作品タイトル不明
第二十一話 翁が帰った後、王都で何かが動いています
調査が終わってから一週間が経った。
屋敷の空気は、すっかり穏やかになっていた。お父様の顔色は完全に戻ったし、ジルのため息も最近はほぼ聞かない。ルードは普通に訓練に行っている。
わたしも普段通りの生活に戻った。朝に魔力石の練習。昼に字の勉強。夕方にジルと魔力制御。夜にお父様と本を読む。
(平常運転に戻った)
前世でいえば、大規模な障害が収束してチーム全員が通常業務に戻った状態だ。ただ、こういうときに油断してはいけない。後から二次障害が来ることがある。
わたしは毎日、注意深く屋敷の様子を観察し続けていた。
ある朝、お父様が朝食の席で珍しい表情をしていた。
険しいわけではない。書類を読んでいるが、いつもより少し集中している。手紙のようなものを、何度か読み返している。
お父様の眉間に、いつものしわが戻っていた。
(あ、これは胃薬案件でしゅ)
わたしはパンをそっと皿に置いた。
朝食中に追加インシデントを投げ込まれたお父様の胃を、これ以上刺激してはいけない。
「お父様、なにかありましゅか」
「……ああ、王都の知り合いから手紙が来た」
「おしごとのおはなしでしゅか」
「半分は」
「もう半分は?」
お父様が手紙をテーブルに置いた。
「お前のことだ」
わたしはパンを食べる手を止めた。
「なんて書いてありましゅか」
「……グレンドル翁が、王都に戻ってから報告書を提出した。その内容について、王宮内で議論があったらしい」
「ぎろん、でしゅか」
「翁の報告書には、こう書かれていたそうだ。『ヴェルター家の屋敷では、明確な魔力反応は確認できなかった。しかし、二階の一画で何度か微かな違和感を覚えた。確証はないが、再調査の必要性を感じる』と」
わたしは少し考えた。
(翁は、感じ取っていた。確信はないが、違和感は残っている)
前世でも、ベテランエンジニアは「証拠はないが何かおかしい」という勘を持っていた。そういう勘は、大抵当たる。
「お父様、くには、ふたたびちょうさをするでしゅか」
「分からない。今のところ、王宮内で意見が割れているそうだ。再調査を進めるべきという派と、確証がないなら動くべきではないという派と」
「お父様は、どちらだとおもいましゅか」
「……いずれは動く。たぶん」
「いずれ、いつでしゅか」
「数週間か、数ヶ月か。早ければ来月にも」
わたしはノートに書き込みたかったが、朝食の席なので頭の中だけにとどめた。
(時間がある。でも、多くはない)
その日の午後、町の薬草屋だというシルベルクという男が、ヴェルター家を訪ねてきた。
彼には、ティナという娘がいるらしい。
お父様にとっては知り合いらしく、応接室に通された。わたしは隣室の戸の隙間からこっそり見た。
四十代の男性で、日焼けした顔で、目が穏やかで、でも芯の強そうな人だった。
お父様と二人で話していた。
声は大きくないが、扉のそばに耳をつければ少し聞こえる。
「……ヴェルター卿、王都での話を一つ聞きました」
「なんでしょう」
「先日のグレンドル翁の調査について、王宮内で議論があったと」
「私もその情報を得ています」
「ご存じでしたか」
「ええ」
お父様の声が少し低くなった。
「翁の報告書、読まれましたか」
「正式な内容までは。ただ、再調査を進言したことは知っています」
「私が王都の薬草問屋から聞いた話では、もう少し踏み込んでいるそうです」
「……どういうことです」
「翁は『該当の屋敷の二階に、感知を逃れた強い魔力がある可能性がある』と進言したそうです。確証はないが、進言した、と」
わたしは少し息を呑んだ。
(翁は、わたしの存在に近いところまで気づいていた)
お父様の声が聞こえた。
「……それは、私が聞いた情報より進んでいますね」
「私の取引先が、王宮の文書管理人と知り合いでして。正規の経路ではない情報です」
「ありがたい情報です。ただ、なぜ私に教えてくださるのですか」
少しの間があった。
「私には娘がいます」
「ええ」
「ティナといいます。九歳になります。あの子も……魔力が、強い方でして」
わたしは扉に近づいた。
「同じような状況で、私たちも子を守ってきました。ヴェルター卿、もし何かお手伝いできることがあれば、声をかけてください」
「……ありがとうございます」
「失礼を承知で言いますが、こういう話をできる相手は、なかなかいないので」
「私もそうです」
二人がしばらく静かに話していた。
(同じ境遇の家族が、町にいた)
わたしは扉のそばから戻った。
その夜、お父様が部屋に来た。
「フィア、聞いていたか」
「すこしだけ、でしゅ」
「全部聞いていたな」
「……はい」
「……まあ、いい」
お父様が椅子に座った。
「今日来たのは、町で薬草屋を営んでいる男だ。シルベルクという。彼の娘も、魔力が強いらしい」
「ティナしゃん、でしゅね」
「そうだ。九歳の女の子だ」
「お父様、ひとつかんがえがあります」
「なんだ」
「ティナしゃんと、おはなししたいでしゅ」
お父様が驚いた顔をした。
「……なぜ」
「おなじじょうきょうのこなら、いっしょにれんしゅうできるかもしれないでしゅ。それと、シルベルクしゃんから、おうとのじょうほうをもらえましゅ」
「……簡単には認められない」
「どうしてでしゅか」
「相手が同じ境遇だからといって、すぐに信用できるわけではない。フィアを危険に近づけるわけにはいかない」
「でも、じょうほうがありましゅ」
「分かっている。だから、まずは私がもう一度シルベルクと話す。その上で、会わせるかどうか決める」
「うん、わかりましゅ」
わたしは少し考えた。
「お父様、ひとつだけ」
「なんだ」
「ひとりでまもるより、みんなでまもったほうが、つよいでしゅ」
お父様がしばらく黙った。
「……三歳の発想じゃないな」
「まえのしごとのくせでしゅ」
「そうか」
お父様が立ち上がりながら言った。
「シルベルクのことは、慎重に進める。フィアは、まずは普段通りに過ごせ」
「うん」
「焦らなくていい」
「うん。でも、くにがうごくまえに、できることはやっておきたいでしゅ」
お父様が少し笑った。
「……お前は本当に、よく考える子だ」
お父様が部屋を出た。
わたしはノートを開いた。
今日の記録。グレンドル翁、想定より深く気づいていた。再調査の進言済み。シルベルク氏(薬草屋)と接触。同じ境遇の家族と判明。娘のティナ、九歳。お父様は慎重に進める方針。
最後に一行足した。
ちーむが、もうすこしひろがるかもしれない。
窓の外で夜の庭が広がっていた。
月明かりの中で、花が静かに揺れていた。
(時間はある。でも、無駄にはしない)
明日からまた、できることをやる。
訓練を続けて、情報を集めて、家族のために動く。
前世で学んだ全部を、また使うときが来た。