作品タイトル不明
19.聖女アイラ
ヴェリントの戦後処理は粛々と進められ、ヴェリントにはファンドラグから『管理人』が送られることとなった。事実上の監視だ。
これによりヴェリントの王族をまともな傍系とすげ替え、財政を正しく軌道修正し、親ファンドラグ政権として政権を再編し確立する。突如仕掛けられた戦争で完膚なきまでに叩きのめした国に対し、属国にするでもない。戦勝国としてはかなり譲歩した処遇ではあったが、オルティメティはあくまでも領土拡大はせず、平和的解決を望んだ。
シャーン国残党の事件についても公表され、旧王族の後ろ暗いこれまでの数々の陰謀も、ブラントネルから提供された証拠ととともに公開された。
そしてもう一つ。浄化を行った聖女の存在が明かされた。
シャーン国の陰謀から国を守り、浄化をした聖女がいる、と言う話は瞬く間に国中を駆け抜けた。
そして、救国の聖女アイラは公爵家で保護する、という名目を掲げ、アイラはペンシルニアにやって来た。
エイダンとしては、同時に婚約まで公表したかった。そうしないとアイラにはすぐに、身の程をわきまえない輩が求婚状を送りつけてくるのは目に見えていた。——が、段階を踏まなくてはいけない、というのもわかる。
今回の騒動の少し前、エイダンがライアスとシンシアに、アイラと結婚したいと言った時。二人はあっさりとわかった、と言った。
「反対しないんですか・・・?」
「まあ、大変だと思うわよ。貴族法もあるし」
驚くエイダンに、シンシアは初めから分かっていたかのようにそう言った。
平民と結婚したら、貴族は貴族籍を抜かれる。そうしないと貴族がどんどん増えてしまうから当然の法律なのだが、まさかペンシルニアの後継者が貴族籍を抜かれるわけにはいかない。
「だから、アイラはどこかの家の養子にと思っていたけど。国を救った聖女だからいずれ叙爵されるでしょうし、そこは心配いらないわ。——ただ、心無い人達がくだらないことを言うだろうという事は、覚悟しておかないとね」
考えてくれていた。婚姻に関して随分と自由にさせてくれているし、反対はされないと思っていたが、アイラとの結婚ができるようにそこまで考えていてくれたとは思っていなかった。
「ペンシルニアは私が嫁いで以降、ちょっと権力を持ちすぎているから・・・いっそ、特定の家とのつながりがない方が、いいと言えばいいのよね」
そうは言っても、家門の繁栄を思うのならもっと別の縁談もたくさんあるはずだ。そうでなくても、わざわざ火種となり得るアイラを迎え入れるのには、それなりに難しい決断だと思うのに。
ライアスとシンシアには、感謝しかない。
言葉を失っているエイダンを、ライアスがじっと見た。
「聖女とはいえ、相手が平民という事で、多くの連中が色々なことを言うだろう」
「はい」
エイダンは姿勢を正した。
「そういう事まで全てわかった上で、それでもアイラと添い遂げたいと言っているのだろうから、私達は何も言わない」
自由に伴う責任も分かっている。
王位継承権についても結婚を前に手放すことになるだろう。
王家に子供が生まれていなかったら、エイダンが早期に後継者教育を終えて騎士団入りしていなかったら、周辺諸国の情勢が落ち着いていなかったら——その色々なことが片付いていなかったら、やはり結婚は難しかったかもしれない。
そういう事も理解していると判断したから許可した。要するに、エイダンへの信頼だ。
「ありがとうございます」
率直に、待ってくれて信じてくれた両親への感謝が出て来る。ライアスの重い口調は続いた。
「アイラが平民ということで、結婚した後も、後妻や妾にと勧められたり、驚くような事を言われるかもしれない」
「まさか」
そんな低劣な——と思ったが、ライアスの顔は真剣だった。
「 靡(なび) くな」
重々しく、そう言われる。
「どこにでも欲深い者はいる。毅然とした態度を徹底し、一分の隙も与えるな」
「父上・・・何かあったんですか」
「・・・・・」
そのあまりに神妙で重苦しい言い方に。そう思ったが、ライアスはそれ以上言うつもりはないようだった。
父親としての助言なのだろうが、それをどう受け取ればいいのか少し迷いつつ、エイダンは頷くしかなかった。
エイダンは葡萄亭までアイラを迎えに行き、アイラの両親に挨拶をしてから、二人で屋敷の門を潜った。
やっと、だ。
二人で手を繋いで歩いた屋敷までの道が、短いようで長いような、不思議な感覚だった。そんなエイダンの気持ちをわかってくれているのか、アイラを見ると、いつでも目が合った。目が合えば微笑み合った。
たまらなく、幸せだった。
絶対に守ってみせる、とエイダンは繋いだ手に力を込めた。
——そうして気負って迎えたアイラだったが、当の本人は非常にのびのびとしていた。
急に多くの事を詰め込んでも——と、まだ空き時間も多い。
アイラは週の何日かは葡萄亭を手伝ったりしていたし、思い立って街へふらりと出かけていくこともある。
念のため護衛をつけたものの、三日続けてまかれてしまった。熟練の護衛なのにふとした瞬間に見失うと言って首をかしげている。エイダンが、きっと無駄だよ、と言って護衛はやめになった。
アイラの日常は、一緒に暮らすと本当に不思議だった。
はじめ、屋敷の人々は聖女が来ると聞いて、その能力は瘴気を浄化できる能力の事を指すのだと思っていた。しかしアイラは少し変わった子だった。
「アイラ、この前話していた——あれ?アイラ」
「どうしたんだい」
「いや、今アイラと話してたのに、どこに行ったんだろう」
「いたかい?気配を感じなかったけど」
そんな風に話していてもふらりといなくなったりする。探してもいない。かと思ったら、ふと現れてはまたいなくなる。
ある日は木の上で寝ていて、ちょうど飛ばされてきた洗濯物をキャッチしていた。またある日は、暑くなってきたからと地下の食品庫で涼んでいたらしく、ついでに片付けまでして、管理人の五年前に紛失した大切な手紙を見つけていた。また別の日には、噴水の中から貴重な古代金貨を見つけ出したこともあった。
そんな可愛げのある出来事ならいいのだが、珍しく立ち寄った騎士訓練所でヒビの入った剣を見つけたり、屋敷周辺をうろついている不審な人影を、偶然アイラが散歩に誘った騎士と共に見つけたり。そんな屋敷の保安上の事にまで及んだ。
マリーヴェルとソフィアとも旧知の仲だったのですぐに馴染んだ。
ソフィアはネロがいなくなったらまずアイラを探す。アイラはいつも、すぐにネロの居場所を言い当てた。
マリーヴェルとはよく、ひそひそと二人で話し込んでいた。
「——でね、手紙にこれ・・・」
「うわあ。マリーちゃん、愛されてるね」
「え、ふふ、やっぱり・・・?ふふ」
「返事は?もう送ったの?」
「それが迷ってて・・・なんて返事をしたらいいのかって」
「嬉しいって、伝えたらいいじゃない。——あ、じゃあさ、ついでにアルロ君に——」
そんな声が聞こえてきたから覗いたら、がさがさとすごい勢いで何かを隠された。
「ちょっとお兄様!ノックしてよ」
「え、だって扉が開いてたから」
「女同士の秘密の話だから!」
こんな風に、仲間に入れてもらえないくらいだ。気が合うらしい。
聖女は神に愛された子——。
文献に記されたその言葉がしっくりくる。
掴みどころがなく透明で何物にも染まらない、それなのに誰の側にいても、心地よい。
一緒に暮らしているはずなのに、神出鬼没であまり見かけない。
そんなアイラを唯一よく見かけるのが、エイダンの隣だった。
エイダンがアイラを見つけ出すのがうまいのか、アイラの方がエイダンに近付いているのか。
いつもどこか浮世離れしているようなアイラも、唯一、エイダンの側にいる時は、アイラの意識はしっかりとエイダンに向いているようだった。
「ここにきてから、髪がサラサラなの。公爵家の石鹸はいい香りだし、肌にもいいのね」
エイダンはアイラの髪を一房手に取って、ずっと撫でるように滑らせた。
「ほんとだ。さらさら」
やる事はこなれているようなのに。エイダンは照れたように少し赤い顔で笑った。
「でも、前から綺麗だったよ、アイラは」
「ありがとう。ほっぺもつるつるよ?」
「そ、それはさ・・・」
「確かめる?」
「みっ、見れば、わかるよ」
たじろぐエイダンに、アイラがけらけらと笑った。
「——からかわないでよ。もう」
「からかってないよ。嬉しいんだもん、一緒にいれて」
「うん・・・僕も」
エイダンはアイラに腕を差し出した。今では、こうやって散歩の時、自然に腕を組んでくれるようになった。
忙しくてずっと一緒に、とはいかないけれど、エイダンに暇ができると、二人はずっとこうして散歩したりと時間を過ごしていた。その少しの時間だけでも、エイダンは一日中頑張れる気がした。
その様子を遠くから眺めて、シンシアは顔を緩めるのだった。
「きっと、枠にはめない方がいいんでしょうね」
「そうだな。それはもう、エイダンに任せよう」
結局、アイラへの教育についてはとりあえずマナーだけとして、後はエイダンの采配にまかせることにした。
シンシアは葡萄亭を訪れた時の事を思った。
——あの子は、普通じゃないんです。
アイラを預かりたいと、ライアスとシンシアで訪ねたら、アイラの母親は思い詰めた顔でそう言っていた。
——幼い頃、お嬢様の誘拐事件の時から・・・ご存知だったと思います。それでもこうして、普通の暮らしができるよう見守っていただいた、公爵様には、本当に・・・感謝のしようもありません。だからこそ・・・心配なんです。あの子は、私達とは違うものを見て、感じています。それがいつか、ご迷惑をおかけするんじゃないかと・・・。
シンシアはアイラが聖女である事を両親に説明した。両親は察していたようで、黙って聞いていた。
聖女と言われても、子供であることには変わりないし、いくら国の役に立っただのと言われても、普通でないことの方が心配になる。
同じく勇者と言われるはずだったエイダンの親として、シンシアはその気持ちが痛いほどよく分かった。
——平民というだけでも・・・ですのに、あの子はふらりと、突拍子もない事を・・・。
これは父親の台詞だ。昔から、叱っても叱ってもやめなかった。危ないことはするなと言うのに、言う事を聞かない。何を考えてどこへ行くのか予測がつかない。そんな子が貴族になんて。
シンシアは少し考えてから、それでも、と切り出した。
——アイラが見ている景色は、エイダンも一緒に見ています。
シンシアは確信を持ってそう言った。
——きっと、好きで好きで、エイダン自身が十数年、ずっと努力した結果なんだと思うんです。あの子にはアイラの景色が見えているようなんです。
母親は、驚いたように目を丸め、そのまま涙を浮かべていた。
——わかっています。公子様が、どれほどうちの子を・・・大切に思ってくださっているか。だからこそ・・・ご迷惑を、おかけしたくなくて。
——うちの子は強いので、大丈夫です。その強さで、きっとお嬢様もお守りすると約束します。アイラの世界を壊さないように努力するはずです。何しろ、ペンシルニアの家系はどうも愛が重いようで。きっとエイダンは、アイラじゃないとだめなんだと思うんです。
ちら、とライアスを見てから、シンシアはまた両親に向き合った。そこには一切の貴族らしさはなく、ただ同じ親として、真摯に向き合ってくれているのがわかる。
——だから、お宅の大切なお嬢様を、どうかペンシルニアに預けていただけないかしら。
この言葉に、もう何年もの間ずっと抱えていたものを降ろしたように、母親はまた涙を流した。
そして両親揃ってライアスとシンシアにアイラを委ねてくれた。