作品タイトル不明
9.カーランド邸
一方カーランド邸では、マリーヴェルはベラと二人、応接室で手を握り合って不安に耐えていた。
先ほどからマリーヴェルが一層深刻な顔をしているから、ベラは心配でならなかった。
ペンシルニアからの迎えはそのままカーランド邸に留まっている。もともと堅牢な屋敷の中だから心配はいらない、と言いたいが、きっとマリーヴェルが心配しているのはマリーヴェル自身の事ではないんだろう。
こういう時、無力な自分たちは、ただ邪魔にならないように黙って手を握り合っているしかない。少し前、ベラの父親も急いで登城してしまった。今は母と兄のトーマが忙しそうに屋敷で指示を出している。
「ワイバーンの時も・・・」
ベラはポツリと呟いた。
「こんな風だったけど、誰もが無事だったもの」
きっと大丈夫、そう言い聞かせたかった。
マリーヴェルはそんなベラの言葉に頷きながらも、そっと片手で首の後ろを触った。
先程から・・・。
この感覚には覚えがあった。
首の、この後ろの所がぴりぴりと刺激されたような、毛が逆立つような気持ちの悪い感覚。
「タン」
自分を迎えに来たタンは今は同じ部屋でマリーヴェルを護衛してくれている。ゲオルグは騎士団をまとめて共に屋敷の警備に当たっていた。
「はい」
「感じない・・・?」
「・・・・・」
タンは答えなかった。それでも長い付き合いのマリーヴェルには、タンが何かを感じていることが分かる。いつもより緊張した顔でいるのは、この非常事態のせいだけではないはずだ。
「ねえ、これって瘴気なの?」
「わかりません」
報せは届いていない。各自、無事だという事だけしかまだ知らされていなかった。
「でも、一緒よね。あの時と」
瘴気を出すのは闇の魔力だ。
そう思ったら、マリーヴェルは居ても立っても居られなかった。
「タン。ペンシルニアに戻るわよ」
「——こちらで待機するという、カーランド家のご判断です」
「マリー。外に出るのは危ないわ」
ベラがぐっとマリーヴェルの手を握った。その手に、マリーヴェルは自分の手を重ねた。
「ベラ、ありがとう。でも、帰れるようにお兄様が副団長までつけてくれたから。大丈夫よ」
「嫌よ、マリー」
ベラはマリーヴェルの性格をよく分かっていた。
普段なら、危険な事なんて絶対にしない。こんな時に敢えて帰るというのは、何か理由があるという事も。
ベラは何かを言いかけて、やめた。
宰相職の父を持つベラが、親友にさえ言えないことがあるように。軍事を預かるペンシルニアに所属するマリーヴェルにも、きっと言えないことがある。お互い、それは聞かないのが礼儀だ。だから聞かなかった。ワイバーンの事件の後も、何かあったのだろうとは思ったけれど。
「外に出るなんて」
「街を通って、家に帰るだけよ」
この騒動に、何か心当たりがあるようだった。
「誰の心配をしているの?だってアルロは・・・今、シャーン国にいるんでしょう」
ペンシルニアの育てた子がシャーン国の革命に加わっている、という事は周知の事だ。心無い人がアルロの事を不義理だなんだって言ってるのも聞いたことがある。
「ごめんねベラ」
マリーヴェルはベラを抱きしめた。ぎゅっと抱きしめ合って、お互いのぬくもりを確かめ合う。
「私、じっとしていられないの。何があったのか、全然分からないんだけど。確かめたいの」
ずっと連絡がなかったアルロが、こんな形で、まさかと思う。きっと違う。でも、やっぱり確かめずにはいられない。
ベラはマリーヴェルを強く抱きしめ返した。
「アルロはいつも私を助けてくれるけど。アルロを助けられるのも、私だから」
繋いだ手に、どちらからともなく力がこもる。
そういうところが、いいなって思う。女でも、非力でも。マリーヴェルはいつだって強くて、好きな人に一直線で。だからベラも、勇気を持って治癒師の道へ進んだ。
「わかった・・・わかったわ・・・」
ペンシルニアの騎士団なら、きっとマリーヴェルをちゃんと守ってくれる。
「——ごめんね、マリー」
突然の謝罪がなぜなのかわからず、マリーヴェルは不思議そうに体を離した。
「何・・・?」
「兄様からの、求婚状のこと」
「トーマからの?何が?」
「やだ、気づいてなかったの?当て馬作戦よ」
当て馬。——それは、ベラと一緒に読んだ小説に出てきた言葉だ。主人公とその相手の間に入って話を進展させる恋敵のような存在。
「アルロが嫉妬するように、差し向けたの。兄様はまだ相手もいないし、家柄だけで言うならいい好敵手っぽくなるかと思って」
そうだったのか。まったくそんなつもりだとは思わなかった。トーマは昔からの知り合いだったし、気心も知れている。いつも優しい。だから、その優しさで求婚状を送って、待ってくれていたのだとばかり。
「そのせいで・・・もしかして、アルロはペンシルニアを離れる決断をしたんじゃないかって——」
「やだ、そんな事気にしてたの?」
「だとしたら私、マリーにいくら謝っても足りないもの」
「ベラ、違うわ。言ったでしょ?アルロは私を護るために行ったんだって」
マリーヴェルは笑った。あの告白を信じて、ちゃんと待っていられる。ただ、心配なのだけは、どうしようもないから。
「ありがとうベラ。貴方が背中を押してくれてたのね」
こんな時にでも笑えるマリーヴェルはすごいと、ベラは思った。ベラは不安で押しつぶされそうだというのに。
「大丈夫よ。ペンシルニアは最強なんだから。あ——そういえば図書館の君は」
「あの人はタウンハウスを持ってないから寮生活よ、学園にいるだろうから心配いらないわ。——そんなことより」
ベラがそう言うと、ちょうどドアが開いた。
タンが伝えたらしく、ゲオルグが入ってくる。
「マリーヴェル様、帰りたいって・・・」
「うん」
マリーヴェルは力強く頷いた。カーランド家の厚意に甘えて留まっていただけだし、マリーヴェルが帰るというのなら、護衛をしながら帰るのは構わない。
もう少し落ち着いてからでも、と思うが、人の屋敷で守るよりはペンシルニアに戻った方が安心できるのも確かだった。
「わかりました。すぐ出れますよ」
マリーヴェルはベラともう一度抱き合った。
「ありがとう、ベラ。落ち着いたら遊びましょう」
「ええ」
見つめ合って、頷き合った。
「ご挨拶はまた後程。失礼いたします」
ゲオルグが言ったのは、いつの間にか扉の所に立っていたトーマに対してだった。
「うちの事は気にしないで。公爵様によろしく」
トーマは軽い調子でそう言って、出て行くマリーヴェルににこりと笑いかけた。
「マリーちゃん、気を付けてね」
「うん、ありがとう——あ、聞いたわ、ベラから」
「あー、作戦の事?」
「ありがとうございます」
マリーヴェルはぺこりと頭を下げた。素直なその様子にトーマは苦笑した。
「役に立ったみたいで、良かったよ。もちろん、本当に結婚しても良かったんだけど。マリーちゃんは魅力的だからさ」
「ありがとう」
社交辞令にお礼を言って、マリーヴェルはふと扉の入り口を見る。騎士らが集まって来ていた。
「ぐるっと街を見て回ってから帰るわよ」
「いや、まっすぐ帰りましょう」
「行くわよ」
有無を言わせない様子でマリーヴェルは馬車に乗り込んだ。護衛のことを思えば、駄目ですと跳ね除けて然るべきだ。が、どうにもゲオルグは逆らい難かった。
年々そうなっている気がする。
あの顔のせいだ。
やれやれ、とゲオルグは馬に乗り込んだ。
睨むように見るあの顔は、ライアスに似すぎている。