作品タイトル不明
39.求婚状と会計報告書
この日、マリーヴェルの勉強部屋に二つの手紙が届けられた。
マリーヴェルにはカーランド侯爵家からの求婚状。
アルロには、匿名からの謎の会計報告書だった。
二人揃って難しい顔になった。
「・・・・・」
「・・・・・」
自習時間である。いつまで部屋にいるかわからなかったから、手紙を仕分けた執事が気を利かせて持ってきてくれた。
ひとまず自分の手元の手紙は置いておいて、アルロはマリーヴェルの手元の手紙を見た。
カーランド侯爵家の紋章が押された、正式な文書だった。
マリーヴェルの手元まで届くのは珍しい。普段はいつも、シンシアがお返事しておくわね、と処理しているから。補佐としてその手伝いをしたこともある。
仲の良い家門だから、やはり特別なのだろうか。
アルロの視線を感じて、マリーヴェルは手紙を読んでいた手を止め、折りたたんでまた封筒に戻した。
「お返事を書きますか?」
それなら手紙のセットを持ってこようかと思ったが、マリーヴェルは首を振った。
「少し、保留にしておくわ」
アルロは少し驚いた。
マリーヴェルが婚姻に対し、即刻断りを入れないのは初めての事だった。
ふう、と息を吐いて手紙を箱に片付けている。その表情は珍しくアルロには何を考えているのか読めなかった。
「姫様・・・」
「ん?」
「保留って——」
そこまで言って、アルロははっとした。
これは、侍従として行き過ぎた質問だ。しかしマリーヴェルは少しだけバツの悪そうな顔をしただけで答えてくれた。
「返事はしなくていいって書いてあるから、そのお言葉に甘えるだけよ」
「そうですか・・・」
今まではそう言ってもすぐに断っていたのに?——そう思ったが、それもさすがに聞けない。
「トーマとは・・・長い付き合いだから・・・私の事、よくわかってる」
「それは、どういう・・・」
「うーん。多分、私が魔力が少ないせいで、嫁ぎ先に困ったら可哀想だから、保険として待っててくれるっていう意味だと思うの」
「・・・・・」
「ベラは面白みがないとか、堅物って言うけど、トーマはね、私には優しいの。いつも」
手紙には本当にただ、返事はいらないし、成人するまでは結婚しないで待っているから、その間に考えてくれとだけ書いてあった。あのカーランド侯爵家の後継者の婚姻を、そんなあと八年も宙ぶらりんで待つだなんて言ってきた。
きっと、この上ない相手だ。婚姻相手としては。ただ、そこに気持ちがないだけ。
——いつかアルロへの気持ちが整理できたら、そういう未来もあるのかしら。
ずきりと胸が痛くなって、マリーヴェルは首を振った。
「私の話はいいわ。アルロの手紙は何だったの?」
「あ、その。誰からなのか・・・書いてないのですが」
「え、また変な手紙じゃないわよね」
アルロには時々、ちょっと粘着質な手紙や求愛の詩文が書かれた手紙が届くことがある。変なものほど匿名だから、即座にシンシアが対応しており、そういう時はすぐに提出するように言われている。
「それが、報告書でした」
「——は?」
アルロはマリーヴェルに書類を渡した。
実に十枚近くに渡るその書類は、何かの会計報告書のようだという事は、わかった。
品目は多岐に渡り、統一性もないようなもののような気がする。数年間の大まかな記録のようだが、タイトルがないからどこの団体の報告書なのかも謎だ。
「なにこれ・・・さっぱりだわ」
マリーヴェルには数字の見方も良く分からなかった。
「あ、一枚目にあるのが勘定科目だと思うんです。補助簿がないのでわかりにくいですが、それを手掛かりに二枚目以降を見ると、複式簿記で記載されている項目が並んでます。そうすると単式簿記よりもお金の流れがわかりやすいんです。ただ、その分、取引の事を理解していないと難しくて・・・」
解読には時間がかかりそうです、と言おうとしてマリーヴェルと見ると、気の抜けた顔をしていた。
あ、これは、全く意味が分からなかったときの顔だ。アルロはしまった、と思った。
数学はマリーヴェルの最も苦手とするところなのに、目の前の書類に気を取られて説明を省きすぎた。
「あ、その・・・項目が、食糧が最も多くて、次にこれ、多分人を雇うお金だと思うんですよね。諜報活動費っていう意味かな。そして武器、次に生活用品。一見するとどこかのちょっと田舎の貴族家門の帳簿に見えなくはないんですが・・・多分この食料医薬品の配分の変化を見ると、去年と一昨年の、シャーン国の革命軍の会計報告書ではないかと」
「ふうん・・・」
マリーヴェルの反応は薄かった。
「え!シャーン国!?」
マリーヴェルがやっと頭の理解がそこだけ追いついた時。部屋にまた、今度は執事長が訪れた。
「——アルロ君、いますか?」
「はい」
「奥様が執務室に来るように、と」
ちょうどよかった。この手紙の事を報告しなくては。
そう思い、アルロは難しい顔をしているマリーヴェルに挨拶をして部屋を後にした。
シンシアの執務室には客人がいた。
客人と言っても、両隣をペンシルニアの副騎士団長含む上級騎士三名に取り囲まれた物々しい雰囲気だった。
「ああ、アルロ。ごめんなさいね、自習中に」
「いいえ、もう終わりました」
シンシアはソファに掛けており、アルロに隣に座るように言った。客人はその向かいのソファの更に向こうに立って拘束されていた。
「えっと・・・」
「ああ、あちらは、ヘルムトの部下らしいの。ライアスがいないから帰ってもらおうかと思ったのだけど、貴方に手紙を送った件についてって言うから、それだけ聞いておこうかと思って」
「あ、これですね」
アルロは持ってきていた手紙をシンシアに渡した。
「あの・・・僕、サンって言います」
か細い声だった。
きっと兵士ではないのだと思う。気の弱そうな声で、体つきもひょろりと細い。
「発言を許可した覚えはないわよ」
シンシアの毅然とした態度に、そのサンと言う男は顔を青ざめさせて落ち着きなく辺りを見渡した。
平民なんだろう。貴族の屋敷に来ること自体初めてなんじゃないだろうか。
「うぅ・・・だから嫌だったんだ、ここに来るの・・・ああ、今日が僕の命日になるんだ・・・。あ、いた、痛いです、腕が・・・違う、そっちの毛むくじゃらの人が持ってる手・・・何食べたらそんなにムキムキになるんですか。もう、こわいいぃ」
もはや半泣きである。毛むくじゃらと言われたゲオルグが嫌そうな顔をしている。
シンシアはやれやれとため息をついた。
「緩めてあげて」
「しかし・・・」
「大丈夫よ。このままじゃ話にならないから」
シンシアの指示に、騎士二人が下がり、ゲオルグ一人でサンを拘束した。
シンシアはじっと会計報告書を見てから、やがてサンに視線だけ向けた。
「——あ、その手紙。無事届いたんですね。良かったあ。ヘルムト様、届く前に検閲されたり、破り捨てらるか五分五分だって言ってて」
発言を許可していないというシンシアの警告はもうすっかり忘れているらしい。
サンは相変わらず小さな声だったが、ぶつぶつと喋り続けた。
「ヘルムト様が直接来られればよかったんですが、あの人いま、王都を離れて廃材を仕入れに行ってるんです。なんか巨大竜巻が起きた所があって、家屋が倒壊してるって」
先月、とある伯爵領のある村が壊滅的な被害を受けたと聞いている。そこを片付ける代わりに木材を譲り受けるつもりなのだろう。
忙しくしているようだ。
「僕が行くって言ったのに、お前じゃ舐められるからって。そんなこと言ったら僕何もできないじゃないですか。それでいっつも、こうやって伝令役なんです。目立たないからって・・・それが僕の悩みです」
部屋の中に、白けた空気が流れている。それに気づいていないのはサンだけだ。
さて、これをどうしたものかしら。これはいつ用件にたどり着くのかしら。
シンシアは久しぶりに頭痛を感じた。