作品タイトル不明
第三十三話 翁
王宮を出た後、想定外のことが起きた。
廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。
「フィア様、少しよろしいですか」
振り返ると、グレンドル翁が立っていた。
お父様が少し前に出た。
「翁、何かご用でしょうか」
「ヴェルター卿、少しだけ。フィア様と、二人で話させてもらえますか」
「……それは」
「お父様、いいでしゅ」
わたしが言った。お父様が驚いた顔をした。
「フィア」
「すぐ近くにいてくれましゅ。少しだけでしゅ」
お父様が翁を見た。翁はただ静かに立っていた。
「……分かった。ただし、俺が見える範囲で」
「もちろんです」
翁とわたしは、廊下の端の窓辺に移動した。
お父様とルードは少し離れたところから見ている。ヴォルフ侯爵も、廊下の奥で立ち止まっていた。
翁がわたしを見た。
近くで見ると、翁の目はやはり鋭い。でも今日の会議室とは少し違う。何かを探す目ではなく、確かめる目だ。
「フィア様」
「はい」
「今日の鑑定、うまくやりましたね」
「普通の子として会いましゅた」
「そうですね。……ただ」
「ただ?」
「私には、分かります」
わたしは少し考えた。
「何が分かるでしゅか」
「鑑定室では普通の子に見えた。でも、廊下を歩いているとき、一瞬だけ違う感覚がした。制御が緩んだわけではない。でも、何か、非常に大きいものを内包しているという気配が」
「そうでしゅか」
「認めますか」
「認めるとも否定するとも言わないでしゅ」
翁がわずかに笑った。
「正直なお子さんだ。……フィア様、一つだけ聞いていいですか」
「うん」
「あなたは、力を隠したいですか。それとも、使いたいですか」
わたしは少し考えた。
「使いたいでしゅ。でも、自分で決めた使い方で使いたいでしゅ」
「自分で決めた使い方、か」
「はい。誰かに決められた使い方ではないでしゅ」
翁はしばらくわたしを見ていた。
「……二百年前の子は、そう言えなかった」
「知っていましゅ」
「知っているのですか」
「本で読みましゅた。ヴェルター家の記録でしゅ」
「そうですか」
翁が窓の外を見た。王宮の庭が見える。
「フィア様、私は王家に仕えています。だから、王家の指示を無視することはできない。でも……」
「でも?」
「正当な手続きと、倫理的な判断は守ります。今日、確証が取れなかった以上、追加の強制調査は私からは進言しません」
「それは、翁の個人的な判断でしゅか」
「そうです」
「なぜでしゅか」
「あなたが正直に答えてくれたからです」
わたしは翁を見た。
「翁、一つ聞いていいでしゅか」
「なんですか」
「翁は、わたしをどうしたいでしゅか」
翁がわずかに驚いた顔をした。
「……正直に言うと、見ていたいと思っています」
「見ていたい、でしゅか」
「これほどの力を持つ子が、どう育つか。それは、私が長い間見てきた中でも、初めてのことです。王家のために囲い込むより、自然に育つのを見ていたい。そういう気持ちが、私にはあります」
「……でも、王家の指示には従うでしゅ」
「そうです。だから、あなたが賢く動いてくれることを期待します。今日のように」
「賢く動く、でしゅか」
「はい。正面から対立するのではなく、うまくやること。今日、あなたはそれをしました」
わたしは少し考えた。
「翁は、敵でしゅか」
「……敵ではないです。ただ、味方とも言えない立場です」
「分かりましゅた。それで十分でしゅ」
「そうですか」
「敵でないなら、いつかまた話しましゅょう」
翁がわずかに笑った。
「……そうですね」
「ありがとうでしゅ、翁」
「こちらこそ」
翁が礼をして歩いていった。
お父様がすぐに来た。
「フィア、何を話していた」
「翁は、わたしの存在に気づいているでしゅ。でも今日の確証は取れなかったでしゅ。追加の強制調査は進言しないと言いましゅた」
「……それは」
「翁が個人的に判断したでしゅ。ただし、王家の指示には従うでしゅ。今後も注意は必要でしゅ」
「それだけか」
「それと、翁はわたしが育つのを見ていたいと言っていましゅた」
「……見ていたい?」
「囲い込むより、自然に育つ方を望んでいるでしゅ。敵ではないでしゅ。でも味方でもないでしゅ」
「……複雑な立場だな」
「でも、最悪ではないでしゅ」
ルードが言った。
「翁と話せるとは思わなかった」
「話してみるといいこともあるでしゅ」
「どうしてそう思った」
「翁は正直な人でしゅ。だから、こちらも正直に話したでしゅ。正直な人間は、正直に向き合うと動くでしゅ。前世でもそうでしゅた」
「前世の仕事、本当に色々あったんだな」
「壊れたものを直す仕事は、人を見る仕事でもあったでしゅ」
王宮の廊下を歩きながら、わたしはノートを頭の中で開いた。
翁との会話。気づいているが確証なし。強制調査は進言しない。見ていたいという個人的な感情あり。敵でも味方でもない立場。
これは思わぬ収穫だ。
(翁を、ゼロから数えると、今日だけでかなりの情報が増えたでしゅ)
前世でいえば、システムの全体像が少しずつ見えてきた状態だ。
最後に一行足した。
翁は、わたしを壊しに来た人ではなかったでしゅ。