軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

15.殴る

「いい覚悟だ」

アッシャーはにやりと下品な笑いを浮かべると、大きく腕を振りかぶった。魔力をまとった腕が歪んで見える。その瞬間、ものすごい速さで拳は振り下ろされ、アルロの頬に衝撃が走った。

がつっ、と大きな音がする。が、アルロの足は一歩も動かなかった。

「ははっ、兄上、そいつ倒れてないですよ」

弟の方がおかしそうに笑う。

「くそ。思いっきり殴ったのに、おっかしいな。人形は吹き飛んだのに。ペンシルニアってのは侍従まで蛮勇武骨なんだよ」

またペンシルニアに対して、侮蔑的な言い方をする。アルロはもう何も言わなかった。言っても無駄な人間だということは学習した。

頬がじんじんと鈍く傷んだ。

魔術師としてはかなり優秀なのだろう。貧相な腕と動作からは考えられないほど重く鋭い拳ではあった。

殴られるのと同時に少し引いたおかげで、口の中は切れなかった。

エイダンに殴られた時のことを思えば虫に刺されたようなものだ。

アッシャーは悔しそうにもう一度拳を振り上げた。

それがまた振り下ろされるが、今度は難なくかわす。

「——おい、よけるな!」

「一発というお約束でしたので」

殴られたというのに痛がる素振りも見せない。

それを見てアッシャーが忌々しそうに舌打ちをして、また魔法を使おうと魔法陣を出してきた。

拘束魔法でも使うつもりなのだろうか。こんな所で大きな魔法を使えばさすがにまずいんじゃないだろうか。アルロも大けがをしかねない。

「お咎めを受けますよ」

「お前、何様のつもりだ?」

アッシャーが苛立たしげに叫んだ。

「とにかく地面にはいつくばって、許しを請えばいいんだよ、お前みたいなやつは——」

「許しを請うのはお前だ」

いつの間に現れたのだろうか。足音も感じないほど、静かで素早い動きだった。

剣を抜いたのも分からなかった。

従騎士のマント、紫色が目に入る。

エイダンだ。

抜き身の刃をアッシャーの首筋にぴたりと当てて、息一つ乱さず、王国騎士の服を着たエイダンがアルロとアッシャーの間に立っていた。

「——な、なん・・・」

エイダンの姿を見て、アッシャーも弟も途端に顔色を変えた。

王位継承権まで持つ、貴族の筆頭たるエイダン・ペンシルニアである。普段は言葉を交わすのですら難しいほどの存在だ。その者の所有物を傷つけている現場で、剣を抜かれているという事は。まずいところを見られた、どころではない。

「王城内で許可なく魔術を使用するのが禁じられているのはわかってるよな。その上——アルロ!殴られたのか」

せいぜい難癖付けてるだけで未遂だと思ったら、アルロの頬は赤く張れていた。

「あ、大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろ。それ・・・」

赤く腫れるだけではなくて細かい切り傷まである。魔力まで加えて殴るだなんて、相当悪質だ。

エイダンはアッシャーを睨みつけた。そうするとその気迫はまるでライアスのようだ。アッシャーはひっ、と小さな悲鳴を上げた。

「王城で魔法陣を使ったらヨシファ様がすぐ察知するんだよ」

たまたま近くにいたエイダンに、ちょっと見てきてくれと頼んできた。本当にただの偶然だ。

こいつらはきっと、学園でも良く見てきた、陰湿ないじめを行っている人種だ。こういう手合いは何度も見かけた。いつもこんなことをして、それが本気で楽しいらしい。全く理解できない。

「弱いものいじめは楽しいか?お前たちのような奴らは・・・同じ立場になったら、それがどれほどみっともないことかわかるのかな」

エイダンの剣がアッシャーの首に食い込む。

「よ、よせ・・・」

「ほんと、腹立つ」

アルロが人を傷つけないのをいいことに。

アルロがその気になればこいつらなんて、一瞬で跡形もなく消えてしまうというのに。

力を持てばすぐにそれを振りかざそうとする。その醜悪さにも腹が立つし、アルロにそれが向けられたのが許せない。

「力があるのに使わない、そういう強さがわかんないかなあ」

そう言ってエイダンは剣をしまった。

剣がなくなって明らかにほっとするアッシャーの顔に、次の瞬間、エイダンの拳がめり込んだ。

何が起こったのかわからないままにアッシャーの体は軽く飛んで倒れる。

手加減したつもりなのに、エイダンの一撃でアッシャーは血の混じった泡を吹いて白目をむいた。その横で弟がブルブルと震えている。

「あ、僕はつい使っちゃうんだけどね。まだまだ未熟者だから」

エイダンがひらひらと使った掌を振った。

「アルロ、何で殴られたんだよこんな奴らに」

「ここは、お城なので・・・」

「そんなこと気にしなくても、問題起こしたって、僕らがちゃんと処理するんだから」

エイダンはアッシャーらに睨みを利かせた。

「お前たち、ペンシルニアに刃を向けて、ただで済むなんて思ってないよな?」

「そんな・・・いや、俺たちはただ——」

「黙れ」

アルロはペンシルニアに来るまで、ずっと暴力にさらされていた。もう二度と理不尽に暴力を振るわれることなんてないと思っていたのに。

アルロ自身が、すぐ犠牲になることを選んでしまう性格だ。人の痛みには敏感なのに、自分の痛みに無頓着で・・・だからこそ。

「アルロを殴っていいのは僕だけなんだからな!」

つい熱くなって叫んで、あれ、とエイダンは

「——ん?僕今、何か変なこと言った」

闇の魔力の暴走のような特別な理由がない限り、アルロへの暴力を許さない、というようなことを言いたかったのに。

「うわ・・・エイダン様ってそういう」

「しっ。貴族の方の趣味に口出したらいけねえって。先輩が言ってた」

「そうなの?」

「なんか、色々あるらしいぜ・・・」

ひそひそと聞こえるのは、少し離れたところにいる同じく王国騎士の若い二人だった。

エイダンと共に来ていたらしい。

「違うから!今のはちょっと語弊があった」

エイダンが慌てて訂正しようとするも、二人はしたり顔で頷いた。

「いいですよ、そんな、俺らには言い訳しなくても」

何を言っても誤解を受けそうだし、墓穴を掘りそうだったので、エイダンは諦めた。完全に変な目で見られている。

「——もう、早くこいつらを連行して」

そう言って二人にアッシャーらを任せた。

「・・・大丈夫?」

「はい」

エイダンはアルロの腫れた頬を覗き込んだ。

「この前、それで、魔力なしで対抗するにはどうしたらって話してたんだ」

ちゃんと言ってくれたらいいのに。そうすれば、もっと気をつけていられた。

「人を殴り慣れてない人のする事だったので、ほとんど痛くありませんでした」

「そうは言ってもさ・・・」

エイダンはキョロキョロと辺りを見渡すと、一歩アルロに歩み寄った。

「しゃがんで」

「は」

言われた通りにしゃがむと、体とマントで隠すようにしてエイダンが頬を治癒した。

「あ、ありがとうございます。わざわざ・・・」

「マリーヴェルに見つかったら厄介でしょ。傷がなくても目撃者がいるから、しっかりけじめはつけてもらう」

「はい・・・」

アルロは申し訳なさそうな顔で頷いた。

結局、ペンシルニアから正式に抗議をして、アッシャーらは勲章を剥奪。まだ若手とはいえぎりぎり成人していたので、かなり重い処罰が下された。ラントン家も功績を鑑みて爵位をどうこうという話にはならなかったが、周囲の目は冷たかった。

当面社交界で見かけることはないだろう。

「——災難だったわね、アルロ」

いち段落した頃、シンシアがアルロを執務室に呼んだ。

シンシアが向かいのソファを勧めると、アルロは姿勢よくそこに腰掛けた。

「もう二度とラントン家と会うことはないだろうから、安心してね」

「はい・・・」

「それにしても・・・ここまで悪質な人がいるとはね」

自分の身を自分で守れないと、また同じようなトラブルが起きかねない。

アルロに護衛をつけると言っても絶対に断られるだろうし。

さりげなくタン辺りと一緒に行動させた方がいいのかもしれないと、シンシアは考えた。

「ごめんなさいね。ペンシルニアの後見という肩書きが、かえってあなたを目立たせてしまうから」

予想はしていたことだった。ここまでとは思わなかったが。

アルロはどうしても、目立ってしまう。平民にしては顔が整いすぎているし、姿勢も良い。珍しい黒髪黒目でもある。

「貴方がうちに迷惑をかけないように、って思うのはわかってるんだけど・・・もっと思うようにやっても、大丈夫だからね?」

魔力を使わずとも、アッシャーに対抗する手立てはあっただろう。防戦の一手ではなく反撃してさっさとのしてしまえば攻撃されることもなかったはずだ。

「いえ・・・結局僕は、何もできませんでした」

アルロの声は沈んでいた。

今回のことで落ち込んでいるのかと思ったら、それだけでもないようだった。

「ラントンの御子息に初めて会った時はソフィア様に助けられたんです。ヤーレ様の横暴を止めたいと思ったときにも、マリーヴェル様が前面に出てくださって。僕ではうまくできなかったと思います。そして、今回もエイダン様に」

自分一人で切り抜けられたことがない。

「それが少し、情けないです」

「アルロ・・・」

シンシアは本気でそう思っている様子のアルロを眺めた。

「自分の事って、あまり見えないものなのよね。侍従として十分すぎるほどよくやれていると思うんだけど」

自信を持つ、という事はアルロには少し難しすぎるのだろう。それでも、ここしばらくの成長を見れば、そこまで心配はいらないように思った。

「まあ、何を目指すかにもよるかしらね。目標が定まれば、もう少し自分が見えてくるかもしれないわね」

「目標・・・」

それはまだアルロにはないものだった。

色々な勉強も、魔力の運用も剣術もしているが、まだこれと言って得意なことも見つかっていない。やりたいことなど、もっとわからなかった。

「僕は・・・今まで、ただ与えられた仕事をこなすだけで、目の前には、何をすべきかが並んでいました」

「そうね」

「奥様は、いつも、僕に何がしたいかとお尋ねになります」

シンシアは目を瞬かせた。そんなに変なことを聞いていたつもりはなかったが、アルロにとってはおかしなことだったのだろうか。

「僕が選んでいいと言っていただいているようで」

「もちろんよ。あなたがやりたいことを教えてほしいのよ」

「それが・・・少し、なんていうか」

アルロは言葉を探していた。

「どうしていいのか・・・」

「自由なのが、不安?」

アルロの気持ちを言い当てたようだ。アルロが困ったような顔をするので、シンシアは笑みがこぼれた。

「そうなのよ。自分で選べるのって——自由なのって、不安なの」

アルロは落ち着かないのに。

シンシアは少し嬉しそうでもある。

アルロはいつも不思議だった。

シンシアはいつも、アルロの怒りのように、負の感情を持っても喜んでくれる。

この不安さえ、良かったことのような顔をする。そのシンシアの余裕が、アルロは心強く、この落ち着かない不安にも身を置いていいような気になるのだった。