に冷めてゆくお茶を口にして眉をひそめた。

「ねえ、ミレイユ。リスを貸してくれない?」

「ん? いいですよ。リス」

ミレイユが頭上の猫に声をかけると、宝石のような翡翠色がそこに現れる。

目を開き、ぴこんと三角の耳を立てると、リスは器用にミレイユの肩から降り、身軽にグレースの膝の上に飛び乗り、背中を向けてお座りした。

その小さな体をきゅっと抱きしめたグレースは、にっこりと微笑みながら、その柔らかな毛に頬をすりよせた。

「ああ、あったかーい。ふわふわで柔らかい。んー、いい匂い」

すりすりと頬ずりされても、リスはされるままに抱きしめられている。このような事をすれば、本物の猫ならば確実に機嫌を損ねて王女に牙を剥くため、当然周囲が止めるところだ。

しかし、女官も侍女もこの猫が彼女の父シリルの魔法で作られた事を知っている。

リスは常にミレイユの頭にいて、ミレイユの傍に居れば王女も守る事を王族に仕えている全員が知っている。

リスが憮然としたまま、それでも大人しくしている様は、微笑ましく見守られていた。

「そんなに寒いのなら、素直に暖かい場所に移動されればよろしいのに」

笑み崩れた表情でリスを抱きしめ暖を取るグレースに、今まで沈黙していたベアトリスが呆れたように声をかけた。

「今日は、どうしてもここじゃないとダメなのよ」

「なぜです?」

微かに首を傾げたベアトリスに、グレースは隣にいた侍女に預けていたとある道具を受け取ると、少し体を捻り、視線を下に向けた。

その手には、遠眼鏡がしっかりと構えられている。

ベアトリスは、不審に思いながら、グレースが視線を向けた方向を見て、ああと声を上げた。

「……武闘会の受付を見て、どうなさるのですか?」

今日から一週間ほどの期間、王宮東門前広場で行われるその行事を思い出したベアトリスは、ちょうど眼下に見えるその場所に視線を向けた。

「え、だって彼らから、私の時代を支えてくれる近衛も選ばれるかもしれないでしょう? だったらどんな人物がいるのか、気になるじゃない」

「グレース様の騎士団は、女性騎士が大半になります。今回は王子殿下の近衛が選ばれるのであって、グレース様の近衛は選ばれないと思いますけど。現に、女性で武闘会に参加する方はいらっしゃらないと聞いています」

「ベアトリスは私の騎士になってくれるんでしょう?」

「もちろんです」

その答えに、一瞬の躊躇もない。

「それなら、もし私が願えば、あれに参加してくれるのかしら」

「私は、殿下の騎士となります。望まれたならば、参加を躊躇うことはいたしませんし、その勝利を捧げます。ですが、残念ながら私の入隊は来年ですよ? 今年は、あの武闘会に参加する資格がありません」

武闘会に参加するには、成人しているか、もしくはどこかで軍に所属していることが条件となる。その所属は、見習いでもかまわないとされているが、ベアトリスは残念ながら、その見習いにも属していなかった。 参加に関しては躊躇うことなく頷いたベアトリスに、グレースはにっこり微笑んだ。

グレースは再び視線を広場に戻し、しばらくそこを機嫌良く眺めていた。

「……あら。いるじゃない、女の……人?」

グレースは、一瞬歓喜の声を上げ、そして硬直した。

しばし固まったかと思うと、自らの傍で一口菓子を含んでは、ぱあっと周囲に花でも散らしているのではないかと思われるほど喜ぶミレイユに視線を向ける。

それを何度も繰り返しているグレースを見て、ベアトリスはようやく得心がいったとばかりに頷いた。

「……そういえばいました。女性として見慣れた顔。……男性でしたけど」

最後に付け加えたベアトリスの小さな呟きは、グレースの耳には届かなかったらしい。グレースは、今も嬉しそうに菓子を口に含んだ大切な友人に勢いよく向き直った。

「ミレイユ!」

「ふぁい!?」

ちょうど口に含んだ菓子を飲み込んだところだったミレイユが、驚いて飛び上がった。

「あれは誰!?」

「え、え?」

急に迫ってこられて困惑したミレイユの手から、侍女によってそっとフォークが抜き取られる。

その手に、無理矢理遠眼鏡が握らされ、あれ! と王女は受付を指差した。

受付は、国中からの参加者で混雑を極めた状態だ。あれと指差されたところで、その場所が分かるはずもない。

しかしミレイユは、その遠眼鏡を覗きこみ、暫くして息を飲んだ。

次の瞬間、ミレイユは遠眼鏡を侍女に押しつけ、勢いよく駆け出した。その背後をグレースの腕にいたリスが追いかけていく。

「あ、ちょっと! せめて答えを言っていきなさい!」

慌てて声をかけても、すでにミレイユの姿は消えていた。

「もう!」

怒りを露わに荒々しく席に戻った王女を、傍に居た女官がたしなめた。

そちらにちらりと視線を送り、ふうとため息をついたベアトリスがあっさりとその答えを口にする。

「叔父らしいですよ。年齢はひとつ違いだそうですが」

そのあっさりした答えに、グレースは詳細を聞くのを忘れていた事を思い出したのは室内に入った後だった。