作品タイトル不明
第3章 3
アゲイト様おすすめのレストランは、庶民向けのエリアにあった。
多くの客で賑わう店内を通り抜けて、私たちは二階の個室へ案内された。
「何が食べたい?」
メニューには沢山の料理名が並んでいて、とても選べそうにない。
「……おすすめは何でしょうか」
「人気なのはエビだね。俺はカニのクリームソースを使ったパスタが好きだな」
「カニ……美味しそうです」
「じゃあそれを頼もうか。あとは前菜の盛り合わせでいい?」
「はい」
「デザートは……食べ終わってからお腹の空き具合で決めようか」
アゲイト様は給仕へ注文した。
出てきた料理はどれも美味しかった。
味付けは少し濃い目だけれど、甘みを抑えたレモンジュースで口の中をさっぱりさせればどんどん食べられてしまう。
「美味しかったね」
食事が終わるとアゲイト様が言った。
「はい……食べ過ぎてしまいました」
思わずお腹をさする。
やばい、スカートがきつい……。
(こんなに食べるなんて久しぶり……ううん、初めてかも)
家族以外の人と二人きりの食事なんて、いつもだったら緊張して食事が喉を通らないはずだけれど。
アゲイト様が料理の解説をしてくれたり、他にも庶民の料理のことを色々と教えてくれたりと、興味深い話をたくさんしてくれたので、美味しく食べることができた。
デザートも美味しくて、お腹いっぱいになるまで食べてしまった。
「すぐ馬車に乗ったら気持ち悪くなるかもね」
アゲイト様は立ち上がった。
「腹ごなしに街を歩こうか」
「……はい」
頷くと私も立ち上がった。
お店を出ると、アゲイト様が手を差し出してきた。
(え、腕じゃなくて手……?)
戸惑っていると手を握られる。
「街中はちゃんと握ってないと、迷子になるからね」
(……手を繋いで歩くの!?)
確かに、目の前の通りは大勢の人々が行き交っている。
はぐれたら途方に暮れてしまうだろう。
でも、こんな風に男性と手を繋ぐなんて初めてだ。
(手……大きい)
手袋もしていない手を直接繋ぐから、力強い感触と体温が直接伝わってくる。
「じゃ、行こうか。この辺は商業地区でね、路面には店が、裏は職人の工房が並んでいるんだ」
アゲイト様が説明しながら街を歩く。
(やっぱり女性慣れしているんだなあ)
私を壁側にして、私の歩幅に合わせて歩く。
食事の時の気配りといい、いつもこうしているのだろう。
(私は楽しく過ごせているけれど……アゲイト様はどうなんだろう)
面倒だとかつまらないだとか思われていないだろうか。
(受け身ばかりじゃ……ダメなんだっけ)
昨日、マリンに言われたことを思い出す。
互いを知るためには一方的ではいけない、私の意志も示さないとならないと。
行きの馬車の中でもアゲイト様に言われたし。
(でも……初めての場所でどうすればいいんだろう)
「アゲイト!」
後ろから女性の声が聞こえた。
振り返ると、金髪を靡かせながら女性が駆け寄ってくるのが見える。
「マリア」
「良かった! 頼みたいことがあって……」
女性はアゲイト様の前で立ち止まると、気づいたように私を見た。
「あら、この子は……。今度はまた意外なお相手ね」
「彼女はそういうのとは違う」
アゲイト様は私を引き寄せた。
「え、やだ。もしかしてとうとう本命ができたの?」
「……何の用だ」
「舞台の初日なのにロイヤルボックスが空いてるから、埋めて欲しかったの。今夜暇かなって思ったんだけど……」
ちらと私を見て女性は言った。
(舞台? ……もしかしてこの人……)
新聞に出たという、女優の人だろうか。
アゲイト様を見上げると、アゲイト様は小さく息を吐いた。
「彼女はマリア。この間言った話題作りの女優だよ」
「あら、知っているの」
マリアさんはふふ、と微笑んだ。
「初めまして、可愛いお嬢さん」
「……初めまして。ベリルです」
(この人が……アゲイト様の元恋人……)
話題作りに付き合うふりをしたと言っていたけれど、恋人のふりをできるほど親密な関係だったのは間違いないだろう。
女優という人前に立つ仕事をしているからか、華があって綺麗な人だ。
スタイルも良くて色気も感じられる、大人の女性。
アゲイト様は、いつもこういうタイプの人と交際していたのだろうか。
(私とは……全然違う)
やっぱり、私ではアゲイト様には釣り合わない。
心の奥が暗くなっていく。
「ねえ、あなたお芝居に興味ない?」
ずいとマリアさんは私の目の前に立った。
「こんな可愛い子が観にきてくれたら客席も華やかになるわあ」
「おい。この子は貴族令嬢だ。庶民の舞台なんか見せられるか」
「今回は硬派だから大丈夫よ。『波間に消えた薔薇』って小説が原作なの」
「……もしかして、アンガス・ジェファーソンですか」
聞き覚えのあるタイトルに、思わず尋ねる。
「あら、知っているの?」
「……ジェファーソンの小説は好きです……」
『波間に消えた薔薇』は、戦時下の港町を舞台に、スパイに間違われた新聞記者と歌姫の悲恋を描いたものだ。
お父様がジェファーソンのファンで、書籍が家の図書室に揃っているのを私も読んだのだ。
重厚な作品が多い作家だが、この小説は恋愛要素も多く、ラストシーンでは泣いてしまった。
(あの『波間に消えた薔薇』が舞台化……?)
どんな風になるんだろう。
「彼女、とっても見たがっているわよ」
マリアさんはアゲイト様を振り返った。
「――舞台を見たいの? ベリル嬢」
アゲイト様が尋ねた。
それは、もちろん見たい。
でも、アゲイト様にはこの後の予定もあるかもしれないし、迷惑?
(でも……やっぱり見たい)
こんな機会でもないと、舞台を見ることなんて今後ないかもしれない。
「……はい、見たいです」
私は頷いた。
「じゃあ支配人に伝えといて」
アゲイト様はマリアさんに言った。
「ありがとう! 助かるわ」
マリアさんは私の手を握りしめた。
「ベリルちゃんもありがとう。楽しみにしててね」
「……はい……」
「十九時開演だからよろしくね!」
ウインクをすると、マリアさんは私たちに手を振りながら人混みに消えていった。
「……魅力的な方ですね」
「そうだね。まだ若手だけど演技は上手いし、将来は大女優になれるんじゃないかな」
そう答えて、アゲイト様は私を見た。
「ベリル嬢は舞台に興味があるの?」
「はい……オペラは観たことがあるのですが。他の舞台も観てみたいと思っていました」
「そうか」
「あの……何か用事があったでしょうか」
思案顔のアゲイト様に慌てて尋ねる。
「いや、大丈夫だよ。この後の予定を考えてたんだ。セルリアン侯爵家には連絡するとして……まずは今夜のドレスを探しに行こうか」
「ドレス?」
「その服も可愛いけど。ロイヤル席で舞台を見るならもっとドレッシーなものにしないと」
「あ……そう、ですね」
確かに今着ているのは昼間に街へ出かけるための、カジュアル寄りなワンピースだ。
夜にお芝居を見るならばドレスがいいだろう。
「じゃあ、一度帰って着替えて……」
「いや、買いに行こう。せっかくだからプレゼントするよ」
アゲイト様は目を細めた。