作品タイトル不明
30.アルロ15歳誕生日
マリーヴェルは基礎教育をようやく終えて、最近は授業も専門的な科目に移行した。
一番成績がましだった社会関連の科目を中心に、ということで、家庭教師のシスイの授業だけ続けられている。
数学や文学は壊滅的だったので、基礎教育だけでいいだろうということになった。マリーヴェルにとってはこれが一番嬉しかったことだ。
比較的関心のある所から、なんとか知識に繋げていくというのは、シスイにとって挑戦であり重労働ではあった。しかしそれが、近頃楽しみになりつつあるのだから、自分は根っからの教師なのかもしれないと思い始めているところだ。
マリーヴェルの無茶にも慣れてきたと最近では自負している。
「先生、質問です」
授業終わり、マリーヴェルがすっと手をあげた。
「はい、なんでしょう」
マリーヴェルの質問は珍しい。この期待に何度も裏切られたというのに、こう言われるとシスイはつい喜んで聞いてしまう。
しかし今日はなかなかいい質問だった。
「ヴェリントとの国交が断絶したら、何に困りますか?」
「断絶とは、穏やかじゃないですね」
シスイはまだ、例の一件を知らない。
隣で聞いていたアルロは少しびっくりしたが、マリーヴェルは疑問に思った事を尋ねただけ、と言う様子だ。
「あそこの姫とは気が合わなさそうだから、聞いてみただけ」
シスイはいつものマリーヴェルの思いつきかと思ってそれほど気にする様子はなかった。
「うーん・・・一番はやはり、鉄でしょうか。向こうも、こちらの支払うお金は大きな収入源だから困るのは一緒ですけど」
「鉄がないと、うちは困りますか?魔石じゃだめかしら」
「いいですね。では、次の課題にしましょう。ヴェリントの鉄が輸入されなくなった時の影響と対策について」
マリーヴェルは嫌な顔をする。今答えてくれればいいのに、と思っている顔だ。
「そのためには、我が国においてヴェリントの鉄がどのくらいの比重で使用されているのかを調べてくださいね。無くなった時の我が国における影響と、それに代わる物に何があるのか。それらが分かれば、自然と見えてくるものがあるはずです」
「・・・はぁい」
マリーヴェルは珍しくあっさりと返事した。今回は興味があるのだろうかと思い、ちょっとホッとして、シスイは教科書を片付けた。
「ではアルロ君は、このあと一時間後に、また」
「はい。よろしくお願いします」
このあと一時間の休憩を挟んで、アルロの授業である。
シスイが出て行くのを二人で見送って、アルロはマリーヴェルの片づけを手伝おうと手を伸ばした。
「あ、待って」
マリーヴェルはカタン、と椅子を押して立ち上がった。
「この後、今日はもう会えるかどうか、わからないから。ついてきて!」
そう言って、マリーヴェルがアルロの手を引いて立ち上がらせた。
そのまま楽しそうに手を引いて駆け出す。片付けもできていない部屋が気になりつつ、アルロは黙って付いて行った。
連れてこられたのは厩舎だった。
普段マリーヴェルのあまり立ち寄らない所だ。
馬の独特の匂いと干し草の匂いが混じって、つんと鼻にくる。
「姫様・・・」
マリーヴェルの着ている華やかなドレスとこの場所が不釣り合いで、アルロは大丈夫かと思って声を掛けた。
マリーヴェルが立ち止まったのは、厩舎の真ん中あたりで、一頭の若い馬の前だった。
「——この子ね、お父様の愛馬が一昨年産んだ馬なの」
紹介された馬は、一目見て名馬だと分かった。筋肉の付き方もバランスが良く、脚が太くて首も太い。黒い大きな目がこちらを品定めするようにひたと見つめてきて、怖じる様子もなく肝も座ってそうだ。
「良い馬ですね・・・」
「そうらしいの!わかる?」
「はい」
毛色は青毛だ。全身真っ黒で、目の周りだけ唯一白い毛がある。明るいところから暗い厩舎を覗くと、一見していないのかと思う程黒い。
その青毛と言う呼び名にふさわしく、艶やかに黒光りしすぎて、陽の下では青く見えるだろう。
「誕生日、おめでとうアルロ!」
「え・・・」
まさか。
まさかと思い、アルロはマリーヴェルを見た。
マリーヴェルは嬉しそうに満面の笑みだった。アルロの反応を楽しんでいるようだった。
「この子が、私からの誕生日プレゼントよ」
「えっ・・・・」
アルロはマリーヴェルと馬とを見比べた。
誕生日プレゼントというには、あまりに高価な・・・。
「姫様・・・僕には、身に余る贈り物です・・・」
馬というのがどれほど高額で、飼うのにもどれほどお金がかかるのか、アルロは正確に知っている。しかもこの馬は血統の良い軍馬という事だから、その額は計り知れない。マリーヴェルのお小遣いでも買えないはずだ。
「それが、この子ね、本当は軍馬にしたかったんだけど、ちょっと気難しいところがあってね」
マリーヴェルが一歩馬に近づくと、馬はマリーヴェルの髪や肩に鼻を近づけて、ふんふんと鼻息荒く匂いを嗅いでいるようだった。そうしてみるとよく人に馴れているようだ。
「騎手を選ぶの。アルロならきっと乗りこなせるかなと思って。いざとなれば——ね?」
マリーヴェルはアルロの能力のことを言っているのだろう。騎乗のたびに操るというのもどうかと思うが、この馬の潜在能力はかなり高い。長時間駆けても疲れない馬なら、そこまでしてでも乗る価値がある。
「——あ、でも、もし無理でも、普通に飼っても可愛いでしょう?」
ぶるるるる、と馬は鼻から荒い息を吐き出した。こちらの会話が分かっているかのようなタイミングだ。
マリーヴェルは笑ってその鼻筋を撫でた。この馬は仔馬の頃からよくリンゴをあげて可愛がっていたから、それなりに懐いてくれている。ちょっと大きいし軍馬は危ないので乗ったことはないのだが。
実は、この贈り物の意図は別のところにあった。
マリーヴェルはアルロに、外に出てほしかった。
ヴェリントの一件以来、いまだにアルロへの護衛は続いている。ライアスに聞いても、いつそれが外れるという事すら分からないと言われた。
アルロがそれに遠慮して屋敷に閉じこもっているのも知っている。
やっと一人でふらりと街に行ったり、あてもなくぶらぶらする、ということをし始めたところだったのに。
そう思って、街へ何度かお遣いを頼んでみたものの、アルロは直行直帰して、寄り道もしない。お遣いにも騎士が一人アルロにつくから、遠慮するのだろうと思う。
護衛がいたって、自由に外に出てほしかった。
ペンシルニアの子供は、護衛をつけて街を歩くのは普通の事だ。アルロだってそれが自然の事だって思えばいいのに。——でも、そう思えないだろうという事も分かる。
だから、馬がいたら、馴らすためにも野駆けに行ったり、少しでも外に行けるだろうかと思った。
もちろん、ただ単純に、そろそろ自分の馬を持ってもいい頃だと思ったのもある。
「——馬は、負担だったかしら」
心配そうに尋ねるマリーヴェルに、アルロは慌てて首を振った。
「負担だなんて!もったいないですけど、本当に嬉しいです。——可愛いです」
アルロが手を伸ばそうとすると、馬はわざと顔を上げてアルロを見下ろした。撫でさせる気はないようだ。
そんな反抗も可愛く思える。
動物は、素直だ。賢い馬は特に、相手が強ければ自然と従う。この馬はきっと、とても優秀な相棒になってくれるだろう。
アルロしか乗れないから遠慮しないで、というようなマリーヴェルの言い方も。十五歳という時期に馬を贈ってくれるという気遣いも。
マリーヴェルはいつもアルロの想像を超えた事をしてくれる。
「ありがとうございます。姫様、大切にします」
アルロがそう言ったから、マリーヴェルはまた嬉しそうに笑った。
「うん。——さて。じゃあ、私お父様の執務室に行ってくるから」
「何かご用事ですか?」
「うん、今日の課題」
「課題・・・」
「この前の一件があったから、色々動いてるでしょう」
ヴェリントに関する課題を、そのままライアスに聞きに行くつもりらしい。
「え、公爵様にお聞きになるのですか」
「だってもう実際にやってるんだもの。それを私がもう一度調べる必要ある?」
マリーヴェルは何を当然のことを、とでも言うように首を傾げた。
「そうですが・・・先生は、姫様にご自分で調べて考えて欲しいのでは」
「ええ。だから自分の足で行ってくるわ。一番効率的な方法を取るのは、戦略の基本。でしょう?」
じゃあね、と言ってマリーヴェルは軽快な足取りで、鼻歌を歌いながら去って行った。