作品タイトル不明
下準備
明けて翌朝。いつも通り鳥のさえずりと窓から差し込む光で目を覚ます。
軽く身支度を整えて外に出ると、クルル、ルーシー、ハヤテ、マリベルの娘たちがすでに待機していた。
昨晩から客人が増えているが、彼女たちの朝の日課に変わりはない。皆を引き連れて湖へ向かい、澄んだ冷たい水を汲む。
家に戻り、かまどで朝食の準備を始める頃には、家族もニルダも起きてきていた。
いや、アンネは起きてるんだか寝てるんだか分からないが、まあ、初対面の彼女にとっても普段通りでいられるということは、今のニルダがそんなに警戒心を呼び起こすような存在ではない、ということで良いことなのだろう。
そのニルダが俺に声をかける。
「おはよう、エイゾウ」
「おう、おはよう。よく眠れたか?」
「うむ。ここの家のベッドは、相変わらず体が休まるな。〝黒の森〟の中で、というのは些か慣れぬが」
そう言って苦笑するニルダ。俺はそれに笑顔だけで答える。
そうして、いつも通り賑やかな朝食の席に、ニルダが混ざっている。
以前に来たときにはいなかったメンツもいるのだが、ここで食事をしたことがある彼女は、すっかりこの空気に馴染んでいるようだった。
食後の茶を飲み終え、今日のメインイベントの1つに取り掛かる。
「さて、それじゃあ昨日仕留めた猪を引き上げに行くか」
「アタイも行くよ」
「私も手伝うわ」
「いつも通り皆でいけば良いじゃないか」
「私も良いか?」
「もちろん」
サーミャとヘレンが先陣を切り、家族が続き、そして興味を持ったらしいニルダが更に続いた。
なので、全員で湖へと向かう。今回は割と家の近くで仕留めたらしく、沈めた場所へはそんなに時間もかからずにたどり着いた。
岸辺の浅瀬に沈めておいた猪を全員で引き上げると、かなりの巨体が姿を現す。
「ほう、これは見事な獲物だな」
ニルダが感心したように猪を眺める。
「魔界の辺境では、こうはいかないか?」
「ああ。あの辺りは澱んだ魔力が濃いゆえ、獣も魔物じみたものが多くてな。食えなくはないが、肉が硬かったり、独特の臭みがあったりするのだ。このように丸々と太った獣の肉など滅多にお目にかかれぬよ」
「なるほどな」
引き上げた猪は、引き上げる間にリケが作ってくれていた丸太のソリ(と言えば聞こえは良いが、ようは筏のように並べて縛っただけのもの)に乗せて家の近くまで運ぶ。
そこでクルル二も手伝ってもらい猪を吊し上げ、手分けして作業を始めた。
サーミャが手際よく皮を剥ぎ、俺とヘレンで部位ごとに肉を切り分けていく。大まかに切り分けた肉を、他の皆が更に切り分ける。
ニルダも腕まくりをして、運搬を手伝ってくれた。
「これだけあれば、しばらくは肉に困らないな。保存に回す分と、今日明日の飯で食う分を分けておこう」
「うむ。これは焼いて食えばさぞ美味かろうな」
切り分けられた肉塊を見つめるニルダの顔が、わずかにほころんでいる。魔界ではどうなのか知らないが、さっき言っていたことを考えると、ご馳走を期待しているのかもしれない。
俺にとっても、この森の恵みを家族と共に享受し、明日への活力に変えるこのサイクルこそが、何にも代えがたい日常だ。
解体した肉を貯蔵庫へ運び込み、周囲の片付けと清掃を終える頃には、すっかり日が高く昇っていた。
一仕事終えてテラスで一息ついた後、俺は立ち上がる。
「よし、それじゃあ俺とリケは工房で作業するよ。ニルダの刀の手入れと、昨日のアレの調査があるからな」
「はいっ、準備はできています!」
リケが元気よく頷く。
「うむ、頼んだぞ」
「ああ、任せておけ。夕飯にはとびきり美味い猪肉を食わせてやるから、楽しみにしててくれ」
ニルダや皆に見送られながら、俺とリケは木の扉を開けて工房へと足を踏み入れる。
ひんやりとした静寂の中に、鋼と炭と油の匂いが満ちている。
火床の前に立ち、〝着火〟の魔法で火をつけ、ふいごを〝送風〟の魔法で動かし、空気を送り込むと、パチパチという小気味よい音と共に炎が燃え上がった。
まずはニルダの刀だ。魔界で過ごしてきた鋼の調子を見てやり、最高の状態へと戻してやる。それが終われば……納品箱に眠る遺物と向き合うことになる。
俺は気合を入れるように小さく息を吐き、静かに仕事へと取り掛かった。