作品タイトル不明
40.
サンはシャーン国の生まれで、孤児である。
黒髪とまではいわないが、焦げ茶の髪色をしており、それが暗いと言って捨てられた——らしい。そこからろくに食べられずに育ったから、今でも子供のような背丈だった。
ヘルムトに拾われるまで誰かと話したこともほとんどなかったから、今でもうまく会話が成り立たないようで、集団の中にいたら浮いてしまう。ヘルムトに、お前は物資の係に着けと言われ、今では他国を回って伝令役になっている。不思議と一人で回っていると、全然目立たなくて都合が良かった。もう何年もシャーン国には帰っていない。
「あ、怪しい者じゃないんですよ。だから殺さないでくださいね。お願いします」
ただ伝言を頼まれただけなのにこうして屈強の男たちに取り囲まれてがんじがらめにされて、サンは今にも気絶しそうだった。
「伝言があるだけだって言ってるのにこんなに警戒されるなんて・・・そんなに解放軍が信用なりませんか」
「解放軍が、と言うよりは、ヘルムトがね。随分と自由にうちの子供達の前で振る舞ったようだから」
「ひええぇ。ヘルムト様、一体何をしたんですかあ・・・」
「話が進まないわね」
シンシアは机の上に会計報告書を置き、トン、と指でその上から叩いた。
「貴方に与えられた時間はあと五分よ。その間に用件を言わないのなら、つまみ出すわ」
「五分ですって!——いや、十分です。ええと、ヘルムト様から伝言です。解放軍の事を知ってほしいから、まずは会計報告書を渡します。一度に渡すのはリスクが高いので、少しずつ。これを見て解放軍の全貌が見えてくると思うって、その課題も」
シンシアは眉を寄せた。
「——まだアルロを諦めていなかったの」
「いえ。これは、勧誘ではないと言ってました。もうやめるって」
サンはすらすらと言った。言われたことを伝えるのだけは慣れている。
「ただ、知ってほしいんだって。あと、文通したいそうです」
「——正気とは思えないわね」
アルロとの文通、もそうだが。
いくら詳細を伏せたり小分けにしたりしたとしても、会計報告書というものは、最高機密だ。
その組織の全貌が見えてくる。それをこうして渡してくるだなんて。これが敵の——シャーン王朝の手に渡れば反乱軍は一夜で壊滅するかもしれない。
サンはそこまで分かっていないようだった。
「手紙は宿に言づけておいてください。定期的に覗きます」
話がいまいちかみ合わないまま、ぺらぺらと話し続ける。
「何て言いますか・・・ヘルムト様、すごい人なんです。僕、あの人の演説聞いて漏らしそうになったくらい。——あ、出てないですよ。それで、あんな無茶な人だけど、あの人がいないととっくに国は滅びてただろうし。だから、その・・・ん?何が言いたかったんだったろう」
サンの言葉をシンシアは聞いていなかった。手元の会計報告書を何気なく眺めていた。
「——聞いていた解放軍の規模からすると、圧倒的に食料が足りていないようね。諜報費にお金をかけすぎなんじゃないの」
シンシアは少し考え込んだ。そして約束の五分になった頃。サンに再び視線をやった。
「ヘルムトに会ったら伝えなさい。ペンシルニアに作りすぎた大麦があるから、欲しければ取りに来なさいと」
「奥様・・・!」
「直接、本人がね。ライアスのいる時によ」
サンは驚いて、目をまんまるに見開いていた。口まで開いている。
「そんな・・・本当に?——し、支援して・・・頂けるのですか」
大麦一袋を手に入れるのに、サンがいつも、一体どれほど苦労して駆け回っている事か。食料となると、どこも一番出し渋るものだ。
サンはその場に倒れ込むようにして、頭を床にこすりつけた。
「ありがとうございます・・・!」
「それほど多くは渡せないわよ。大きく物資が動けば目をつけられてしまう」
「かまいません・・・!——ああ、神様・・・!」
両手を挙げて、拝むように手を組んだ。
「ペンシルニアには神の御遣いがいると聞いていました。貴方様でしたか・・・!」
対してシンシアの声は冷静だった。
「そう簡単に人を崇めない方がいいわよ。施しを与えたその手で、貴方たちの息の根を止める準備はいつでもできているのだから」
「・・・・・」
涙に濡れたサンの顔は、シンシアを呆けたように見つめた。
「——用件は済んだわね。さあ、帰りなさい」
シンシアが合図をして、騎士等がサンを連れ出していった。
後に残ったのはアルロだけだった。アルロはちらりとシンシアの持っている会計報告書に視線を落とした。
「——よろしかったのですか」
大麦を渡す、といった事だ。もしかすると火種にもなりかねない。とても危険なのではないのだろうか。
「実は、どうにか・・・したいと思っていたのよ」
シンシアの憂い顔は、もう随分前から実は決めていたかのようだった。
「難民が少しも流れてこないと思っていたら、国境手前で虐殺されているでしょう?」
何と言ってもシャーン国はかつての戦争の相手国だ。まだ記憶に新しい。心境は複雑だし、表立って支援をすれば多くの国民は反対するだろう。だからこそ、どうするか悩んでいた。
「わかっているの。自己満足だし、焼け石に水よね」
それでも、すぐ隣で何万と言う死者が出ているというのを聞くと、どうしても放っておけなかった。ライアスも賛成してくれていた。
「だからね、アルロ。こういうのを考えるのは大人の仕事だから」
そのまま預かられると思っていたら、シンシアは会計報告書をアルロに渡してきた。驚いて受け取れずにいるアルロの肩を、シンシアは空いたほうの手で叩いた。
「アルロ。知りたいのなら止めないけれど、自分が何かしなければなんて、思わないで頂戴ね」
「・・・はい」
「あ、できれば、それの写しをもらいたいわ。今後の参考に」
「もちろんです。・・・僕が、持っていてもいいのでしょうか」
「貴方に来た手紙じゃない」
たとえ誰からでも、受取人であるアルロより先に見たり、無理に内容を聞き出したりはできない。
その代わり、必ず相談をするように念を押す。
「——やっぱり、革命家の言葉って、親としてはすごく心配なの。だから、本音を言えば、手紙は全部見せてほしい。それから、あの者達の言葉を聞いて、貴方がどう思ったかも教えてほしいと思っているの」
「僕は・・・」
アルロは表情の動かないまま、少し止まった。
シンシアは待った。
「初めは・・・変な人だと思いました。僕は絶対にここを離れる気はないのに、話の通じない人だなって。僕よりもエイダン様の方が怒ってくれたりしたので、ありがたくて。——特に感情が動かされることもなく、感銘を受けるようなことも皆無でした」
「そう」
「でも・・・実はこの前、母を探すから手を貸せと言われたときは、何かどす黒い感情が・・・それが何か、うまく言えないです。——でも、姫様が手を握ってくださって。僕は、ペンシルニアで居場所があって、たくさんの大切なものを知ったから。母のことはもう、何とも思わないって、気づきました」
「そう・・・」
「それで、今は・・・少しだけ、知りたいと思っています」
シンシアはそこまで聞いて、少し嬉しそうに笑った。アルロは自分の気持ちを表現するのが苦手だから、何も言えないかもしれないと思っていた。
「上手に自分の考えを教えてくれて、ありがとう」
シンシアは嬉しくてつい、アルロの頭を撫でた。
「気持ちに全て名前がなくても、それが嫌なのかどうかが分かれば上等よ。もちろん名前があればすっきりはするだろうけど。なんだかもやもやして嫌な感じ、それで十分だと思うわ」
負の感情に名前を付けて振り返れるのなんて、人生の熟練者だ。
「良かったわアルロ。貴方がここを居場所と言ってくれて、それが何より嬉しい」
アルロは少し迷ってから、会計報告書を受け取った。
「少し、調べてみようと思います。居場所はここだけど、だからこそ、出身国の事なので」
「わかったわ」
シンシアはじっとアルロの黒い瞳を見つめた。
「新しい課題が見つかったのね」
多分、大丈夫。アルロの顔を見ていたらそう思えた。