作品タイトル不明
45.動揺
「それってさ・・・」
切羽詰まっているアルロの顔を見るとどうにかしてあげたいと思うものの。
エイダンは葛藤した。
「——え、僕が言うのこれ」
一番反対していたはずの自分が?
いや、今でも反対しているのかと聞かれると、難しい。もうアルロはただの侍従じゃない。
これからペンシルニアで重職に就けば経済力を持つし、将来的にも有望だ。マリーヴェルを守る実力も、申し分ない。
何よりマリーヴェルが好きで、一緒に幸せになる未来が見えるような——見たいと、いつの間にかエイダンが思ってしまっている。
アルロを見れば、元気のない顔をしていた。エイダンは諦めに似た気持ちでそれを見上げた。
「アルロ、それさ——嫉妬じゃないの」
「しっと」
アルロが変な棒読みになった。
「マリーを取られたくなくて、トーマの存在が許せないんじゃないの」
「そん・・・」
そんな、自分なんかが。いつもならスラリと出てくるはずの言葉が出てこなかった。
取られたくないだなんて。
そんな、身の程をわきまえない独占欲のようなものを、本当に自分が?
そう思うのに、図星を指されたようで、妙にしっくりする感覚に愕然とする。
それを見ていたエイダンの方も、驚いてしまった。アルロがあまりにこの世の終わりのような顔をするから。
そんなに困ることなのだろうか。——まあ、あそこまで愛情表現をされても完全に受け流し、逆に忠誠を誓ったような男だ。自分の感情に全くの無自覚だったんだろうけど。
今まで見たこともないほどの動揺に、エイダンの方が心配になる。
「そんなに動揺しないでよ」
「僕は・・・」
アルロはまだ愕然としたままだった。放心状態に近い。
「僕は、姫様に誓いを立てたんです」
「——うん、知ってるよ」
「・・・それなのに、こんな邪な感情を抱いていただなんて」
——謙虚であり、誠実であり、礼儀を守り、貴方を守る盾となり、忠節を尽くす。
その誓いをマリーヴェルが受けてくれたというのに。
「邪って・・・嫉妬心を抱くくらいは、べつに邪じゃないんじゃない?」
アルロはその場に座り込んだ。本当に力をなくして、ショックを受けているようだった。
「姫様に対し、そんな感情を持っていては——お仕えする資格がありません」
「いやいやいや。待ちなよ」
「誠実であり」の部分か?それとも「礼儀を守り」の部分だろうか。アルロが騎士の誓いをどう解釈しているのか分からないが、とにかくその忠誠がとんでもなく崇高で清廉潔白でなくてはいけないと思っているらしい。
「愛してたって、忠節は尽くせるでしょ?」
「あい・・・?」
アルロはまた更に驚いてエイダンを見た。
混乱しすぎて、思考が停止しているのかもしれない。呆気にとられた顔をしていた。
アイラの事でエイダンの背中を押したのと同一人物とは思えなかった。
「取られたくないって、マリーの事が好きだからでしょ?それもさ、いつも言ってるお慕いしていますじゃなくて、恋情の方の、胸を焦がす方の好きね。愛してる、の方」
「あ、あい・・・愛して」
アルロはその言葉を噛みしめるように繰り返して、ようやく何かがつながったらしい。アルロの顔が見る見るうちに真っ赤になった。
アルロは色が白いから、赤くなると本当に真っ赤になる。そんなに赤面したところを見たのはエイダンも初めてだった。動揺しすぎて目がクルクル回ってるように見える。
「ア、アルロ・・・大丈夫」
駄目だ、ここで笑ったら駄目だ。男として。親友として。アルロがこんな反応をしたところを笑うな、僕!
エイダンは今までの葛藤や諦めの感情なんて吹き飛んですっかりおかしくなってしまって、奥歯で頬の内側を噛んで耐えた。それくらい、アルロが今までに見たこともないほど焦って慌てふためいているのが、おかしくなってしまった。
人間って、初めて恋を自覚するとこんな顔をするんだ。
それは、どこか壊れそうなくらい頼りなくて、泣きそうな、ひどくみっともない様子だった。それでもそれが両想いだと分かっているから、エイダンは嬉しかった。可愛い奴、と叫んで抱きしめて笑い飛ばしてやりたくなったくらいだ。
アルロはとうとう顔を覆ってしまった。
「——大丈夫?」
うつむいた首の後ろまで赤かった。
とりあえず待ってみると、アルロはしばらく経ってようやく落ち着いてきたようだった。
ゆっくりと顔を上げた顔は、ちょっと疲れているようにも見える。
「アルロ・・・そんなに難しく考えなくてもさ。一緒にいて、魅力的な人を前にしたら、誰だって恋慕の情を抱くのは普通の事じゃないか?健全なことだよ」
「・・・・・」
「それに、マリーはあれだけ可愛くて美人なんだから、無理ないと思うんだよね。ちょっと気は強いけど、その分懐に入った人には優しいし。勘は結構鋭くて、善悪の判断も独特だけど、それもなんか納得しちゃうしさ。マリーの小さい時、アルロも知ってるだろ?にいちゃ、にいちゃってたどたどしい口調で僕の後をついて回ってたんだよ。ほっぺなんてぷにっぷにで。ママの次に喋ったのもにちゃ、だったし。僕がいたら泣き止んでさあ——」
エイダンのマリー談義が延々と続いたので、アルロはようやく冷静さを取り戻した。
聞きながら、すっかり日が暮れて夜になったんだな、と暗い窓の外を見つめていた。
「——聞いてる?アルロ」
「はい。聞いてます」
アルロが平静に戻ったようだ。とにかく落ち着いて良かった、とエイダンは思った。
そろそろ夕食の時間だ。
「——だから、何が言いたかって言うと。愛情を邪にするかどうかは、その人個人の話なんだから。愛していたって憎んでいたって、心の内の感情はアルロだけのものだし、それを理由に相応しくないなんて事にはならないよ」
「僕・・・でも、今までのように姫様に、接することができるでしょうか・・・お話したり、ふ、触れたり——」
「いや触れなくてもいいだろ」
つい声のトーンが低くなって、エイダンはコホン、と気を取り直す。
兄としての自分と友人としての自分の塩梅が、難しい。
「その辺はさ、慣れだよ、慣れ」
片思い歴十数年のエイダンが言った。
「嫉妬もする。愛しもする。それでこそ人間だよね」
「愛って・・・。愛は、こんなにどす黒いものでしょうか」
アルロの中で愛というのは、ライアスとシンシアがお手本だった。ああいった、お互いを尊重し慈しみ合うのが愛なんだと思っていた。自分のこの感情は汚くて、こんなものが愛だとは思えない。
「いやいやいやいや。どろどろで、汚くて情けないものだよ」
「エイダン様も」
「情けないのはいつもだけど。僕はね、嫉妬するのは嫌だから、完全に排除してるけどね」
「え」
正々堂々告白するって言ってなかっただろうか。
「僕の話はいいんだよ。——やみくもに剣を振りますんじゃなくてさ、その気持ちに一度、よく向き合ってみなよ。闇のアレは、大丈夫なの?」
アルロはまだ少し気の抜けたようではあったが、はい、と頷いた。
たとえ思いを自覚したとして。
アルロは上の空で夕食を食べて、上の空で部屋に戻って。いつものルーティンでじっと課題のノートを開いているものの、全く進まない。ずっと考えていた。
エイダンの嫉妬だ愛だという言葉と。マリーヴェルの顔がずっと浮かんでくる。
——そう、たとえこの思いが本当に愛だったとして——だからといって今までとは何も変わらない。
ふとその考えにたどり着いたら、アルロは一気に心が軽くなった。
そうだ、思いを胸に抱いたまま、精一杯お仕えすればいい。愛しているからこそ、今までよりより一層献身的に、身を捧げることができるはずだ。
そう思ったら、どうしてもアルロはマリーヴェルに会いたくなった。今日はマリーヴェルの授業のない日だったので、まだ一度も会っていなかった。会ってもう一度この感情を確かめてみたかった。
思い浮かべただけで鼓動が早くなるが、実際に会ったらどうなのか、確かめたい。それで明日からの心の準備をしよう——そう自分に言い聞かせる。
本心では、ただ単純に自分に向けられる笑顔を見たくてたまらなくなってしまっただけだ。アルロ、と呼ぶ声が聞きたくて居ても立っても居られない。
アルロは今が遅い時間だという事も忘れて、ふらりと立ち上がった。
そのまま部屋を出て二階のマリーヴェルの部屋へと向かった。