作品タイトル不明
14.
エイダンは王国騎士団に所属しても、相変わらず毎朝ペンシルニアの訓練所で訓練をしていた。訓練を終えて、朝食を摂ってから出発する。
その訓練の最近の相手は、もっぱらアルロがしていた。
アルロが急成長をしているから、対エイダンに関してはかなりいい線まで行くようになったし、エイダン自身も心も鍛えられる、と言っている。
どうして自分と剣を合わせる事が心を鍛える事になるのだろうかと思うアルロだったが、聞いてみてもはっきりとはしなかった。
ただ、なんだかんだ一緒にいる時間も長い同年の男同士、やはり一緒にいて心地いいと言うか、お互い楽な存在になっているというのもある。
訓練が終わり、朝食を摂りに行こうとしているとエイダンに呼び止められた。
「アルロ」
「はい」
「聞いたよ、ラントン侯爵家のこと」
城での事やラントン家で追いかけられた事が思い返されたが、エイダンが言っているのは先日のお茶会の一件だろう。
「求婚状送って来たのは長男の方?」
「そうお伺いしています。ご存知ですか?」
「ほとんど話したことはないな。——ほら、僕らが入学した時にはもういなかった人達だしね」
アルロは入学していたわけではないが。同じ時間を学園で過ごしたのは、もうずいぶんと昔のような気がする。あの頃はこんな風に肩を並べて会話をするなんて思いもしなかった。
「マリーは?大丈夫そう?」
エイダンは兄の顔でそう尋ねた。
傷ついているようだとでも言おうものなら、すぐにでも制裁を加えに行きそうな勢いだった。
「お変わりないように思います」
「もしまた無礼を働かれたら、すぐに教えて。ちょっと調子に乗ってるらしいし」
「はい・・・」
そう言われるとアルロは少し心配になる。エイダンが実は気が短いところがあるのを知っているから。
エイダンは苦笑した。
「まあ、失礼な発言くらいじゃ流石にね」
何もしないよ、と言って笑う。
エイダンならうまくやるのだろう。権力もあって、剣術も敵なしで。魔力も絶大で巧く扱う。
そんなエイダンであれば、魔力を使わなくても十分アッシャーに対抗できそうだ。
自分には、まだ、難しい。
先日のアッシャーの攻撃を思い出した。鋭くて巨大な風の爪。
闇の魔力を使えばあれを消し去ることは簡単だろう。だが使った瞬間に闇の魔力だと分かってしまう。動きを操るのも、切れた時に違和感を覚えるだろうから駄目だ。そうなると、この腕力だけであの攻撃を斬れるようにならないといけない。
「魔力を出さずに、魔術に対抗するにはどうしたらいいでしょうか」
ぽつりと独り言のような呟きだったが、エイダンは不思議そうな顔をした。
「魔力なしでって・・・なんで?影でも目指してるの?」
確かにアルロは魔力を使う事を制限されている。だが、アルロは騎士になりたいわけではないと知っているから、魔術に対抗するような場面が思いつかなかった。
影くらいかと思ったが、それは向いてない思う。
アルロはちょっと目立ちすぎる。何がっていうのは難しいけど、人目を惹く。
アルロは首を振った。
「もっと、強くならないと、お守りできないなと思っただけです」
これからもあのアッシャーは、会うたびに難癖をつけてきそうな気がする。今までもそういう貴族は何人かいたが、少ししつこい。
「あちこち出て行くようになって・・・アルロ、何か困ってるの?」
「いえ、そういうわけでは」
あまりに些末な事だ、エイダンからすれば。アルロはそう考えた。
エイダンがじっとアルロを見つめる。アルロもまっすぐに見つめ返した。しばらく見つめ合うことになってしまって、エイダンははっとした。
「・・・っと。こんなところでアルロと見つめ合ってる場合じゃないや」
急がないと、登城の時間である。
「あ、申し訳ありません。馬車を回しておきましょうか」
「うん、ありがとう!」
エイダンはとりあえずシャワーを浴びるために部屋に向かった。
あ、と思い出して振り返る。
「アルロ!何かされたらすぐに僕に言ってよ。アルロに何かしようって奴は、どうせ弱い者いじめしたいだけなんだから」
「はい。ありがとうございます」
「アルロは弱くないけどね!じゃ!」
エイダンはそう言って階段を駆け上がって言った。アルロはその後ろ姿に頭を下げた。
数日後、再び、今度はマリーヴェルとアルロだけで登城した。
乳母の一件以来、イエナは王妃の仕事を少し減らしている。その分アレックスと大いに遊んで過ごしていた。
なかなか仕事を手放せないイエナだったが、シンシアが手伝いを申し出た。
「そう長い事じゃないと思うわ。どちらも大切なのはわかるけど。でも、やっぱりね、無理なのよ、どうやったって」
シンシアも経験のあることだった。とりかかった仕事を一旦停止させて、育児に専念するのは。それはそれで、つらいのも分かる。
「——諦めて、とは言わないけれど。どっちもやろうとして無理が出たのは確かでしょう?きっと戻れるわ。また始められるわよ」
公爵夫人としての仕事を再開させているシンシアのいう事には、説得力があった。
イエナは心を決めた。いや、もう随分前から、そうしようと思っていたような気がする。
そうしてイエナは一線から一旦退いた。
王太后がいないのでイエナの負担が大きかったのは確かだから、シンシアと、あとは数人新たに人を雇って。シンシアが忙しくなった分、マリーヴェルが一人で王城へ来ることも増えた。
マリーヴェルは元々よくユートスを訪ねる。アルロはその付き添いだ。
ユートスはすっかり穏やかな隠居生活で健康を取り戻しているようだったが、それでも時折、過去の様々な思い出にひどく塞ぎ込むことがある。
マリーヴェルやシンシアがさりげなく訪ねて、他愛もない話をするだけで、少し元気が出るようだった。だから、定期的に訪れるようにしている。
実際には、マリーヴェルは楽しいから訪れているだけであって、特にユートスをどうにかしてあげようと思っているわけでもない。
アルロは二人の会話を聞きながら、その自然体もユートスにとって良いのだろうと感じていた。
「——じゃあ、おじい様、また来るわね」
「ああ、ありがとう」
しばらくあれこれと楽しく話し、少し疲れただろうかと言う所で、切り上げる。王城自体が屋敷から近いから、マリーヴェルとしてもちょっと近所の祖父を訪ねただけ、という気軽さだ。
「それ、ちゃんと使ってね?」
指さしたのは先日マリーヴェルが完成させた刺繍の入ったハンカチだった。
「もちろんだ。ありがとう」
ユートスは嬉しそうに刺繍を指でなぞった。手はしわだらけで、背中も曲がってきている。それでも表情は穏やかだった。
「見送れんが——」
「いいわよ。また来るわね」
そう言ってマリーヴェルはユートスに一度ぎゅっと抱きついて、また離れた。
「春になったらどこに行くか、考えといて」
「ああ」
ユートスとマリーヴェルは、ハギノル湖以降も時々二人で旅行をしている。
ユートスも、次の旅行まで、と、そこを目指して体調を整えている。
アルロはそっと別宮を出て、馬車を呼びに向かった。
王城の別宮から馬車に乗る場所までは、少し歩く。
内城につながっている廊下の一部を歩き、外に向かって曲がると、すぐに乗り場だ。ペンシルニアの馬車は大きいし、マリーヴェルが乗る馬車は国王並みの警備があるので、動かすのに少し準備がいる。
騎士もたくさん馬車と一緒に待っているので、アルロはそれに帰り支度を伝えに行かなくてはいけない。
「おい」
小走りに移動していたところを背後から声を掛けられる。
アルロは聞き覚えのある声に、そのままやり過ごそうかと思った。
「アルロだろ?無視するなよ」
振り返るかどうしようか迷っていたら名前を呼ばれて、観念して足を止めた。
身体を向けるとアッシャーとその弟が立っていた。
不思議なことに少し先に立っている王国騎士はこちらを見ようともしない。その違和感にアルロはアッシャーの方を伺うように見た。見ただけでは魔力の動きは、アルロにはわからなかった。
「まさか・・・何か魔術を使われているのですか」
「察しがいいじゃないか。認識阻害の魔術だ。高等魔術だぞ」
「王城で無許可に魔術を使用することは禁じられているはずですが」
「俺はこの前から王城の魔術師をしてるんでね」
確かに王城の魔術師のローブを着ている。
それでも、好き勝手に、魔術を使っていいはずはない。
こんなリスクを冒してまで声をかけてくる時点で、もう嫌な予感しかしない。
「——何の御用でしょうか」
「覚えてろよって、言ったろ?」
「侯爵家のご子息ともあろう方が、僕のようなただの平民を気に掛けるなんて・・・」
「身の程をわかってるじゃないか。だったら謝れよ、この前からの態度を」
アルロは考えた。
この前から、と言うのは初めて会った時の事だろうか。そうだとしたら、ペンシルニアを侮辱したことに対して指摘したのだから、それを謝るわけにはいかない。
他に何か落ち度があったというのならもちろん謝罪はするが。今のアルロは、ペンシルニアを後見に持つ、ペンシルニアの「預かりもの」だ。
自分の価値を下げるようなことはするなと、特にエイダンによく言われている。
それに何より、先日のお茶会の一件はまだ記憶に新しい。
「求婚を断られた腹いせですか」
「は・・・!?」
アッシャーは言葉に詰まる。図星だからだろうか。それとも、あまりに失礼なことを言われたからか。
「ペンシルニアに抗議できないから、侍従の僕に何かして、留飲を下げようとされている」
アルロの口調は淡々としていたが、それがかえってアッシャーを逆上させた。
「お前、わかってるのか?この術式を展開した中で、お前は閉じこめられてる。俺が何をしようが、誰も助けに来てくれないんだぞ」
「僕に危害を加えると、ペンシルニアが黙っていません」
虎の威を借るようではあったが、これで引き下がってもらった方が、双方に傷が残らないと思った。
ただ、アッシャーはその台詞を信じなかった。
「あのな。お前みたいな平民のために、わざわざラントンと険悪になる様な事、すると思うか?」
「・・・・・・・」
すると思う。アルロが傷付いたら、ペンシルニアの皆が怒ると思う。
あまりにも自然とその様子が頭に浮かんで、アルロは思わず頬が緩んだ。
自分は、いつの間に、こんなにも人を信じ、温かさに浸かっていたんだろうか。
「何笑ってんだ、お前」
アッシャーはアルロの腕を掴もうとした。それをアルロがひらりとかわす。
「っおい、避けるなよ!」
「・・・やめましょう、こんなこと」
「だったら一発殴らせろよ」
アッシャーが目の前で見せつけるように拳を握った。
「一発殴ったら、なかったことにしてやる」
「・・・・・」
アルロは目の前のアッシャーを見て、それから遠くの騎士を見た。
アッシャーはとにかく、腹いせをしたいのだ。ラントン侯爵家が勢いに乗った今、あちこちから称賛され、これまで経験したことがないほど注目を浴びて。しかしその一方で求婚を断られ、自尊心を傷つけられた。
そこへきての、ペンシルニアの侍従という都合のいい発散相手を見つけた。
そういう事なら、とアルロは思った。
「本当にそれで、なかったことにしてくださるんですね」
「ああ、いいぜ。ちょっと試してみたかったんだ」
アッシャーはそう言いながら拳に魔力をまとわせた。
魔術師の細腕で殴っても、アルロに対して痛みを与えられないと思ったのだろうか。ただ殴るだけならその通り、ダメージはない。それが魔術の、それもアッシャーほどの魔力の持ち主だと話が変わってくる。
倫理観のようなものをこの男に求めても仕方ないんだろう。人に対しては、普通はやらない事だ。ペンシルニアでも魔力ありの訓練は慎重に慎重を期す。
それでも一発殴られて終わりにする事が、一番穏便な終わり方なのだと、アルロは思った。
間違っても反撃なんてできないし、ここは王城である。争いごとになるだけでも、ペンシルニアに迷惑が掛かる。お茶会の時のように逃げ道もない。
アルロは手を後ろで組んで、軽く顎を上げた。
「——どうぞ」