軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

After story3 下積み悲喜交々-中編-

「おーい、神崎ぃ。週末だし飲みに行かないか?」

データの打ち込みが一段落して、座ったまま背中を伸ばしていると経理部の先輩社員からそう誘いを受けた。

僕は少し考えてから頷く。

頼まれていた作業は特に急がなければならないものではないし、月末が過ぎて経理部もようやく落ち着いてきたタイミングだ。

早く帰ってセラと映画でも見ながらのんびりしたいような気持ちもあるが、こういった同僚との人間関係構築も大切なことだ。

ましてや僕はまだここでは下っ端社員でしかないし、少し先輩たちに聞いてみたいこともある。

「おぉっ、神崎ってクールなタイプだから飲みとかあんまり誘えなかったけど、ゆっくり話してみたかったんだよな」

「え? 神崎君が参加するの? だったら私も行きたい」

僕が参加すると聞くと、数人の社員が自分も行きたいと言い出しはじめた。

気になってコソッと最初に誘ってくれた先輩社員に訊ねると、あまり私語もせずに黙々と仕事を進めていく姿に、あまり人付き合いが好きじゃないんじゃないかと思われていたらしい。

何かのおりに僕が大学卒業と同時に同棲を始めたことを言ったことがあり、興味を持っている同僚が少なくないのだそうだ。

これは反省しないといけないな。

確かに僕はあまり人と話すのが得意ではないし、思ったことを率直に口にしすぎて辛辣に聞こえたりすることがあるのでかなり言葉を選ぶようにしている。

だから尚更口数が少なく思えてしまうのだろう。

それに、 陽斗(アイツ) ほどではないが、セラは人の気持ちを察するのが得意で、僕が口に出さなくても考えていることを先読みして反応してくれるのに慣れてしまったのもあるかもしれない。

だが社会人としてそれでは駄目だ。

別に誰とでも仲良くなる必要まではないが、少なくとも話しかけづらいと思われていては今後の仕事にも差し支えてしまう。

そうして午後6時になり就業時間を終えた僕は同僚と一緒に会社の最寄り駅近くの居酒屋に入った。

用意の良いことにすでに予約が入れられていたらしく、週末ということもあってそれなりに店内は混んでいたがすぐに個室の座敷席に通される。

すぐに他の同僚たちも到着し、僕を含め5名が席に着いた。

「お疲れさまー!」

「とりあえず年度最初の月を無事終えたからな。年度末から先週までバタバタしてたからようやく飲みに来れた」

「今度は株主総会の準備が迫ってくるけどねぇ」

「今だけは忘れさせてくれ!」

お約束のように最初に全員で生ビールを頼み、各々が適当に頼んだ料理を待つ間、経理あるあるの話題が口火を切る。

経理の仕事というのは地味で単純と思われがちで、実際にそういった面があるのは確かだが、時期によって大変さがかなり違う。

一番大変なのはやはり決算時期の前後だが、それ以外にも3ヶ月に一度の四半期に決算短信、9月に中間決算という山場があるし、株主総会前はIR資料の整備もしなければならない。

とにかく企業活動の全てにお金が絡むので、それら全てを統括し、管理するのが経理の仕事なのだ。

そして、内容に関しては社内の人にも話していけないことが大半を占めている。

迂闊に愚痴もこぼせないなんて愚痴をよく聞くくらいだ。

とにかくストレスの多い仕事なだけにこうした飲み会を気晴らしにしている社員が多いのだろう。

ただ、酒が入ってもちゃんと自制はできているようで、会話の内容は部外者に聞かれても問題が無いものに抑えられているようだ。

「で? 神崎君って同棲してるんでしょ? 彼女さんとは付き合い長いの?」

「え、ええ、まぁ。大学2年になってからだから5年くらいですね。一緒に暮らし始めたのは卒業してからですが」

「早っ! え? 今の子たちってそんななの?」

「いや、アンタもそんな歳変わんないでしょ」

しばらくして場が和んでくると、やはり女性陣の好奇心が疼いてきたらしく、どこか獲物を見つけた爬虫類を連想させる薄い笑みを浮かべて口々に質問を浴びせてきた。

「なんか、神崎君って落ち着いてるから、あんまり女の子に声かけるってイメージないんだけど、どっちから付き合おうって言ったの?」

「……向こうから、ですね。知り合ったのは高校1年の時ですが」

他人の色恋を聞いて何が楽しいのかまったく理解できないが、とりあえず返答に困ること以外は正直に答える。

舌禍を避ける最善の方法は何も話さないか、事実をそのまま話すかだと昔聞いたことがある。

「でも、2年も同棲してるってことは、そろそろ結婚って話も出てるんじゃないか?」

「けどさすがに社会人になってようやく3年目で結婚って早過ぎる気がするぞ。俺は20代後半で良いや」

女性たちからの質問を適当に流していると、男性同僚も加わってくるが、まだそちらの質問の方が答えやすい。

「結婚は、どうなんですかね。今とあまり変わらない気もするので、あまり考えてなかったですが、女性は早く結婚したいものなんでしょうか」

考えてみれば、セラから特に結婚の話はされたことがない。

ただ、同棲の時も知らない間に外堀を埋めて、気がついたら逃げ場はなかったのだから、彼女が望んでいたら僕が何もしなくてもいずれそうなるのだろう。

まぁ、別にそれが嫌というわけではないし、今では僕もセラとの暮らしを楽しんでいるし、彼女以外と結婚するイメージが湧かないくらいだ。

「でも、同棲3年目で別れる人って多いらしいわよ。マンネリになってくるし、相手の嫌なところが目に付くようになる時期だしね。ほら、釣った魚に餌をやらなくなる男の人って多いじゃない」

「そうそう。私の彼氏も最近全然愛情表現とかしなくなったし、最近じゃ料理作ってもありがとうも言わないわよ」

「神崎君も気をつけないと、ある日帰ったら荷物も彼女も居なくなってたなんてことになるわよ」

既婚者の女性社員の言葉に、男性陣で顔が引き攣っているのがチラホラと。

とはいえ、僕の背中にも少しばかり冷たいものが流れたようか感触があった。

そう言えば、料理や家事に感謝の言葉は忘れないようにしているつもりだが、愛情表現というか、そういった言葉はほとんど言った憶えがない。

それだけじゃなく、服装や髪型、アクセサリーなんかを褒めたこともあまり、ない。

今のところセラの態度は付き合い始めた頃とほとんど変わらないが、人の内心なんて覘けないし、僕は特にその辺の、感情の機微とかを察するのは苦手だ。

「僕はあまりそういった感情表現が得意ではないのですが、やはり女性は気にするものでしょうか」

「そりゃそうよ! 気持ちが伝わってるはず、なんて男の身勝手な幻想だからね」

「そうそう。それに、わかってたとしても直接言ってくれないのは淋しいわよ」

一斉に頷く女性陣。

対して男性陣は居心地が悪そうに無言で酒を飲んだり料理を口に入れて時が過ぎ去るのを待っているようだ。

多分、耳が痛いのは僕だけじゃないんだろうな。

「そ、そう言えば、この間課長に面倒な仕事を押しつけられてたけど大丈夫だったか?」

男性陣にとって都合の悪い話を変えるためか、わざとらしく先輩社員が話を振ってきて、他の男性もそれに乗っかる。

「ああ、あのクソ忙しい時にまだやらなくていい作業まで指示されたってやつか」

「え? でも神崎君、私のお願いした作業もちゃんと終わらせてくれたよね」

「多少時間が掛かるだけでそれほど難しい仕事ではなかったので。それより、これまであまり課長と関わったことがなかったんですが、どういう人なんですか?」

僕としては我が身を省みる切っ掛けだったので女性社員の話を真剣に聞いていたのだが、丁度知りたいことがあったのでこの際聞いてみることにする。

「課長かぁ、指示は雑なのに指摘は細かいし、嫌味っぽいから俺は正直苦手」

「面倒な仕事は人に押しつけるよな」

「けど、取引先の支払い関係はしっかりしてるんじゃないの? 絶対に人に任せないじゃない」

2年同じ部署で働きながら僕は課長とあまり話をしたことがない。

僕のような若手社員は基本的に主任の指示で仕事をすることがほとんどで、よほど忙しくないと先日のように課長や部長から直接指示されることがないからだ。

なので、課長の為人はよく知らないのだが、どうもあまり人望があるようなタイプじゃないらしい。

「ただいま」

22時か。

思いのほか楽しめた飲み会を終えてようやくマンションに戻ってきた僕は玄関を入るといつものように声を掛けた。

普段ならすぐにリビングからセラが顔を出して「おかえり」と言ってくれるのだが、今日はそれがない。

いきなり飲み会で遅い帰宅となったが連絡は入れてあるし、そこまで深夜という時間でも無い。なによりそんなことで怒るような彼女ではないから少し不審に思った。

つい飲み会で女性社員に言われた言葉が頭をよぎる。

……帰りにスイーツでも買ってきた方が良かったか?

そんなことを考えつつ、リビングの手前まで来ると、セラの声が聞こえてきた。どうやら電話をしているようだ。

出迎えがなかったのはそのせいらしい。

思わずホッと小さく息を吐く。

「そっかぁ、でも楽しみだね。性別はわかってるの? そう、まぁ陽斗くんならそう言うよねぇ。え? ウチ? あはは、私たちはまだ仕事に慣れるのに精一杯だよ」

カチャ。

邪魔をしないようにそっとドアを開けたのだが、すぐにセラが気付いた。

「あっ、壮くんが帰ってきた。じゃあ穂乃香さん、またね。絶対に無理はしちゃ駄目だから。うん、そうだね、近いうちに。おやすみなさい……お帰りなさい。ゴメンね電話で気付かなかった」

電話を終えたセラが気まずそうに舌を出して謝ってくるが、僕は笑って(自分的には)首を振る。

「別に気にしなくてもいいさ。四条…、いや、皇夫人から?」

つい言い間違えてセラに笑われる。

「まだ慣れないの? もう穂乃香さんと陽斗くんが結婚して2年になるのに」

「中等部の頃から呼んでいたからな。それに姓が変わってからそれほど会ってないし、仕方ないだろう」

揶揄い混じりの言葉に、肩をすくめて言い訳する。

面と向かって言い間違えたら失礼だが、自宅でくらいは許してほしい。

「まぁそれは良いとして、穂乃香さん、妊娠したんだって。もう安定期に入ってて、皇のお屋敷は大騒ぎらしいわよ」

一瞬驚きかけたが、結婚して2年以上になるのだから何の不思議もないかと思い直す。

「皇翁の曾孫か。それはそれは過保護が加速しそうだ」

孫の陽斗相手にあれだけ甘やかそうとしていたあの御仁だ。どれほど常識外れの過保護っぷりを発揮するか想像もできない。

「あはは、想像通りだってさ。常に身の回りの世話に複数人のメイドがつきっきりで、落ち着いてお手洗いもいけないくらいって愚痴ってたわ」

「そうか」

「でも、穂乃香さんと陽斗くんの赤ちゃんかぁ。可愛いだろうなぁ」

セラがどこか憧れるような目で虚空を見つめる。

やはり彼女も母親になるということに特別な想いがあるのだろうか。

「セラ、その……」

「あっ、それより疲れたでしょ? お風呂入っておいでよ。その間に二日酔い予防のスペシャルドリンクを用意しておくから」

僕が口を開きかけたのに被せるようにセラがそう言って僕を寝室のほうに押す。

その態度はいつもの彼女らしくあり、それでいて何かを誤魔化しているようにも感じられた。

仕方なくネクタイを緩めながらリビングを横切った僕の視界の隅に伏せられた女性雑誌が写った。

数メートル離れていてもジュエリーの文字が、なぜかはっきりと読めた。