作品タイトル不明
31.
夏も終わりに近づいてきて、うだるような暑さを感じる日は減って来た。
外に出ていても、木陰であれば少し涼しく感じる。
ソフィアの猫のネロはすくすくと成長し、長い尻尾を揺らしながら庭園を歩き回るようになった。
アルロは通りがかり、噴水の側でネロを見かけて、何気なくその姿を見守っていた。そのうち屋敷に入るために玄関や窓の辺りで人が通るのを待っていたりする。中へ入るのなら手伝おうかと考えた。
それまで噴水から水を見ていたネロが、急にそこから飛び降りてゆっくりと歩き始めた。
足取りに迷いはなく、一見すればただ散歩をしているだけのような。しかし普段は行かない、裏庭の方へ向かっている。
どうしたのかと思い後を追った。
ネロは裏庭を抜けて、あまり使われていない通用門の方へ行った。塀に囲まれた屋敷の内、使用人が使う鉄の門だ。施錠がされていて鍵がないと出入りはできないので、見張りの騎士も常時はいない。
「ネロ・・・!」
人は通れない鉄格子の隙間から、ネロはするりと体を外に出した。
こんなに躊躇なく外に出るようになっていたのだろうか。屋敷内だけでも広いから、ネロはそこを散歩して帰ってくる毎日だったのに。
追いかけようか、でも鍵を取りに行っていたら見失うかもしれない。
どうしようかと思っていたら、ネロは外にいる人影にさっと抱き上げられた。
「あ・・・っ」
「——やあ、また会ったね」
ヘルムトだった。
近づこうとしていた足を止めて、アルロは思わず眉を寄せた。
「ここで、一体・・・」
「かわいい猫ちゃんが出てきたから捕まえただけだよ」
こんな事なら、この男について聞いていた方が良かっただろうか。
警戒するべき人物で、直ちに誰かを呼ぶべきなのか、迷う。
「うちの猫なので、返してください」
「この子は私がいいみたいだよ?ねー、ネロちゃん」
「・・・名前・・・」
やはりネロの名前を知っていたようだ。
怪しいとは思いながらも、悪意が見えないから困惑する。
ネロはソフィア以外にあまり抱っこされないのに、ヘルムトには大人しく抱かれていた。
その喉を撫でる仕草で動いたネロの顔、一瞬そのネロの目を見て——アルロはぎょっとした。
その目が虚ろで——操られている。そう思って見ると、確かに闇の魔力が感じられた。あまりにも微細で気づかなかった。
「それ・・・」
「ん?なんだい?」
「その猫、貴方が・・・?」
「ははっ、やっと気づいた?」
ヘルムトはそう言って笑った。
「同じ属性なのに、気づくのが遅いよアルロ君」
「——返して下さい」
男は相変わらず穏やかに笑っているのに、アルロの背筋は寒くなった。
「返してあげるから、私とちょっと、話さないかい?」
「話があるのなら、どうぞ」
「いやあ・・・ここじゃちょっと。待ってるからついておいでよ」
鍵を持ってきて、ここから出て来いという事だろうか。
今は屋敷内だから、アルロを監視している影が側にいるのかどうか分からなかった。ヘルムトが出てきてもまだ姿を現さないという事は、もしかしたら今はいないのかもしれない。
「僕は、勝手に外に出るわけには」
「子供かよ」
ヘルムトが挑発的に言うが、アルロは取り合わなかった。
「子供ですし、僕に何かあれば心配を掛けてしまいますから。——お話があるのなら、正々堂々訪ねてきてください。ネロ」
呼ぶと、あっさりネロの術は解けた。いざとなればアルロの魔力でヘルムトの操作を押しやろうかと思ったが、ほとんど魔力を使わなくてもネロの術は解けた。
ネロの信頼がアルロに向いて親和性が上がったからか、ヘルムトの魔力が低いかだろう。
ネロがヘルムトを後ろ脚で蹴って飛び降り、またするりと鉄格子を抜けて屋敷内に入ってくる。
アルロは少しほっとした。
「正々堂々、ねえ・・・。会わせてくれるかなあ。別に私は君達に危害を加えるようなことはないんだけどさ・・・」
ぶつぶつと言っているのが独り言なのか何なのかわからなくて、アルロはそっとその場を離れた。
その足でライアスの執務室を訪ねようと向かっていると、ちょうど執務室の一歩手前でエイダンとすれ違う。仕事帰りなのか、王国騎士の制服のままだった。
「あ、アルロ!——ねえ、来週一緒に野営訓練しない?」
「急ですね」
エイダンの誘いは突然なことが多いが、泊りの予定は初めてである。
「五人位で行くことになったんだけどさ・・・。これが結構いい訓練になるんだよ。獣を狩って、天幕張って一晩泊まるんだ。アルロ、まだ行ったことなかったでしょ?」
騎士訓練のうちの一つだ。アルロはまだしたことがなかった。
「はい。エイダン様、野営訓練がお好きだと言ってましたよね」
「うん。好きだったんだけどね・・・。去年くらいまでは」
なにやら含みのある言い方だ。アルロは首を傾げた。
「天幕は二人で一つなんだ。——ねえアルロ、僕と一緒の天幕に寝てくれない?」
「え、タンさんは」
「駄目なんだよ、タンは!冷たいから」
「冷たい・・・?」
タンはいつも優しい。世話焼きで、兄のような人だ。アルロの中で冷たいという印象は全くなかった。
「今回さ、オレンシアもメンバーなんだ。——あの人、絶対怖い話するんだよ。夜、焚火の前で」
「ああ・・・」
そう言えば、何か怖い話をされたって言ってたような気がする。
「この前、歯を磨く前だったのにそれされてさ。嫌でしょ?怖いでしょ?だから一緒に水場に歯を磨きに行こうって言ったら、タン、何て言ったと思う?眠いから一人で行ってください、だよ?信じられる?僕の侍従なのに」
エイダンは珍しく興奮していた。まくし立てるように言い募られて、アルロは言葉を探した。
「あ・・・その、危険がないと判断されたのでは。エイダン様は強いから」
「アルロ・・・違うよ。面倒なだけだよ絶対」
そこまで言って、エイダンははっと我に返って、時計を見た。
「あ、行かなきゃ。——とにかくさ、来週!開けといて。父上はいいって言ってたよ。あの馬で行ったらいいじゃん、ね?」
マリーヴェルにもらった馬とは、今の所順調に足並みをそろえて訓練できている。比較的従順に言う事を聞いてくれる馬だった。初めは反抗的なこともあったが、三回ほど短時間操作したら、その後ぴたりと反抗することはなくなった。敵わないと思っているのだろう、賢い馬だ。
「わかりました」
訓練としても長距離の移動は魅力的で、アルロはそう返事した。
外に泊まるっていうのは、少し楽しみだ。
そんな話をして別れたら、ライアスの執務室に向かう騎士がアルロを追い越した。
「公爵様」
ノックをして、執務室の扉を開ける。
「——客です」
「客・・・?」
中からライアスの声が聞こえる。騎士はドアの外からそのまま答えた。
「ヘルムトと名乗っています。シャーン国の商団主と名乗っていますが、荷物はなく手ぶらで。ご存じですか」
しばらく沈黙の後、ライアスが現れた。アルロにも気づいて遠くから目が合う。
「——アルロ、どうした?」
「あ、あの・・・そのヘルムトって人に、さっき裏門で声を掛けられたので、ご報告に」
「ふむ・・・」
ライアスは少し考えて、騎士に指示を出した。
「魔力無効化の魔道具を作動させてから応接室に通し、上級騎士を二名つけておいてくれ」
随分と厳重だ。驚くアルロへ、ライアスは手招きをした。執務室へ入れという事だろうか。恐る恐る入ると、執務室には誰もいなかった。ライアスが扉を閉める。
「——ヘルムトは何と?」
「話があるから来いと言われたので、向こうから訪ねるように言ったんです」
まさかこんなにすぐ訪ねてくるとは思わなかった。
「あの、公爵様、あの男・・・」
魔道具を、という話をしているという事はライアスも知っているのだろうか。
「ああ、以前も街で会ったんだろう?影から聞いている。——あいつは、シャーン国の反乱軍の頭目だ」
反乱軍の。
アルロは驚いてぽかんとした。
そんな人が、一体なぜ。
「あの人の、魔力属性を・・・ご存じなんですか」
「いや、情報がないから魔道具を指示しただけだ。能力は得体が知れないとしか聞いていない。使う所を見た者がいなくてな」
「あの人は・・・闇魔力です、多分」
ライアスが驚いたように、かすかに目を見張った。
「何だって」
「ネロを操っていました。すぐに解けましたけど・・・」
ライアスは難しい顔で少し考え込んでいた。