作品タイトル不明
第三十四話 王様への意見
王宮から王都邸に戻ってきたとき、ルードはまだ少し呆然としていた。
父が書斎で報告書を書いている間、ルードはフィアの部屋に来た。
「フィア」
「うん」
「今日のこと、少し整理させてくれ」
「どうぞでしゅ」
ルードはフィアの部屋の椅子に座った。フィアはベッドに座ってノートを書いている。いつも通りだ。でも今日は、ルードの頭がいつも通りではない。
「王様に、お父様の胃の心配をしたな」
「しましゅた」
「会議室が静かになったぞ」
「分かっていましゅた」
「分かってたのか」
「でも言いたかったでしゅ。事前に連絡してもらえれば、お父様の胃への影響を減らせるでしゅ。それは正当な要求でしゅ」
「……国王に向かって、胃の心配をする三歳児は、たぶんお前だけだ」
「そうでしゅか」
「絶対そうだ」
ルードは少し笑った。
今日の王宮でのことを思い出した。
鑑定が始まる前、ルードはずっとフィアを見ていた。
フィアは緊張しているはずだ。でも、それが全然顔に出ていない。
水晶球に手を触れて、魔力を送った瞬間、ルードは少し息を止めた。
(どうなる)
でも、水晶球は自然な光を放った。普通の子の、普通の魔力だ。
翁が水晶球を見ていた。何かを感じ取ろうとしているのが分かった。でも、確証を掴めていないのも分かった。
(フィア、やったぞ)
ルードは心の中でそう言った。
そして国王が条件を受け入れて、鑑定が終わって、ヴォルフ侯爵が「確証がない」とまとめた。
ここまでは、想定通りだった。
でもその後だ。
「陛下、一つよいでしゅか」
フィアが国王に話しかけた。
父が少し固まった。ルードも固まった。ヴォルフ侯爵も少し目を丸くした。
「なんですか、フィア様」
「調査は今日で終わりでしゅか」
「……それは」
「もし、また来るのであれば、事前に教えてほしいでしゅ。突然来られると、お父様の胃が心配でしゅ」
会議室が静かになった。
国王が笑った。
「……分かりました。次回は必ず事前に連絡します」
ルードはその瞬間、笑いをこらえるのに必死だった。
三歳の妹が、国王に向かってお父様の胃の心配をしている。
でも実際、それは正当な要求だった。突然の調査は相手への敬意を欠く。事前通告を求めることは、正当な交渉だ。
ただ、それを「お父様の胃が心配」と言い切るのは、フィアにしかできない。
「ルード、笑っていましゅよね」
フィアの声で、ルードは現在に戻った。
「笑ってない」
「声が震えていましゅ」
「……少し笑ったかもしれない」
「国王陛下も笑っていましゅた」
「そうだな。氷が溶けた感じがした。それまで少し張り詰めていた空気が」
「それが目的の一つでしゅた」
ルードが少し止まった。
「……目的?」
「会議室の空気は、こちらに不利でしゅた。威圧的な場所、多い人数、知らない環境。そういう場所では、感情的に硬くなるでしゅ。一度笑いが起きると、場の空気が変わるでしゅ。前世のくせでしゅ」
「……国王を笑わせることを、計算していたのか」
「計算というより、経験でしゅ。重い場の空気を変えるには、笑いが有効でしゅ。お父様の胃は本当に心配していましゅが、それを言うことで場が和むとも思っていましゅた」
「一石二鳥だな」
「そうでしゅ」
ルードは少し黙ってから、言った。
「フィア、正直に言う」
「うん」
「今日、お前を誇らしいと思った」
フィアが少し驚いた顔をした。
「誇らしい、でしゅか」
「ああ。練習の成果を出した。翁と話した。国王に意見した。全部、自分で判断してやった」
「お父様が交渉したでしゅ。みんながいたでしゅ」
「でも、フィアが動いたから、全部がつながった」
「そうでしゅか」
「そうだ」
フィアがしばらく黙った。
「ルード」
「なんだ」
「誰かに、誇らしいと言われたのは、初めてでしゅ」
「そうか」
「前世では、仕事をして当たり前でしゅた。誰かに誇らしいと言われることはなかったでしゅ」
「……ここでは違う」
「うん。だから、少し」
「少し?」
「うれしいでしゅ」
フィアが素直に言った。
ルードは少し笑った。
「それくらい素直でいいんだよ、お前は」
「そうでしゅか」
「普段は三歳とは思えないくらい落ち着いているから、たまにこういう言葉を聞くとほっとする」
「わたしは三歳でしゅ」
「体はな」
「体も、心もでしゅ」
「……それはそれで難しいな」
「どういう意味でしゅか」
「三歳の体で前世の記憶がある。それって、いつもどっちの自分で動いてるんだ?」
フィアがしばらく考えた。
「両方でしゅ。前世の経験で考えて、今の体で感じるでしゅ」
「今の体で感じる、というのは」
「お父様が抱き上げてくれると、あたたかいでしゅ。ルードが頭を撫でてくれると、うれしいでしゅ。ティナしゃんと笑うと、楽しいでしゅ。そういうことは、前世では感じなかったでしゅ」
「……前世では?」
「前世では、感情を後回しにしていましゅた。仕事を優先していましゅた。感じる前に、判断していましゅた」
「それで、今は?」
「今は、感じながら判断できるでしゅ。それが、この体に来てよかったことの一つでしゅ」
ルードは少し黙った。
「……フィア」
「うん」
「お前は、今ここにいてよかったか」
「はい」
「はっきり言えるんだな」
「はい。家族がいるでしゅ。ティナしゃんもいるでしゅ。やることがあるでしゅ。それで十分でしゅ」
「……十分、か」
「十分以上でしゅ」
ルードは窓の外を見た。
王都の夜景が広がっていた。前の生活とは全然違う景色だ。でも、隣にフィアがいれば、どこでも同じ気がした。
「ルード」
「なんだ」
「今日、ありがとうでしゅ」
「何に対して」
「ずっと隣にいてくれたでしゅ。部屋に来てくれたでしゅ。誇らしいと言ってくれたでしゅ」
「当然のことだ」
「でも、言いましゅ。ありがとうでしゅ」
ルードは少し視線を逸らした。
「……どういたしまして」
フィアがノートを閉じた。
「今日、記録することがたくさんあるでしゅ」
「そうだな」
「でも、一番大事なことは記録しないでしゅ」
「なぜ」
「覚えているでしゅ。ここに」
フィアが自分の胸を指した。
ルードは少し黙ってから、立ち上がった。
「おやすみ、フィア」
「おやすみでしゅ、ルード」
部屋を出て、廊下を歩きながら、ルードは少し笑った。
(妹が王様に意見した日に、おやすみの挨拶をする。なんでもない夜だ)
でも、なんでもない夜が、ルードには一番嬉しかった。
フィアが元気でいる。それだけでいい。
今日もその確認が取れた。
それで十分だった。