作品タイトル不明
世界が繋がった日
地上に出たのは翌朝だった。
イラクの空が明るかった。
砂漠の朝日が、水平線から赤く差してきていた。
全員で石段を上がってきた。五人と美鈴。その全員が、砂漠の空気を吸った。
ひなたが深呼吸した。
「生きてます」
「ああ」
「世界も生きてます」
「ああ」
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帰国したのは同日の昼過ぎだった。
ゲートを使った。
バベルの坑道十二層から、日本の第四十一番まで、直接。
ゲートが世界中と繋がった。移動に、飛行機も電車も要らなくなった。
俺はそれを当然のことのように受け取った。
凛花は左腕を持ち上げて、開いたり閉じたりしていた。
「握れます」
俺に向かって言った。
「完全に。力も入ります」
左手が、拳を作った。
三年間できなかったことが、できた。
「よかったです」
そう言おうとして、俺は言えなかった。
凛花が先に言った。
「ありがとうございました。連れて来てもらって」
「俺は呼んだだけです」
「呼んでもらえてよかったです」
凛花が、微かに笑った。
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レオンとは、ゲートの前で別れた。
「国際調整をする。三管理者の連絡体制を整える必要がある」
「こっちはソフィアの環境を整えます」
「ソフィア・エレシュキガルを日本に住まわせるのか」
「本人がそう言った」
レオンが眉を上げた。
「……合理的な判断だ。お前の目の届く範囲が最も安全だろう」
「そういうことです」
レオンが手を差し出した。
俺が握った。
「また会うことになるだろう。合理的に考えて」
「ええ」
「次は飲もう。日本酒というものを試したことがない」
「たいしたものでもないですよ」
「試してみなければわからない」
レオンが去った。
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美鈴は空港まで一緒に来た。
正確には——ゲートを使えば空港は要らないのだが、彼女はわざわざ空港まで行くことにしたらしかった。
「飛行機が好きなんです」と美鈴が言った。
「ゲートの方が速いですよ」
「それはそうですが、空港が好きなんです。出発前のあの雰囲気が」
俺には理解できない感性だと思った。
「次の翻訳依頼、高くなりますよ?」
美鈴が振り返って言った。
「……いくらですか」
「冗談です」
美鈴が笑った。
「すぐ来ます。連絡してください、榊さん。あなたたちの仕事は、まだまだ言葉が必要です」
「わかりました」
美鈴が手を振って、歩いていった。
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ソフィアの初日は、ひなたが担当した。
担当した、というか——ひなたが「任せてください」と言って聞かなかった。
「ソフィアちゃん、原宿行こ!」
「……原宿?」
「おいしいものと、かわいいもの、全部ある!」
美鈴が去り際に、ひなたの言葉をアラビア語に訳した。
ソフィアが「そこは何の施設ですか」と聞いた。
「街です。人がたくさんいます」
「人がたくさい……」
「怖かったら帰れます。でも、行ってみないとわからないです」
ソフィアが少し考えた。
「……行きます」
ひなたがソフィアの手を引いた。
ゲートの光の中に、二人が消えた。
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帰宅した。
マンションの玄関を開けた。
いつもの、狭い部屋だった。
六畳。本棚。テーブル。カメラ機材が一角を占領していた。
何も変わっていなかった。
世界が繋がった日の夜も、部屋は六畳だった。
シャワーを浴びた。湯を浴びながら、何も考えなかった。考えることが多すぎると、逆に考えられなくなる。
飯を食った。
コンビニの弁当だった。
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配信を立ち上げた。
特に準備はしなかった。カメラを置いた。スウェットのまま。
接続した瞬間から、コメントが流れた。
「お帰り!」「待ってた」「どうだったイラク」「無事か確認したかった」「世界が繋がったって本当?」「お疲れ!」
「帰りました」
俺は言った。
「ゲートが繋がった。世界中のダンジョンが一つの構造だとわかった。でも、まだわからないことの方が多い」
コメントが流れた。
「それが榊さんらしい」「もっと喜んでよ!」「世界救った男が普通に配信してて草」「ソフィアちゃん映して」「ひなたちゃんは」
「ソフィアさんはひなたと出かけています。原宿に」
「え!?」「地下から原宿wwww」「振れ幅がすごい」「ひなたちゃんらしい」
「凛花さんは?」というコメントが流れた。
「今日、ちゃんと拳が握れたと言っていました」
コメントが静かになった。
一秒。
「よかった」「ほんとよかった」「泣く」「3年間…」「推してた」「復活おめでとう」
俺もそう思った。
「今後の話は——追々、します。まだ整理がついていない部分がある」
「ファウストは?」「次の巻は?」「古賀英明って誰?」
「次は、別の話になります」
それだけ言った。
コメントが「続くんだ」「第3巻フラグ」「楽しみ」と流れた。
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配信を切った後、押し入れを開けた。
段ボール。
父の遺品だった。
三箱分。処分できなかったもの。
一番上の箱を開けた。
本。論文のコピー。メモ用紙。
その下に——封筒があった。
古い封筒だった。
中に、写真が数枚入っていた。
取り出した。
父の若い頃だった。
ダンジョンに入る前の姿。三十代前半。
その隣に、男が立っていた。
白衣を着ていた。
俺の知っている顔ではなかった。
でも、仮面を外せばそうなるかもしれないと思った。
写真の裏を見た。
手書きだった。
父の字で。
「榊誠一郎 & 古賀英明 —— 2006年」
二人で笑っていた。
肩を組んでいた。
仲が良さそうだった。
弟子だったのだ。
Dr.ファウストになる前、古賀英明は——父の弟子だった。
俺は写真をテーブルに置いた。
二人の顔を見た。
二人とも、若かった。
何かを信じていた頃の顔をしていた。
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スマホが鳴った。
ひなたからだった。
メッセージだった。
「師匠! ソフィアちゃん、たこ焼き気に入りました!! 三個食べました!!」
写真が来た。
ソフィアがたこ焼きを持っていた。目を細めていた。笑っているのかどうか、微妙な表情だった。でも、悪くない顔だった。
俺はスマホを置いた。
写真を見た。
古賀英明の顔を見た。
この男が何を考えているのか、まだわからない。
父の選択の代償とは何か、まだわからない。
三管理者が揃った今、ファウストが次に何をするのか——わからない。
俺は写真を裏返した。
立ち上がった。
カーテンを開けた。
夜の都市が見えた。
窓を少し開けると、夏の始まりみたいな空気が入ってきた。
「……面白くなってきた、か」
声に出したのは、久しぶりだった。
独り言が多い人間ではない。
でも、この日だけは言いたくなった。
扉を閉めた。