作品タイトル不明
28.
晩餐会の翌日、予定を繰り上げてヴェリントの一行は帰路に就いた。
警戒していたような抵抗は一切なく、慌ただしく、逃げるようにファンドラグを去っていった。それには王国騎士団がまるで囚人の護衛のようにしっかりと前後左右を固めて、丁重に国境まで送り届けた。
策略の破れたヴェリントにそれ以上何かをする意思はなかったらしく、尾を下げ耳を垂らした獣のように、大人しく帰っていった。
そうしてファンドラグには表向き、また平穏な日々が戻った。
シンシアはソフィアに改めて能力のことを聞いた。しかし、分からない、知らない、そう思っただけ、とのことで。ぼんやりとしてよく分からなかった。
「じゃあソフィア、また何か 分(・) か(・) っ(・) た(・) ら、教えてね?」
「うん。でも、あんまりないのよ?それが分かってたら、ソフ——わたし、あの時もっと早く気付けたもの」
あの時——それはあの乳母の事だろうか。
ソフィアの一人称の言い直しを聞いて、シンシアは短くなったソフィアの髪にそっと触れた。ふわふわだった髪が、今は短くなってツンツンしている。
「ねえソフィー。急がなくていいのよ?」
シンシアは少し悲しそうな目を向けた。
「大人びていなくたって、母様はちゃんと貴方の言葉を聞くから。約束するわ」
ソフィアはよくする、きょとんとした顔をシンシアに向けた。まだふかふかの頬を撫でると、するすると子供らしい感触。
「怖くなかった?髪に鋏を入れるのは」
「こわくは・・・なかったよ」
「なら、良かったけど」
大人びた子供の顔が、シンシアには見覚えがあった。前世で何度も見てきた。
「ねえソフィー。わがままを言って困らせてもいいのよ。失敗しても、悪い事したって、どうしたって母様はソフィアが大好きって、知ってるでしょ?」
ソフィアはじっとシンシアを見上げていた。
「母さま、ソフィーの事、好き?」
「ええ、大好きよ」
「何番目?」
「まあ。一番に決まってるじゃない!」
即答した。一番がたくさんいるけど、一番には変わりないから。
するとソフィアは急に突進して、椅子に掛けているシンシアのお腹あたりに頭から突進してきた。
「うっ・・・」
思わず変な声が出てしまう。
ソフィアは体格が良くて突進だけで力もあるから、きっと椅子に掛けていなかったらシンシアは尻餅をついていただろう。
「母さま。あったかい」
ボソリとお腹の中、顔を埋めたままに呟かれる。
まだ慣れないツンツンの頭髪をゆっくりと撫でた。
髪が短いから子供の高い体温まで伝わってくる。
「ふふ・・・気持ちいいわね」
「へへ・・・」
ソフィアがくすぐったそうに笑った。
男の子の格好がすっかり気に入ったようで、最近はエイダンのお古の服を着るようになってしまった。それもまあ一過性のものだろうと思い、髪の伸びるまでは大目にみようとシンシアも好きにさせる事にしていた。
「ドレスはいいの?その髪型に似合うドレスだって、用意できるのよ?」
ソフィアがドレスもリボンも好きなのを知っているから聞いてみたが、ソフィアは首を振った。
「うん。いいの」
ぎゅ、っとシンシアの体に抱きついてくる。
「ソフィーが、このかっこを好きでしてるって思ったら、アレクも安心するでしょう?」
シンシアは驚いて、次の瞬間、思わずソフィアの体を力一杯抱きしめた。
そしてまた、数日後。
アルロはエイダンと共に街に出ていた。
最近、アルロが屋敷から出る時には必ず誰かが付き添うようになった。
一応ね、とシンシアは言う。
「窮屈だろうけど、少しの間だけ我慢してくれるかしら。大丈夫そうになったら、また自由にするから」
申し訳なさそうにするシンシアに、アルロの方が恐縮してしまう。
他国の人間の前で闇の魔力を使ったのだ、このまま存在を秘匿するために屋敷奥に置かれても文句は言えないと思っていた。
それでもアルロは嬉しかった。今まで悪でしかないとされていた闇の魔力に、違う使い道があったようで。この家の皆が否定せず育ててくれたこの力が、ペンシルニアを守る事になったのが何よりも嬉しい。
そんなアルロの気持ちを、シンシアも分かっているようだった。
「それはともかく。これが初めてじゃないわね。今回も助けてもらって。本当にいつもありがとう、アルロ。心から感謝するわ」
「いえ、そんな」
「助けてもらった事もそうなんだけど。嬉しいの。アルロがその力を、そうやって使えて、しかも貴方が嬉しそうなのが」
少し驚くアルロに、シンシアが悪戯っぽい目をしてふふ、と笑った。
「人助けって、ちょっと癖になるでしょ?」
シンシアがしている人助けとは比べ物にならないと思うのだが。義務感ではなく、そうやって明るく言ってしまえるシンシアは、やっぱり大物だなと思った。
とりあえずアルロは迷惑をかけないよう、極力屋敷の外には出ないようにした。
それを見かねてエイダンが街に誘った。
大人しくしているつもりだと断るアルロをエイダンは半ば強引に連れ出した。
「アイラにお礼を言いたいって言ってただろ?紹介するからさ」
「でも・・・」
「今日しか無理なんだよ。僕は非番だし、アイラのお店も休みだし、ちょうど会おうって言ってたし」
そう言ってエイダンはアルロの手を引っ張って、結局葡萄亭の前まで連れてきた。
葡萄亭の前にはアイラが既に出かける用意をして鞄を持ち、道端に座り込んでいた。
「アイラ!」
「あ、エイダン!——と・・・」
「アルロだよ。ほら、この前の」
「ああ、闇の!」
アイラは屈託なくそういう言うから、アルロは少しびっくりしてしまった。
アイラは朗らかな笑みを浮かべた。
「元気そうじゃん。良かった!」
「そ、その節は、本当にお世話になり、ありがとうございます。おかげさまで——」
「もう!やめてよ堅苦しい」
アイラはそう言って、軽い足取りで立ち上がった。
「何して遊ぶ?」
喋ると屈託なくて幼いように見えるが、アイラは黙っていればもうすっかり大人びた女性のようだった。
エイダンより年上の十七歳。黒い髪は肩でまっすぐに切りそろえられて、艶やかに揺れている。瞳はきれいなアクアブルーのような、ガラス細工のような不思議な輝きで、それと同じような可愛い髪留めをしていた。すらりと伸びた手足は華奢で、でもよく動くから健康的に見える。
エイダンはアイラの横に並んだ。
「今日はね、ケーキ屋さんに行きたい。ソフィアにお土産頼まれてるんだ。葡萄のタルト」
「それなら、こっちにおいしいお店があるよ。行こう!」
アイラは自然な仕草でエイダンの腕に手を伸ばした。そのまま腕を組んで二人は並んで歩き出すから、アルロはふと不思議に思った。
「お二人は、お付き合いをされているんですか」
素朴な疑問だった。
並んで前を歩く二人があまりに自然で。アイラより背の高いエイダンが、自然にエスコートするようにアイラを気遣って歩く様子も。アイラを見る眼差しも、今まで屋敷では見せたこともないくらい優しい。
「——アルロ・・・」
エイダンが振り返ってじとりとアルロを見つめた。アイラはくすくすと笑ってる。
「アルロさ、いつもものすごく鈍いのに、なんで今日に限って」
「え・・・」
だって、目の前で年頃の男女が腕を組んだら、普通は疑問に思わないのだろうか。
「付き合ってないよ。全然」
アイラが笑いながら言う。
「そうなんですね」
エイダンが何かを言いたそうに口を開けて、また閉じた。よく見ると耳が赤い。
「あ、そうか。エイダンは公子様だから。手なんか繋いじゃだめだよね」
「だめじゃ——!」
するりと手が離されて、エイダンはその手を追いかけようと一瞬手を伸ばして——その手をぐっと握りしめた。
「平民同士だと、ちょっとそこまで行くのに手をつないだりはあるんだけど。——ね?アルロ」
アイラはおかしそうに笑っている。
そうだろうか。アルロの知る限り、やはり年頃の男女は手をつないだりはしないのだが。
二人の関係が良くわからなくて、アルロはどう答えていいのかわからなくなった。
「お二人は・・・よく会っているんですか」
「うん。ほとんど毎日きてるよね」
「毎日!?」
エイダンは朝と夜は毎日屋敷の訓練所で訓練をしている。日中はその大半を騎士として王城に詰めている。非番の日は確かによく出かけているが。他にも公子としてペンシルニアの執務のような事をして忙しくしているはずのエイダンが、毎日ここまで来るというのはよほど努力して時間を捻出しないと無理なんじゃないだろうか。
「エイダン様・・・何か気がかりがあるんですか」
「いや・・・まあ。あるといえば、ある」
聖女のアイラを見守っているのだろうか。
「エイダン様、お忙しいのに・・・」
「あれ。そうなの?エイダン、無理しちゃだめだよ。明日からはお休みの日だけにしたら?遊びに来るの」
「あの・・・あのさ」
エイダンが大きく深呼吸している。アイラの方に一歩踏み出した。金の眼が、まっすぐにアイラを見つめる。
「君に会いに来てるんだ。アイラに、会いたくて」
アルロは驚いて息を止めた。止める必要はないのだが、できるだけ存在を消したほうがいいような気がして。
「ありがとう」
アイラは驚くでもなく、普通に返事をする。エイダンの告白は、それはもう好きだと言っているのと同じようにアルロには聞こえたのだが・・・。
アイラの方は友達に対するようなあっさりとした言い方で返している。アルロは思った事を表情に出さないように必死だ。見ては失礼だろうかと思いつつも、エイダンの表情を見てしまう。
エイダンは何度も口を開いて、次の言葉を言おうとして——でもまた、口を閉じてを繰り返していた。
アルロは口を挟むこともせずに待っていた。できるだけ気配も消して。
だが、結局エイダンがそれ以上言う事はなかった。