作品タイトル不明
150.揚げ物を作っていきましょう
「これが揚げ物、ですか……?」
厨房にて、ヘイルートさんが戸惑っていた。
視線の先には焦げ茶色に変色した、豚肉の慣れの果てが皿にのっかっている。
「正確には、揚げ物の失敗作です。揚げすぎて、火が通りすぎ焦げてしまっています」
加熱が足りない肉は、食中毒を引きおこす可能性があった。
肉が生のままなのを避けるため、揚げすぎになってしまいがちなのだ。
「揚げ物で大切なのは、油の温度なんです。どれくらいの高温か、普通見ただけではわからないでしょう?」
「だから、俺の出番ってわけですか?」
ヘイルートさんの言葉に頷く。
油の温度を測るやり方はいくつか知っているが、今のところどれもムラが大きく実用は難しかった。
油の中に入れたパン粉の広がり具合で、温度を測定する方法は失敗。
菜箸の代用で濡らした木の棒を使い、油に入れた際の反応で温度を測る方法も失敗続きだ。
やり方が悪いせいか、油の種類が前世よく使っていたものとは違うせいか。
どちらかはわからないし、他にも原因があるのかもしれない。
油の温度がわからないままでは、揚げ具合は運任せになってしまう。
数回に一度しか成功しないのでは、大量の油が無駄になってしまうのだ。
「値段の張る食用油がもったいなくて、成功の見通しが立たない揚げ物の練習は中止していたんです。……でも、ヘイルートさんが協力してくれれば、上手く揚げられるようになるかもしれません」
やり方は簡単だ。
まず何度か、ヘイルートさんに油の温度を見てもらった状態で揚げ物をしていき、それぞれの回の油の温度を記憶しておいてもらう。
それらのうち、ちょうどよい揚げ具合だったものの油と同じ温度になるように。ヘイルートさんに油の温度を見てもらいながら、火加減を調節していけばいい。
温度がわかるヘイルートさんの指示に従えば、失敗回数はぐっと減らせるはずだった。
それに何度も正しい温度の油を扱っていれば、いずれ熱を見る目を持つヘイルートさんでなくても、五感を使い正しい温度を見極めることができるようになるはずだ。
……というような説明をして、さっそく実験してみることにする。
「ヘイルートさんが頼りです。お願いしますね」
頼みの綱の、ヘイルートさんを見上げた。
一度は諦めた揚げ物作の練習だけど、ヘイルートさんのおかげでがぜんやる気が湧いてきた。
トンカツに天ぷら、エビフライに唐揚げ。甘いドーナッツだって揚げ物だ。
あれもこれも、もう一度食べてみたい揚げ物がたくさんある。
やる気は十分。
気合を入れると、油の注がれた鍋を見据えた。
「はいはい、わかりましたよっと。上手に揚げ物ができるようになったら、オレにも食わしてくださいね?」
「もちろんです! ぜひヘイルートさんにも、揚げ物の素晴らしさを知ってほしいです!」
断言し約束すると、さっそく油の加熱を始める。
――この挑戦が、美味しい揚げ物生活に繋がることを信じて。
私はひたすら、ヘイルートさんと揚げ物に励んだのだった。
◇ ◇ ◇
じゅうじゅうと鳴る油の音が、ヘイルートの耳にこびりついて離れなくなった頃。
「できたっ……!」
レティーシアが歓声をあげた。
菜箸もどき、という名の二本一組の調理器具の先端で、油から引き出した揚げ物を掴んでいる。
「この見事な狐色っ……! どこからどう見ても立派な、正真正銘のトンカツよっ‼」
レティーシアはやたら上機嫌だった。
よほどトンカツに思い入れがあるのか、うっとりとした表情で瞳を潤ませ、菜箸もどきの先端を見つめている。
凝視する対象が揚げ物であることを無視すれば、とても麗しい横顔だった。
(顔立ちは、文句なしの美少女なんですがね……)
間近で接してみると、大きく印象の変わる相手だった。
今も目の前で、町娘のような屈託のない笑顔を浮かべているレティーシア。
ざくざくとトンカツを切ると、衣の中の様子を確認していた。
「中までちゃんと火が通ってるわ。過不足なく上手に揚がってます。最適な油の状態を見極めるコツ、掴めました! ヘイルートさんの協力のおかげです!」
感謝を込め、まっすぐに見上げてくるアメジストの瞳。
レティーシアへの恋愛感情を持たないヘイルートであっても、つい見とれてしまいそうだ。
(あ~~。こりゃグレンリード陛下が落ちるのもわかりますね。破壊力抜群ですよ)
レティーシア本人はきっと、自分のやりたいようにやっているだけだ。
しかし極上の容姿と、王妃として振る舞う姿との落差もあって、見る者の心を奪っていくのだということが、ヘイルートにも実感できた。
そしてレティーシアの兄である、クロードの言葉を思い出す。
『うちの四人兄弟で、貴族として一番優秀なのは長男のユリウス兄上で、一番強いのは次男のベルナルト兄上。そして末っ子のレティーシアが、一番の大物なんだよ』
聞いた当初は、妹をかわいがるクロードの贔屓発言かと思っていたけれど。
レティーシアと過ごすうちわかってきた。
彼女には多くの人の心を、惹きつけ動かす力が宿っているのだ。
(確かに、間違いなく大物ですね。オレの瞳の異質さを知っても、全くビビッてなかったですし)
昔ヘイルートは、自分と同じような瞳の持ち主がいないかと、自らの瞳の秘密を、他人に教えたことがある。
その結果は、苦い思いと共に記憶へと刻まれているのだ。
ほとんどの人間はヘイルートの瞳を気味が悪いと言って逃げ、逃げなかった人間はヘイルートの瞳を、ろくでもないことに利用しようともくろむ者ばかりだった。
(レティーシア様、まさかオレの瞳を料理のために使いたんなんて、完全に予想外でしたよ)
筋金入りの料理好きだ。
こと食に関して、レティーシアは前向きでやる気に満ち満ちている。
以前、天馬型のチョコレート作りに挑んでいた時だって、呆れるほど情熱的だったのだ。
(ま、そのおかげで、エルネスト殿下にも気に入られたみたいですがね)
あの天馬型のチョコレートのおかげもあって、テオドールのせいで険悪になりかけていた両国の関係が、ぐっと改善することになったのだ。
お飾りの王妃としては十分すぎるほどに、レティーシアはこの国に貢献していた。
離宮の使用人達にも愛されているようで、料理人と仲良くトンカツを盛り付けている。
「完成よ! ヘイルートさん、食べてみてください!」
ヘイルートが座ると、千切りのキャベツの添えられたトンカツの皿が置かれる。
初めて食べる料理だが、見た目や匂いは十分魅力的だ。
「私のおすすめは、このソースをかけた食べ方よ。いつかこんな日が来るかもと、揚げ物用のソースのレシピを開発しておいたのよ」
「へぇ、揚げ物用の。使ってみるっすね」
渡されたソースは、とろりと粘度の高い黒色をしている。
試しにトンカツにかけ、ヘイルートは口へと運んだ。
「……!」
噛みしめると、さくり、と。
表面の衣が砕けて、心地よい音を奏でた。
さくさく、さくさく。
衣の向こうには柔らかな肉が待っていて、噛みしめると肉汁が染み出す。
ソースは甘辛く濃厚で、それでいて果物が配合されているおかげか、後味は爽やかだった。
「この味は……! 癖になりますね……!」
気が付けばヘイルートは呟いていた。
美味しい。
二切れ目三切れ目と、あっという間に食べ進めていく。
レティーシアが情熱を注いだ料理だけあり、トンカツはとても美味しかった。
「お口に合ってよかったです。もう一個、上手く揚がったのがあるので、お代わりしていきますか?」
「オレがもらっちゃっていいんですか?」
「どうぞどうそ。ヘイルートさんは揚げ物の恩人ですから」
追加で運ばれてくるトンカツ。
せっかく進められたお代わりなので遠慮なく、ヘイルートが腹へと収めようとしたところで、
(この気配は……)
覚えのある、あまり歓迎はできない相手だ。
ヘイルートの感知から数秒後、厨房へとレナードがやってきた。
「やぁ。今日は、画家様もきてるんだな」
「お久しぶりっす」
軽く挨拶を交わしながら。
互いにしかわからない一瞬、ヘイルートとレナードの視線が交差した。
(あいかわらず食わせ物ですね)
ヘイルートの持つ特殊な目のおかげもあり、一目見て相手に裏があることには気がついていた。
向こうも、ヘイルートがただの画家ではないと勘づいている。
初対面時のすれ違いざま、レナードはヘイルートの肩を叩いていた。
第三者からは、ただの馴れ馴れしい仕草に映っていただろうが、あれはむしろ一種の警告であり『忠告』だ。
軽く肩に触れただけに見えた手は、その実かなりの力がこめられていた。
なのでヘイルートも、相手の肩を軽く叩き返すフリをして、実は強くレナードの肩を叩いていた。
それに対して、レナードは予想していたようで、動揺を一切見せていないのだ。
どう考えても、ただの吟遊詩人ではありえなかった。
(オレもそしてレナードも、相手が後ろ暗い事情を持つ身なのは勘づいている。だからこそ、もしそのことをオレが指摘し公にしたりすれば、報復でこちらのこともバラされるだろうな)
だからこそヘイルートは動くことなく、傍観に徹しているのだ。
レティーシアが今後、レナードにどう対応していくのか。
ヘイルートは気にかけつつ、周囲の情報を集めているのだった。