作品タイトル不明
リリア
父公爵は、母を溺愛していた。
最初は嫌々政略で迎えたそうだが、一緒に暮らすうち、自分とは正反対の母の穏やかな微笑みに癒される自分に気が付いたそうだ。
そうして姉が生まれた。
姉は母にそっくりで、父は目に入れても痛くないほど可愛いと、会う人会う人に自慢していたらしい。
跡継ぎとなる男の子が欲しかったけれども、一人目は女の子の方が育て易いと周りの目も母に優しかったから、父にはこれっぽっちの不満もなかった。
けれども、次に生まれた私も女の子。
茶色い髪で、顔立ちも普通。
何より『跡継ぎの男の子を産めない』母に対する周囲の目が厳しくなって来たのが、父にはどうしても許せなかったのだ。
父の私への対応は、虐待こそしないが、姉へのそれと比べて明らかに冷ややかだった。
それを見て母が一瞬でも悲しげな顔を見せれば、父はますます私への不快感を募らせた。
負のスパイラルだった。
おまけに私には、神からのギフトとでも呼ぶべき、あるいは呪いとでもいうべき常人離れした知能があった。
生まれた瞬間の記憶すら残っている。
プライドの高い父がこのことを知れば、きっと私を憎むだろう。
憎んだ挙句、私を幽閉し、嫁にも出さず、ただただ公爵家の都合の良い道具として使い潰すだろう。
父がとりわけ悪人という訳ではない。
ただただ私との巡り合わせは悪過ぎた。
幼い頃の私は、周囲から言葉の発達が遅れている子供と見られていた。
どうしても舌足らずになってしまうのだ。
3歳の時点で既に父母よりはるかに色々な事象が見えていた私だが、口から出る言葉はどうしても舌足らずで辿々しいものになってしまう。
どれほど、もどかしい思いをしただろう。
でもおそらくそれは無意識による自己防衛反応だった。
私自身の賢さを父や周囲に知られれば、ダイモス公爵家一門のために搾取されるのは火を見るより明らかだ。
父も周りも辿々しい言葉遣いの私を毒にも薬にもならない娘と見做して放置してくれた。
そんな父と私の仲を何とかしたいと思った母は、王宮へ出仕する父へ月に一度私を連れて行くように頼み込んだ。
母の頼みを断れない父は、往復の馬車に私を同乗させることで義務を果たした気になった。
王宮では放置である。
お陰で私は自由に王宮探検が出来た。
帰宅後は、『◯◯のお菓子が美味しかった』とか『◯◯のお花が綺麗だった』とか虚実併せて母に報告すれば、母はとても喜んだので、父は何も言わなかった。
そんな日々の中、私は彼に出会った。
初めて出会った日、彼は 8歳で、私はまだ 3歳だった。
一目惚れだった。
彼が笑い掛けてくれるのが嬉しかった。
また会いたくて、話がしたくて、少しでもお側に居たくて、『 3歳児の面倒なんてウザい』と思われたくなくて…。
けれども…。
公爵家同士の反目を思えば、こうして彼と会えるのもそう長いことではないのは自明の理だった。
それと同じくらい周囲からのプレッシャーに悩む彼には、自分より賢い 5歳の少女など憎悪の対象でしかないのも分かっていた。
終わりが間近なら、賢さを隠して少しでも長くお側に居たいと思う気持ちと、彼に嘘はつきたくないと思う気持ちがせめぎ合う。
結局私は彼に『素』を見せた。
『化け物』と怯えられ嫌われたとしても、彼には何一つ嘘をつきたくなかったし、一瞬でも良いから本当の私を見て欲しかった。
いいえ、もっと正直に言えば、『化け物みたいな女の子』としてでも良いから少しでも長く彼の記憶に残りたかった。
私の辿々しい話し方につられて、彼が私の高い知能に気付いたのは、結局出会ってから半年くらい経ってからだった。
ある時彼はマジマジと私の顔を見つめて言ったのだ。
『リリアはすんごくお利口さんなんだねぇ!』
彼の目には一欠片の恐怖も嫌悪もなかった。
あの瞬間の驚愕、安堵、歓喜、そして彼への感謝を、私は生涯忘れない。
それからしばらく平和な日々が続いたが、私が 5歳を過ぎた頃、急に彼が落ち着かない態度を見せ出した。
だから予感はあったのだ。
『リリアはお家では、どんな風に過ごしてるの?』
さり気なさを装っていたけれども、彼が私の出自に気付いて探りを入れているのはバレバレだった。
いつかこの日が来ても、絶対笑顔でいようとずっと考えていた。
どんなにそれが難しくても、最後まで笑顔でお別れしようと思っていた。
でも『その時』が実際に訪れた瞬間、ポロリ、涙と一緒に『もう会えないの』という言葉がこぼれ落ちた。
父に嫌われていることまで、漏らしてしまった。
これで全部おしまいなのに…。
そう思ったのに、いきなり私の前に絶大な力を持つ国王という名の『運命の神』が現れたのだった。
顔とドレスを泥だらけにした私に、父は帰りの馬車では無反応だった。
けれども帰宅後私の姿に驚愕して泣き出した母を見て、『もう王宮へは連れて行かない』と父は言った。
母はオロオロと父にとりなそうとしたが、父が前言を撤回することはなかった。
母は私に優しかったが、あくまでそれは父の機嫌を損ねない範囲に限られていた。
私は部屋に引き篭もり泣いた。
ドレスを汚して二度と王宮に連れて行かないと父に叱られたのがショックだったと母は思ってくれたようだが、むしろ王宮に連れて行かれないのは好都合だった。
王宮に上がれば、必ず彼を目で探してしまう。
彼を見つければ、必ずお側に行きたくなる。
お側に行って、飛び付いて、抱っこして貰って…。
もう駄目なのに。
二度としてはいけないことなのに。
だから私は、この屋敷に引き篭ろう。
今度彼を目にしたら、この呪われた頭脳を使い我がダイモス公爵家を粉々に壊して、彼の胸に飛び込んでしまうから。
それは彼を不幸にしてしまう。
『大人になったら、必ず迎えに行く』
そう言ってくれた彼の言葉だけが心の支えではあったけれども。
少年時代の正義感とか同情心とか、そんなものに縛られて辛い思いをするくらいなら、私のことなどさっぱりと忘れてくれて良かったのだ。
自分と会わないでいることが彼の幸せに繋がるのなら、私はいつまでだって“この家の穀潰し”のままで居ることが出来る。
だから私は今日も“勉強だけはよく出来るが、容姿は凡庸で、社交もまともに出来ない根暗な娘”という仮面を被る。