作品タイトル不明
番外編【マリーヴェルとライアスの留守番】2
屋敷に帰り着いてもマリーヴェルはずっとご機嫌だった。
「おもちゃ、いちゅくゆ?」
そわそわしながら何度も何度も聞いてくる。
「お昼を食べて、お昼寝したら、かな」
「おひるね、しゅゆ!」
マリーヴェルはそう言って急いで自らお昼ご飯を食べた。食べ終わったらぐずることなく歯を磨き、着替えて、ベッドに入った。一人でできるのかとライアスは驚く。
「ねんねしたら、もう、きてりゅ?」
「ああ」
寝かしつけをするつもりでライアスはマリーヴェルの部屋まで付いて来たものの、今日のマリーヴェルは自分でしっかり目を閉じていた。
やがて眠ったマリーヴェルの頭を、ライアスはそっと撫でた。
一方エイダンも、今日はずっとシンシアと二人でお出かけしてご機嫌だった。
「母上!きょうは、たくさんありがとう!」
馬車から降りて、またぎゅっと抱きついてくる。
「いいのよ。素敵なお洋服が見つかってよかったわね」
「うん!」
「エイダンもすっかり大きくなっちゃって。あっという間に服が小さくなるわねえ」
「母上……」
エイダンは不思議そうに首を傾げた。
「ふくは、小さくならないよ?ぼくが大きくなったんだよ!」
「あ……そうね」
ぱちぱちと瞬きする目が可愛くて、シンシアはその場にしゃがんでエイダンを抱き締めた。
「あーエイダンったら、本当に可愛い!ねえ、母上と一緒にお茶にしない?」
「えっと……」
エイダンが迷ったのは一瞬だった。
「今日は、まだくんれんができてないんだ。だから、くんれんじょ、行って来るね」
「まあ。真面目ねえ。偉いのねえ」
「へへへ」
訓練に負けたのは寂しいが、エイダンは今剣術と魔力の訓練が大好きで、一番熱中していると言ってもいい。シンシアは手を離した。
「いってきます!」
エイダンは手を振りながら走って行った。その後をダリアが追いかける。
「——奥様。お帰りなさいませ」
屋敷の玄関から執事が近づいてくる。その表情が曇っていて、何かあったのかしらとシンシアは立ち上がった。
「ライアス——マリーを1人で見てくれたんですって?」
執事から、レナが風邪をひいたことを聞いてすぐ、シンシアはマリーヴェルの部屋を覗いた。
マリーヴェルを愛おしそうに見つめながら、ライアスがずっとその頭を撫でている。
「ライアス……」
ずっと付き合ってくれていたのかと思うと、シンシアは思わずその背中を抱き締めた。
「大変だったでしょう?まさかレナがいなかっただなんて。言ってくれたらよかったのに…」
「シンシア……」
ライアスが振り返って照れたように笑う。思わずその頬にキスをしてから、シンシアも笑った。
「こんなに素敵な夫を持って、私は幸せ者ね」
ライアスの頬が赤く染まる。
もう何度もしているというのに、シンシアからするとこんな反応だ。
愛しさがこみあげてくるようで、シンシアがライアスの前に回り込んだ。
「ねえ——」
「旦那様、奥様。荷物が届きましたが、どちらへ置きましょうか」
開いたドアから執事が覗く。
「あら?衣装は持って帰ってきたはずだけど」
「いえ、玩具屋からです」
ライアスが表情を硬くする。
「あら、玩具を買ったの?」
「あ、は、はい」
「大変だったものね」
「いえ、その、玩具で釣ったので、それほど大変には……その……」
随分と言い淀む。
そんなに怯えなくたって、怒ったりしないのに。赤くなったり青くなったり、忙しい人だ。
マリーヴェルに手を焼いて、玩具屋に行ったのだろう。慣れない子守りなのだ、楽しく過ごせたのなら十分だ。
ふふふ、と思いながらホールまで来て、シンシアは固まった。
「は……?」
その数、10——いや、20を超えている。
「な、なにこれ……」
お店でも始めるのかという量だ。ホールが埋め尽くされている。馬車が去っていく車輪の音が聞こえた。何台で来たのだろう、その音もすごい。
背後に付いて来たライアスを見上げれば、すうっと視線を逸らされる。
——いや、怒ってはいけない。たった一人でいやいや言うマリーヴェルを見て、きっと大変だっただろう。エイダンの為にもシンシアの為にもと思って頑張ったんだ。
さっきの、マリーヴェルを見る目を思い出そう。あんなに慈しみ深く愛情にあふれた目をして——うん、ありがたい夫だ。
シンシアは大きく深呼吸をしてから、努めて笑顔を作った。
「ライアス。マリーヴェルが泣いて、大変だったのね。ちょっと……かなり大きな買い物だったけど——」
「いえ」
重く沈んだ声が遮った。
珍しく言い訳でも言うのかしら。言い訳をあまりしない男、ライアス。
と思ったら。
「泣かれてません」
「は?」
「マリーは泣いていません。約束したでしょうと詰め寄られはしたが……」
「泣かれてもいないのに、これほどの買い物を…?」
「断れば泣くかと思い……」
「そんな、子供の顔色を窺うようなことを」
「私は——」
ライアスは顔を上げた。何故かきりっとしている。
「マリーの顔色なら、窺っても良いと思います」
「はあん?」
しまった。
あまりの衝撃に、ひどく低い声が出てしまった。ライアスが動揺のあまり口を開けて固まっている。
そうね、こんな声を出したのは今世では初めてかもしれない。
だって、え、何?何を断言しているの?
さっきまではびくびくしていたのに、マリーの顔色なら窺いたいって、そんな自信を持って言う事だろうか。
「マリーヴェルの性格をわかってますよね。そんなことをしたら、とんでもない令嬢に育ちますよ」
「いけませんか……?マリーはペンシルニアの公女です。それが許される立場です」
今度は私が口を開けて固まる番だ。
そりゃ、許されるだろう。けれど……立場で許されたとしても、わざわざ性格の悪い子供に育つと分かっていて、そうするの?それは親として——いや、貴族の親はそうなのだろうか。
シンシアは頭を抱えた。
「困ったわ」
重く長い溜息が出てしまう。
だってライアスは本気だ。それが許されるのがペンシルニアなのだと言い切っている。その言い分は分からなくもない。
——まあね。私も人の事言えないのよ。わがまま放題は、王女だった私に許されていた事だもの。
しかし、だからこそ。
「育児の考え方がこうも違うと……」
出かけた疲労感も相まって、一気に体が重く感じた。
「こうなったらもう、難しいわね」
「それは、なにが」
「ごめんなさい。ちょっと休むわ」
ちょっと横になって休もう。そう思った。
とりあえずホールを埋め尽くす玩具から離れて冷静になろう。
シンシアはそのままふらふらと寝室へ行って、そのままベッドで遅めの昼寝をした。
オレンシアはこの日、非番だった。
ペンシルニアの騎士として早く上級騎士になりたいという目標があるオレンシアは、ペンシルニアの訓練所に来ていた。
エイダンの訓練に少し付き合って、タンと話していたらもう夕方になった。今日は幼い弟妹と一緒にお風呂に入ると約束をしている。そろそろ帰ろうと荷物を抱えて訓練所を後にした。
鼻歌を口ずさみながら、廊下を進んだ。
「ふん~、んんん~」
休みの日に来ると、自由に訓練ができるからいいなあ——と上機嫌で足取りも軽かった。
周囲に誰もいないから、調子に乗って歌まで歌い始めた時。
「あーあぁー——う、うわあああ!」
ぬっと現れた大きな影に、思わず叫び声をあげてしまう。歌声を上げていたせいだ、こんな情けない声を上げてしまうなんて。
それにこの影が、尋常じゃない威圧感がある——と思ってよく見れば、公爵閣下その人だった。
「こっ、公爵様?」
廊下の柱の陰になったところで、立っている。幽霊のように微動だにせず。
オレンシアは幽霊話が好きだったが、自分で体験するのは話が違う。幽霊より怖い。
ライアスはこの世の終わりでも来たのかという表情だった。
「——な、何事ですか……」
ライアスがじろりとオレンシアを見た。その眼圧たるや——漏らしそうだ。
逃げてもいいだろうか。いや、主君を前にして、許しなく背を向ける訳にはいかない。
オレンシアは力を振り絞ってその場に留まった。
「あの……こ、公爵様?」
「あ……オレンシアか」
「は」
無意識で睨まれていたらしい。正気を取り戻したように名前を呼ばれて、ほっとしながら返事をする。
「何か、良くない事でもありましたか」
「良くない……そうだな、この上なく……良くない」
ぼそぼそと言って聞き取りにくいが、とにかく何か起きたのは間違いなさそうだ。
災害か、戦争か。
「一体——」
「難しい、とは、どういう事だろうか」
「え?」
「——難しいの意味は?」
「は……難しい?その……困難、という事では」
「困難」
「それを成すことができない、ということ、でしょうか」
自信がなかったが、ライアスの顔は益々深刻になっていく。
「成すことが……成す……一体何を?まさかこの、生活、を……?」
会話になっておらず、この上なくつらい。
誰か助けてくれと思うのに、誰も通らない。この際誰でもいいのに。
ガン!と音がしてオレンシアは悲鳴を上げそうになった。
ライアスが後頭部を柱にぶつけていた。
「こ、公爵様……だ、大丈夫ですか」
「ああ……大丈夫、ではない。もう……だめかもしれないな」
完全に目が昏くおかしい。
オレンシアは意を決してシンシアを呼びに行った。
ライアスが頭を怪我したと聞いて駆けつけてみれば、特に傷もなくライアスはただ立っているだけだった。
「ライアス?」
一体どうしたのかと思い呼びかけると、ライアスはシンシアを見るなり絶望的な顔をした。そのまま、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまった。
一同ぎょっとして顔を見合わせる。
「私に……最後通告を……?」
「え?」
「もう結婚生活を続けられないと言って……」
「言っていませんけど!?」
「え」
ライアスはびっくりした顔をしている。こっちがびっくりだ。
顔を上げて、本当に……?と呟いている。
シンシアは色々と察して、周囲の人たちを下がらせた。
汗がすごいオレンシアにも重々お礼を言う。
それからライアスの前にしゃがんだ。
「一体何を心配しているんですか」
「私が、貴方を失望させたかと……」
失望。からの、離婚?
なんなのかしら、このネガティブさは。
結婚して、もう7年になる。愛を確認し合うのに時間がかかったとは言っても、そこからも4年。子供が2人もできて、時間を積み重ねてきたというのに。
そんなに?
シンシアがちょっと怒ったくらいで——いや、そもそもシンシアは怒っていただろうか。
難しいわねって言っただけだ。言い争いにもなっていない。
「ライアス……一人で思い詰めないで、私に話してください」
「いえ——は、はい」
シンシアはもう一度念を押す。
「ちゃんと話し合いましょう。子供の事も。——ルールを決めて、それを守れる子にしたいのです。信頼を得られない人間に、誰もついて行かないでしょう?」
ライアスはシンシアの手を支えながら立ち上がる。引き上げられてシンシアも立った。
「——私が浅はかでした」
「それもね。私が思う所と、ライアスが思う所の、落としどころを見つけましょう。話をしないと——でも、今日は私が疲れて寝ちゃったから。勘違いさせてごめんなさい」
「いえ!悪いのは私です。そんな……」
シンシアは笑った。
「さあ、マリーが探していましたよ。おもちゃを買ってもらったパパと一緒に遊ぶんだって」
ライアスが泣きそうな顔をした。
そういう顔も嫌いじゃないけど——これから先、もっと強くなってもらわないと、とシンシアは思う。
「マリーに買ったんですから、エイダンにも、何か欲しいものはないか聞いてやってくださいね」
「はい」
ライアスが真剣な顔で頷く。
「シンシアは……?」
「え?」
「何か、欲しいものはありませんか」
シンシアはくすくすと笑った。
「私はもう十分持っています」
「いいえ、まだ足りないはずです」
ライアスはシンシアの手を取って、ゆっくりとそこに口づけした。
「貴方は完璧な人ですが……」
まだまだ贈り足りないとでも言うように、ライアスが見つめた。
シンシアはライアスの顔を両手で引き寄せた。
「世界一強い騎士が私のものになっているのに?」
笑いかけると、ライアスはうっとりと目を細めた。
元気になってきたようだ。よしよし。
「ライアス、貴方こそ、私だけで足りているのかしら」
「満ち足りすぎて——勿体なくもあふれてしまいそうで、大変です」
まるで壊れやすい宝物にでも触れるかのように、ライアスは両手をシンシアの腕に添えた。
「ふ、ふふ……」
笑いがこぼれるシンシアの唇に、ライアスの唇がゆっくりと重ねられた。