作品タイトル不明
4.デート
翌日、エイダンはアイラと共に馬で少し遠出をしていた。
半日近くかけて西へ西へと、特にあてもなく走り続けた。風を感じて走り景色が流れていくのを見るだけで、少し心が軽くなる。そしてアイラは黙ってそれに付いてきてくれていた。
朝から出発して昼になって、目の前に川が見えてようやく、エイダンは止まった。
鼻息荒くぶるるる、と言う馬の首を撫でて、馬を降りた。馬を繋いで水を飲ませて、二人で並んで岩に腰かける。
「——すっきりした?」
アイラがお弁当を差し出してくれた。
はっとしてエイダンはそれを受け取る。葡萄亭のサンドイッチだった。
「あ、ごめん。せっかくのデートなのに、僕・・・」
ひたすら走ってしまった。考え事をしていたら時間が過ぎていて。
「昨日、何かあったの?」
「ううん。予定通り終わったよ。——でも、そうだね、あの式典には、アルロと参加すると思ってたから・・・」
「やっぱり寂しかった?」
エイダンの先の言葉を拾ってアイラが言った。エイダンは苦笑する。
「うん。寂しかった」
「予定が狂っちゃったもんね」
ヘルムトの死は突然の事だった。
エイダンにとっては、青天の霹靂と言っても良かった。ライアスとシンシアは予想していたようだったが、それでも思っていたより早かった、というような言い方をしていた。
エイダンはサンドイッチを全部食べて、それを持ってきたお茶で流し込んだ。
大好きなアイラとの時間なのに、どうしてもシャーン国の事を考えてしまう。今何をしているだろう、アルロは。寂しく思ってないだろうか。
「手紙は?」
「来てるよ。でもアルロってさ、僕も知らなかったんだけど、筆不精なんだよ。マリーですら四行とかだよ。僕なんて、一行だよ」
「何て書いてたの」
「この前のは——元気です。寒くなってきました。だって」
「はは!一緒じゃん、ここと」
困った事も、怪我もないという事なんだと思う。でも、知らない人に囲まれて・・・いじめられたりしてないだろうか。
「アルロは、理不尽なことをされても、それを許しちゃうからさ」
エイダンが横にいて、アルロの代わりに拳を振るわなくてはいけないんじゃないだろうか。自分の代わりを、付いて行ったベンがちゃんとしてくれるんだろうか。
ベンからの報告書によれば、アルロはブラントネル王国の中で微妙な立ち位置にある、と言われている。
能力はまだ明かしていないが、黒髪黒目でまさかと噂されている人物。ヘルムトの客人という扱いだったのが、そのヘルムトが死んで、これからどうしていくのかお互いに窺っている中、アルロは沈黙を保っている——と。
闇の能力者だとか、影の大君だとか。それを明かすかどうかも重要な切り札として、アルロなら上手にするんだろうけど。
「もどかしいよ。この距離が。ちょっと見に行くくらいいいんじゃないかって思うんだけど」
一日では行けないから。シンシアの心配そうな顔が思い浮かぶ。
「そっか」
アイラは黙って聞いてくれていた。
アイラに丘の上で告白をしてから、約三か月。両親に将来を考えていると話したのはまだ先月の事だった。来年くらいになったら、本格的にペンシルニアに移り住んでもらおうという話になっている。まだ葡萄亭への挨拶も行けていない。
シャーン国の事が落ち着かないと、何となく次の段階に進む気にならなくて。
「アルロ君の事だけ?」
「え」
「ちょっと前から、エイダンずっと暗いでしょ。シャーン国の事で、気になってるのは、アルロ君が帰ってこないからっていうだけ?無事か心配だっていう」
アイラはようやくサンドイッチを食べ終わって、手をぱんぱんと払った。
じっとしていると寒いから膝に掛けていた毛布を、二人でくっついて肩にかけなおす。そのままエイダンに体重を預けてきた。
くっついていると、温かい。肩と腕から伝わってくる温かさがじわりと胸を温めた。
エイダンは、適わないなと思った。
「——ヘルムトっていう人だったんだけどさ」
「ブラントネル王国、初代国王陛下?」
「・・・うん」
エイダンは思わず笑いを漏らして——そのまま笑顔が乾いたように止まった。
なんて似合わない肩書きだろうか。
「掴みどころのない人で、いつものらりくらりとして・・・話す言葉の、何が嘘で本当か分からなくて」
「うん」
「僕は正義感に駆られていたんだ。アルロを護らなきゃって思っていたから」
「うん」
「僕は、あの人に・・・最後に掛けた言葉を思い出す」
意味のある言葉はなかった。意識して話していないから断片的にしか思い出せない。
はっきりと思い出すのは、ヘルムトが嘘をついたことだ。チキンサンドを食べたと嘘をついた。
エイダンはそれがいつものつまらない嘘だと思った。アルロはきっとその時、ヘルムトの体の不調を予測したんだ。
「僕にはアルロみたいな優しさはないから。自分の未熟さのせいで、気づけなかっただけで、ほんとにただの自業自得なんだけど。あれが最後だったなんてさ。それで後悔してるなんて、ほんと、自己嫌悪・・・」
そう思うと次第に話すのが怖くなった。慎重に言葉を選ばないとまた誰かを傷つけるんじゃないかと思う。
「これにショックを受けて落ち込んでる自分もさ、弱いよ。近くにいるアルロはどんな気持ちだろうって思うと、余計・・・。考えてみたら僕、近くの人が死ぬことってほとんどなかったから。ファンドラグ王国は平和だよね」
だからこの平和を守りたくて、もっと強くならないとと思う。結局はその結論に辿り着いて、訓練を増やすしかできない。そんな自分ももどかしかった。
その堂々巡りだ。
「エイダンは強いよ」
アイラがにっと笑うから、至近距離でエイダンはどきりとする。
「公爵閣下の次に」
「はいはい。まだまだ父上は越えられないよ」
アイラの中では王国騎士団は至高の職業で、その団長であるライアスは雲の上の存在だった。もちろん国内外から最強と謳われているし、ライアスの存在そのものが周辺諸国への抑止力になっているのは確かだ。一般的な国民の感想なんだろうけど、アイラにそれを言われると少し複雑だった。
アイラはくしゃくしゃとエイダンの髪を撫でまわした。
「ふふ」
「うわ・・・ちょっ、激し・・・」
犬にするように撫でまわされてエイダンは首をすくめた。
「——ふわふわ。エイダンの髪好きよ」
好き——その言葉にどきりと顔を赤らめた。
「髪だけ?」
もっと聞きたくて、エイダンがアイラの耳元で囁く。アイラはくすりと笑って、エイダンの胸に頭を預けた。
「はいはい、全部好き。私の前で弱音を吐くエイダンも、騎士団の制服を着てきりっとしたエイダンも、全部好き」
「僕も。アイラが好き。離れたくない」
そう言って抱きしめる腕に力を込めた。
こうやってくっついているだけで、幸せだし充電される。明日からまた頑張れる。アイラはやっぱり特別な力を持っているんだと、エイダンは思った。
「——例の夢は?どう?」
「アルロがいなくなってから、見なくなった」
「そっか」
もう一つの未来——かもしれない世界。
何度も繰り返し見ていた時は、それが現実なのか怖くなってアイラに吐き出したことがある。
アイラは黙って聞いてくれて、大丈夫、もう起こらない未来だよと断言してくれた。それからも夢を見る度に、不安になるたびに吐き出していたから、心配をかけたかもしれない。
「もし今アルロが魔王になってさ・・・」
夢の中での、アルロに出会ったとき、お前もだろうと言われたときの、打ち震えるような感動を今でも鮮明に覚えている。今は別の意味でアルロに共感、同調——この上ない親密さを感じているけれど。
「そしたら僕、きっとアルロは斬れないよ。絶対に、無理」
「世界が滅びるとしても?」
「うん、どうしよう・・・。無理かも」
「好きだねえ、アルロ君の事が」
アイラは笑い飛ばしてくれた。そんな未来はないから大丈夫と、ただの夢の話だというように。
「その前に父上を殴りに行くよ。母上にあんな悲しい顔をさせてる父上を」
この世界線がどこから変わったのかと思うと、やっぱりシンシアの未来視で、シンシアが変革した世界なのだろう。いったいどれほどの事をすれば、あの絶望的な世界をこんなにも強固な世界に変えられるのだろうか。
「やっぱり、最強は母上って事だよな」
「奥様、そんなに強いんだ」
「知ってるだろ?最強だよ」
「強い、のは何となく。でもいつもふわふわ笑って優しいよね。奥様って、怒ったりするの?」
「あるよ。大体はね、警告で終わるんだけど」
エイダンは怒られることも少ないが、マリーヴェルが小さい時はよく追いかけて叱っているのを見ていた。シンシアの、たまにある貴婦人らしからぬ部分だ。だいたいライアスがとりなして鎮火する。
「あ、でも本気で怒ると・・・」
ブリザードが吹き荒れるかのような静かな怒りをたたえ、本来癒しの魔力であるはずの光が、びりびりと警告を発しているように漏れ出る。
つい最近の事だ。笑顔なのに恐ろしく凍りついた空気に、ソフィアですら沈黙のダイニングで、子供らはライアスに視線を集中させた。
一体何をしたらここまで怒らせるのか、と。
ライアスはその時は視線を泳がせていたが、結局、エイダンの式典に仕事を入れたからなのだと後で分かった。
空気ってああやって凍るんだな、と実感した。
「公爵様より怖いんだ」
「それはそう。ペンシルニアの真の統治者だよ」
そう言って二人で笑い合った。