作品タイトル不明
17.マリーヴェルの覚悟
そうして数日過ごし、七日が経った頃。
ヴェリントとの戦争に早々に決着がついたとの報告がペンシルニアにももたらされた。
その頃には王都もすっかりと落ち着きを取り戻し、ブラントネル王国軍は一旦本国へ帰還していた。アルロだけがペンシルニアに留まり、ライアスの帰還を待っていたのだが。
報告を持って帰って来たのはダンカーだった。登城前にペンシルニアに立ち寄って、アルロの部屋に集まる子供たちに教えに来てくれた。負傷者の数も奇跡的な大勝利であり、軍は既に帰還準備に入っているとの事だった。
「じゃあ、父上達ももう帰って来るよね?」
本隊と共に帰還するのが普通だ。そう尋ねると、ダンカーは何とも言えない顔で答えた。
「その・・・しばらく帰らないそうです」
「え、どうしたの!?」
動けないのか、怪我でもしたのか。
「あ、その・・・」
ダンカーが言い淀むのも珍しい。しかしそれが全く深刻そうではなくて、エイダンはアルロと顔を見合わせた。
「バカンス——いえ、ハネムーン?だそうです」
「・・・・・」
「・・・・・」
「は?」
エイダンが、聞き間違いかと思って聞き返した。
「子育てが一段落して、戦争も落ち着いて——今かな、ということらしいです」
「いやいや。何言ってるの。全く落ち着いてないでしょ」
確かにブラントネル王国は建国され、ヴェリントは完膚なきまでに叩きのめし——脅威は去ったかもしれない。しかし、戦後すぐである。
「一体誰が言い出したの?父上?母上?」
エイダンは、物心ついた時から、どちらも模範的な貴族としての姿を見て来た。確かにシンシアは時折突拍子もない事を言い出したり、奇抜な事をやったりはしていたが、それでも、ペンシルニアの本分を常に背負って来た人達だ。
有事の際には先頭に立つ。貴族の模範であれ。その、絵に描いたような義務を果たす人達だと思っていたから、信じられない。
「——公爵閣下と、コープラン伯爵は旧知の中ですから」
それは知っている。アイザック・コープラン。ライアスと幼少時代を共にし、王国騎士団副団長の座を辞し、今は国境を護る伯爵家当主。顔を合わせるたびにライアスを揶揄ったりする、数少ない気安い友人だ。
「戦勝の宴会が盛り上がりに盛り上がり・・・折角だからコープラン領の名所を案内するぞ、ということになりまして」
「うん」
「ではあちらも、それならこちらも、と」
「——うん」
「何しろ、奥様はこれまでほとんどご旅行に行けなかった事もあり、あまりの楽しさと喜びに涙されたりし、それを見た公爵閣下が、これはもう、本格的に羽を伸ばそうと言うことになり」
これはもう、の辺りのつながりがおかしいが、それを聞くと納得するしかなかった。
ライアスの世界がシンシアを中心に回っているのは、子供達も重々承知している。
「報告は?陛下に。凱旋とか、しないの?」
「その・・・任せる、と」
エイダンは少しダンカーに同情した。
「ダンカー・・・この戦争が終わったら、引退するんだよね?」
趣味が高じて、第二の人生で妻と農園を始めると言っていた。
「あー、まあ、数ヶ月くらいは、残りますよ。ベンに引き継ぎもありますから」
むしろ、花を持たせてもらったと思って戦勝報告も行って来ます、と軽い足取りで王城へ出かけていった。流石、ペンシルニアの騎士団長である。
本来なら駄目だろうけど。きっとオルティメティはいいよ、と言うだろう。あの叔父も、ライアスとシンシアにはとことん甘い。
「では、僕・・・一旦帰ります」
あっけに取られていると、アルロがポツリと言った。
「え!帰っちゃうの!?」
エイダンは情けない声を上げた。
「そろそろ準備をしないといけませんので」
「準備って?」
「即位式です。——あ、また改めて、色々決まったらお知らせしますね。参加していただけたら嬉しいです」
そんな。近所のお茶会のようなノリで言われても。
「ソフィー行くね。探検しようね」
「はい」
にこやかに約束をしているが。まさかそんなにすぐ発つとは——いや、ライアスが帰還したら帰るだろうなとは思っていたけれど。
「寂しすぎるんだけど」
「エイダン様・・・僕もです」
「もう少しいたら?本隊にタンがいるから、待ってたら再会できるよ?」
「エイダン様にお会いする前に、少しでしたが、会えました。労っていただきました」
「・・・そうなんだ」
「もう少しゆっくりしたかったのですが・・・次は、一月後くらいでしょうか」
「え」
はじめ、何のことかわからなかった。どうやらアルロが次にペンシルニアに帰ってくる時期らしい。
「姫様の誕生日がありますから」
「アルロ・・・」
当然のことのように言うアルロと、それに頬を染めるマリーヴェル。
アルロが帰ると言っても驚かず何も言わなかったのは、既に知っていたのだろう。アルロは相変わらず、何でもマリーヴェルにまず許可を取っているらしい。
一国の王になってるのに、いいのだろうか?
二人の世界に入って行くところを、エイダンが止めた。
「待って。そんなに気軽に、行ったり来たりするものなの?国王になったんでしょアルロ」
「はい。でも・・・僕の実家はここですから」
そういうものなのか。大丈夫なのかそれで。
エイダンにはわからなかった。
オルティメティは国から出ることがほとんどない。でもまあ国によって色々だろうし。アルロを止められる人なんて、この世のどこにもいないだろうし・・・。
「姫様の誕生日なら、公爵様もきっといらっしゃいますよね」
その時に何を言おうとしているのかと考えると、エイダンは複雑な気持ちだ。まさか、ライアスはその話を避けて帰ってこないのだろうか。
いやいや、まさか、あの父に限ってそんな小さい——いや、そうかもしれない。
「——マリーヴェルの十二の誕生日に、アルロ、父上に一体何を言うつもりなの」
「やだわ兄様、野暮よ」
マリーヴェルがエイダンの肩を小突いた。そのままアルロに一歩近づく。
「気を付けてね、アルロ。いつ発つの?」
「そうですね、明日にでも・・・」
「急だわ。何か贈りたかったのに・・・」
「とんでもないです。姫様のお顔が見れただけで、僕はもう幸せです」
「アルロ・・・」
また二人の世界に、と思ったが、マリーヴェルはアルロとまた離れなくてはいけないのだ。
一応空気を読んで、退散しようと、エイダンはそっとソフィアと共に部屋を出て行った。
もちろん、部屋のドアは開けたままだ。
アルロが帰り支度を進めて、途端に屋敷は寂しくなった。
マリーヴェルがついて行くとか言い出すんじゃないかと心配していたが、流石にそれはなかった。
寂しがるかと思ったがそれもない。
数日の間だったが、両思いで見つめ合って話をするだけで、大いに心は満たされたようだった。
エイダンはマリーヴェルの部屋を訪れた。もうすぐ見送りの時間だ。マリーヴェルは椅子に座ってアルロのくれた花を見ている。エイダンはその対面に座った。
「マリー・・・幸せそうだね」
「ええ。すごく幸せ。私、前世でよっぽどいい行いをしたんだわ」
浮かれている。ものすごく。少し離れるのも耐えられないと言っていたのはほんのつい最近の話なのに。今ではもう、離れていても大丈夫と思えるほどになったという事だろうか。
でも、その様子を見ていると、兄としてはやはり心配だった。
「マリー。分かってる?アルロと結婚したら、マリーは王妃になるんだよ」
「まあ、そうね」
「イエナ様みたいなことを、しないといけないんだよ?異国の地で。法も、文化も違うところで。やっていけるの?勉強嫌いでしょ」
「お兄様。数学ができて、文学への理解が深いから国を治められるだなんて、私は思わないわ」
それは負け惜しみではなく。
「そういうたくさんの事ができる人が、たくさんの国民を殺して、悪習を生み出して、国を滅ぼしたじゃない」
痛いところを突いてくる。
「——もちろん、お勉強はするけどね」
マリーヴェルはやる気に満ちていた。今までになく。勉強に対することにここまでやる気を出したところを、エイダンは見たことがない。
「大切なことはシスイ先生から教えてもらうわ。お母さまから、ちゃあんとお勉強のスケジュールを組みなおすわねって言われたし。——あと三年でしょ?本気でやれば、できない事はないわ」
「何言ってんだよ・・・六年でしょ」
エイダンの声が、少し勢いをなくす。
本当に行ってしまうというのだろうか。
あんなに、自分の後をずっとついてきていたマリーヴェルが。勉強できなくたって、剣が扱えなくたって、ペンシルニアでずっと守っていくものだと思っていた、マリーヴェルが。こんなにあっさりと、そんな遠くに行ってしまうというのだろうか。
「お兄様」
マリーヴェルは肘をついて、エイダンを見上げた。
「覚えてる?私の反省文を書いた時の事」
何の事かと思ったら、マリーヴェルが暗唱した。
「義務を果たし、謙虚さを持って、王国の一員として——」
思い出した。マリーヴェルがお茶会でペンシルニアの権力を振りかざした喧嘩をして来た時。エイダンが代わりに反省文を書いた。
「よく覚えてるな」
「あの紙、お母様に、部屋の壁に貼られたのよ。信じられないでしょ」
ふふ、とマリーヴェルは笑った。
「それでね、最近考えてたの。私の義務について。お母様は、あの救護所の体制を整えて、公爵夫人としてだけじゃなく、ファンドラグにも及ぶくらい色々働いでるでしょう?でも、お母様って、いつも屋敷にいて、私、つまらないって思ってたの。私もきっと、同じ光だし、お母様みたいに屋敷から出ずにずっと暮らしていくんだって。そうして果たす義務って何なのよって。——でも、そうじゃなかった。アルロが変えてくれたの」
マリーヴェルの顔が晴れやかで。とても十一歳には見えなかった。本気なんだ。本気で、ブラントネルに嫁ぐ意味を考えている。
「私、それから、その義務をずっと考えてる。私の手の中にある、ペンシルニアの責任についても。——あのね。これは内緒よ、恥ずかしいから。私ね、勉強は苦手だし、努力するのも苦手。ペンシルニアの落ちこぼれって言われてるのも知ってる。——でも私」
マリーヴェルは少し小さな声で、しかしはっきりと言った。
「架け橋に、なれると思うの。私は魔力もないけど・・・この肩書だけで、アルロの助けになれるはずよ。アルロが作る国はきっと素晴らしい国になるでしょう?その手伝いが、ペンシルニアだから、私にもできる」
「マリー・・・」
以上!と言ってマリーヴェルは朗らかに笑った。
「マリーのそういう所、僕は、本当に、すごいと思うよ。——うん」
これは、反対なんてできない。止めることもできない。
エイダンはそう思って、長い間、マリーヴェルと一緒にガラスケースの花を見つめていた。