作品タイトル不明
152 わたくしは、大丈夫
ハルムがアセリアの前で真剣な顔をしたのは、その日の夜のことだった。
「王子がここへ向かっているそうです」
その爆弾発言のような言葉を聞いて、心がすうっと冷えるのを感じた。
あの王子が。
今でも、王子なんて言葉を聞くだけで、仕事モードに入ってしまう。
もう、王子を支える役でもなんでもないというのに。
「……何の話なんでしょうね」
ハルムのそんな言葉に。言い出しづらそうなその言葉に違和感を覚える。
果たして今まで、ハルムのこんな言葉を聞いたことがあっただろうか。
相談するみたいな。
ここへ来るまで執事として献身的にスケジュール管理や交渉事などを頼んできたけれど、ハルムはそれに反論することも、内容を把握しようとする素振りすら見せたことはなかった。
今は、その言葉が必要なんですのね。
その事実に嬉しくなる。
それがただの好奇心だったとしても、一緒に暮らしている義務感からだったとしても。
その言葉が一緒にいることの証明のような気がして。
「わかりませんわ。わたくしも、あの夜以来、王子の動向も何も知りませんの」
素直にそう答える。
ハルムは、じっとこちらを見た。
まっすぐな瞳。
その瞳に見られることで、わたくしというものの形が見えてくる。
ハッキリと。自分がどういうものなのか。
「そばにいますから」
ハルムの力強い声が心臓に響いた。
「ええ。頼りにしていますわ」
ハルムの顔があまりにも緊張しているものだから、安心させるために笑顔を作る。
「大丈夫ですわ。流石に、追放されて何の力もない人間をわざわざ害する理由などありませんもの。きっと何か用事があるのでしょう」
「はい。例えそうでも、私が、お嬢様に危害を加えさせるようなことはさせません」
ああ、ハルムはわたくしを守ろうとしてくれているのですわね。
心から、大丈夫だと感じる。
深夜。
冷えた空気がアセリアの肌に触れる。
暗闇の中、眠っているハルムのそばに座り、その顔を眺めた。
例え、王子がわたくしに無理を通しても、王都へ連れて行かれたとしても、……殺されてしまうのだとしても。
わたくしは大丈夫ですわね。
もうわたくしは、この瞳に守られていることを知っているのだから。
アセリアは、ハルムの頭の上にかがみ込むと、その頭にキスをひとつ落とす。
柔らかな髪にアセリアの唇が触れた。
静かな空気の中での、静かな時間が流れる。
あなたがいてくれてよかった。
まあ、王子に関しては最後まで話を聞いて、それから考えるしかありませんわね。
アセリアは、窓の外が薄っすらと明るくなるまで、そっとハルムの寝顔を眺めた。