作品タイトル不明
164 どさくさに紛れて
舞台から降りると、アセリアは一目散にハルムのもとに急いだ。
場所は、舞台の上から確認しておいた。
目の前の、村長の家のそばにいる。
少しだけ、ワクワクする。
「すみません、通してくださいませ」
「おう!アセリアちゃん!よかったよ!」
「聞いていただいて感謝いたしますわ」
こんな人混みをかき分けて歩くなんて、初めてのことだ。
昔は、人混みの中をかき分けて歩く必要なんてなかった。
けれど今は、わたくしも、みんなと同じ場所に立っている。
「ハルム!」
人混みの中から、ハルムの腕が見えて、飛びつくように飛び出した。
「わっ」
と受け止めるようにハルムが腕を広げたのは、偶然だったし、わたくしもその腕に飛び込んだりはしなかったけれど。
「お嬢様……!」
「ふふっ」
思わず笑いが盛れてしまう。
少し驚いた顔。
ハルムのこんな顔を見るのは初めてだった。
昔、夜会に行く時にはハルムはついてきてくれていたけれど、そこでハルムを探したことはない。
いつだって、前に歩けばそこにハルムがいた。無表情で、頭を下げて。
いつだって、わたくしの歩く先を見つけて、先にその場所で待っていたから。
だから今は、ハルムを見つけてそこへ向かって行けるのが嬉しかった。
「いい挨拶でしたよ」
言われて、アセリアはハルムの顔を見上げた。
「ええ」
人混みだからという理由で、その腕に掴まってはいけませんですかしら。
「ここは、正面で見やすいですわね」
隣へ並ぶと、ハルムの表情が柔らかくなる。
少しドキドキする心臓を抑えて、気づかないふりをする。
「最初はソフテとミルデの家族の歌ですよ」
舞台を見ると、ソフテがピョコンと舞台に乗ったところだった。どうやら父親に抱き上げられて乗ったようだ。
続いてミルデの姿も見えた。
「おー」
「がんばれー!」
力の入った応援が広場中に響く。
「えー、皆さん」
父親がかしこまった声を出すと、その友人らしき男性たちから笑いが漏れる。
「私たち家族は、ここまで何日も、雨の日も風の日も曇りの日も、歌の練習をしてきました」
「おー」
一部の人たちが、返事のように声を上げた。
「一番手で皆さん緊張しているでしょうが、」
そこで父親は、後ろを向いて言ったのだ。
「私たちが、ほぐしてあげましょう」
その瞬間、ソフテの小さな声が、広場に鳴り響いた。
そこにミルデの声も重なる。
歌い始めたのだ。
「ぼくらはこの瞬間を迎え〜♪」
あら。
とても凝った演出ですのね。
声を出さずにアセリアはハルムの方に視線を送る。
ハルムもそれに応えるように、頷いて微笑んだ。
ドキドキする。
どさくさに紛れて、その手に触れては、いけませんですかしら。