作品タイトル不明
4.
シンシアは1カ月と少しぶりに王城を訪れた。
ライアスと共にオルティメティを訪ねると、この一件でオルティメティは少し老けたように見えた。いや、やつれている、と言った方が正しい。
「——ティティ、大変だったわね。まだ忙しいの?」
まず第一声がそれだったから、オルティメティは苦笑した。久しぶりに会う姉に心配を掛けたくなくて、笑顔を取り繕って来たのに。シンシアにはたちまち心配そうな顔をさせてしまった。
「ううん。本当にもう落ち着いたよ」
「そう・・・?でも顔色があまりよくないわね」
「あ、それはね・・・ワイバーンとは別件」
いつもの、よく使う客室だった。ライアスとシンシアの対面にオルティメティが掛けている。
「アレックスが・・・マクシーに。それはもう癇癪がひどくてね」
マクシ―。それはついこの間生まれた第二王子のマクシミリアンの事である。
「イエナが抱いているとすごい勢いで突進してくるんだ。抱いていないときはしがみついて離れないし。夜泣きもひどいし、聞き分けが悪くてね・・・」
元々、癇癪の多い子供だった。弟が生まれて、それが更に助長したらしい。
「乳母もベテランだからうまく離してくれるんだけど・・・まあ、ずっとは難しいから」
「色々あったものね・・・」
色々——そう、ワイバーンの襲撃で、正直それどころではなかったというのが大きい。
前代未聞の突如降って湧いた王国の危機に、収拾がついたといはいえ、その余波はまだある。産後間もないイエナとマクシミリアンを守り、王国を立ち直らせ——オルティメティをはじめとする城の者達はこの一月、本当に忙しかった。
そんな中で、アレックスは大切に、隅に置かれていたようなところがある。
「つい最近まで、乳母任せだったんだ」
色々と計画が崩れた。ゆっくりとアレックスとマクシミリアンの時間を持ち、新しい家族に慣れていく過程を経るはずが——イエナも結局は早々に、王妃の仕事に復帰せざるを得なかった。
「良からぬ噂もあるしね」
「良からぬ・・・?」
シンシアが不思議そうにしていると、ライアスがそっと話した。
「今回の襲撃は、凶兆だと噂するものがいるのです。第二王子殿下誕生がその原因だと」
「はあ?」
思わず怒りの滲んだ声を出してしまう。メイドも気心の知れた者しかいないとはいえ、シンシアはこほん、と咳払いをした。
「くだらない」
「何事にも、理由をつけたがる奴はいるんだよね。——ま、起きた出来事から考えると、小さい声だよ」
王家がペンシルニアと結束を強め、貴族派も鳴りを潜めている。今は盤石な政権運営がされているからこそ、その程度の声で済むのだと言う。
それでもシンシアは腹が立った。不幸な事件の理由を生まれて間もない子供に向けるだなんて。
「一体どこがそんな世迷言を言っているの?」
「どうやら発端はミュゼラン伯爵家みたい」
伯爵家の中でもかなり小さな、あまり印象にない家門である。
「何だったかしら。交流はないのに、聞き覚えがあるような・・・」
「知り合いだった?あまり資産も多くないんだよ。領地も辺境なんだけど、辺境夫人が浪費家の噂好きでね。そこのサロンで言われていたみたいで。まあ影響力もない家門だし、あんなこと言ってる人がいるって、おせっかいな貴族が僕に教えてくれたんだ」
「ミュゼラン伯爵ねえ・・・」
ライアスの顔を見れば、バツの悪そうな顔をしている。
「——ライアス、知り合いでしたか?」
「思い出せば不快な思いをすることになると思います」
「そう言われるとますます気になるわね」
ライアスは視線を泳がせてから、観念したように目を伏せた。
「伯爵夫人の実家がギューダス家と言えば、お気づきでしょうか」
「ギューダス・・・っ、ああ!」
なんて懐かしい名前だろうか。レイラ・ギューダス。ライアスの後妻の座を狙っていた女だ。
エイダンと同年代の子供がいたはずだが、そういえば学園に通っている時もその名前は耳にしなかった。確か学園に入る少し前にイエナの結婚式でエイダンを取り合って喧嘩したから、近づかないようにしておいたんだ。
今の今まで忘れていた。
「ふうん、レイラ・ギューダス・・・懐かしい名前だわ」
珍しく不機嫌そうな言い方にオルティメティが反応した。
「あれ?夫人と何かあったっけ」
オルティメティは当時まだ子供だ。知らなくても無理はない。蒸し返すつもりもなかったが隠すのも何なので、シンシアさらりと説明した。
「昔ね。ライアスがエスコートしたことがあるらしいわ」
「へえ・・・姉上一筋のライアスが、珍しいね。まあでも、公爵家ともなれば付き合いもあるし仕方ないんじゃない」
「そうね。もう14年も前の話だし」
「14年・・・えっ・・・」
そう、結婚前ではなく、エイダン妊娠中である。
オルティメティは何とも言えない顔でライアスを見た。信じられない、と言うような。しかしその後、同情するような顔になる。
「何か事情が・・・」
「いいえ。ただ、私の至らないせいで」
潔く認めて、ライアスは一回り小さくなったように見えた。
シンシアも、その名前は久しぶりに聞いたが・・・初めてその話を聞いた当時は、実はそこまで腹が立たなかった、そこまでは。
「姉上、顔が怖いよ」
「あらやだ。ごめんなさい。今思い出すと、なんだか無性に腹が立ってきて」
シンシアは小さくなったライアスの手を取った。
「違うのよ、ライアス。責めたいんじゃないの。この話はもう済んだでしょう?」
ライアスの目が揺れている。
エイダンが2歳の時には、信じてくれと言って縋るようだったっけ。今はどうだろう。後悔と、シンシアへの心配と。
「ライアス。そんな顔をしないで。私が怒って見えるのは、きっと・・・あの時より貴方のことを愛しているからね。もう誰にも、貴方の手が誰かに触れてほしくないと思ってしまって」
「シンシア・・・」
ライアスはシンシアの膝に両手を差し出した。
「どうぞ、貴方の思うようにしてください。いっそ切り落としてしまいましょうか」
「いやいやいやいや、別の…別の方法にしてくれないかな!騎士団長に手がないと困るよ!」
「怖いこと言わないで」
ちょっと思い出話のはずが、変な方向に行ってしまった。
シンシアは気を取り直してライアスから離れた。ライアスの手がさりげなく腰に回される。もう大丈夫だから、とシンシアはその手をポンポンと叩いた。
「——でも、元々ギューダス家は王権派閥ですよね。代々騎士団にも名を連ねてますし」
わざわざ王家に反するような噂を流すなど、何を考えているのか。
「ミュゼランの方は、夫人が実権を担っているんだ。もともとは中立派だったのが、伯爵が病床に就いてからというもの、少し貴族派寄りかな。——いや、本当に、まったく気にするほどの勢力じゃないよ」
「ふうん、レイラねえ・・・」
既婚者に言い寄るくらいなんだし、ギューダスだって元々常識のある家門ではないのだろう。
不満を持つ家門が集まってあれこれ愚痴を言い合うくらいはありふれた光景だ。
それより、今日は大切な話をしなくてはいけない。 シンシアは話題を変えた。
「そのワイバーンの件だけど、実はティティに話しておかないといけないことがあって」
「ライアスが言ってた、真剣な話がしたいっていう件?」
ライアスとシンシアは頷いた。
「なに?」
「少し長くなりますが、よろしいですか」
ライアスはそう前置きをした。オルティメティが人払いをする。
人が出ていくのを確認してから、ライアスから、順番に説明した。
マリーヴェル誘拐事件の黒幕、保護したアルロが闇の魔力の保持者だった事。闇の魔力の力に、瘴気を生じさせ、ワイバーンや魔物を引き寄せる力がある事。
オルティメティはずっと黙って聞いていた。