軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

After story3 下積み悲喜交々-後編-

コンコンコン。

会議室のドアがノックされる音が響く。

「どうぞ」

部長がそう言うとドアが開かれ、経理部経理課の課長が入ってきて、僕の顔を見て怪訝そうな顔をする。

「座ってくれ」

「は、はい。あの、どうして神崎君がここに?」

部長と課長がいる席に、平社員でしかない僕がいることが疑問だったのだろう。課長がそう訊いてくる。

「今回君を呼んだ件に関係があるからだよ」

「はぁ」

端的に言われてますます困惑する課長。

経理部全体が繁忙期を終えて一息つけるこの時期は部署内もどことなくゆったりとした時間が流れている。

特に週の半ばともなれば週初めの憂鬱さや週末の浮ついた雰囲気も無く、さりとてそこまで忙しいわけでもないので割と穏やかに軽口が飛び交いながら淡々と仕事を進めていっている。

課長が出社直後に部長から会議室に来るように言われたのはそんな日だ。

内容は知らされていない。

ただ、役職者同士、報告に呼ばれたり社内の幹部会議などで話された内容を伝えるために呼び出されるのは珍しいことではないため、躊躇うこともなくこうしてやって来たわけだ。

確かにそんな席に僕が居ては困惑するだろうな。

「実は、我が社が取り引きしている企業に対して内部調査を行ったんだが」

ピクリ。

部長の言葉に、課長の顔がわずかに引き攣るのがわかった。

「少し不可解というか、不自然な取り引きの痕跡を神崎君が見つけてね。取引先の納品の確認や支払いは経理部が一括して行っているから、君に話を訊こうと思って呼ばせてもらった」

「不自然な取り引き、ですか? 申し訳ありません、私は気付かなかったのですが」

言葉はごく自然で、後ろめたい人間の 声音(こわね) じゃない。

……こういうときは西蓮寺、いや皇陽斗の能力が羨ましいな。

実社会ではこういう内心を外面に出さないことに長けた人間が沢山居る。それを見抜くのは難しく、それこそベテラン警察官並の観察眼が必要だろう。

まぁ、アイツみたいにまったく関係なしに見抜けるような奴も居るが。

「そうかね。では具体的に指摘するが、K社とI社、この2社への発注が月におよそ320万。品目は化学素材だが、我が社の工場に納品された形跡がない」

「そう、なのですか? いえ、私は請求書の処理をしただけなのでわかりませんでした。確認不足です。申し訳ありません」

「……2社との取り引きが始まったのは2年半前だ。契約書を確認すると、君と工場長の印が押されていた。だが不思議なことに工場長はそんな会社は知らないし判を押した覚えも無いと言っている。そもそもこの企業はどのような経緯で取り引きするようになったのかね。君は当事者なのだから当然知っているのだろう?」

部長の言葉に、さすがに平然を装うのは無理だったのか、課長の表情が硬くなり言葉を探すように目が泳ぐ。

「それは、その、なにぶん何年も前の話ですので、はっきりと憶えていないのですが」

誤魔化すように言う課長の顔を部長がしばし無言で見つめてから、僕に視線を移した。

それを受けて、事前に用意していた資料を部長と、それから課長の前に差し出す。

「取引先への入金手続きはいつも君が行っていたそうだね。いや、別の言い方をしようか。他の者には絶対にさせないようにしていた」

「それは……」

「神崎君が調べてくれたのだが、K社とI社という会社は確かに実在するが、契約書の住所ではなかった。町名までは同じの、空き家の住所だ。念のため両方の会社に問い合わせたらどちらも我が社と取り引きしたことが無いと証言しているそうだ。しかし、法務局に登記はされている。つまり完全なペーパーカンパニーだな。そしてこの2社から君の口座に毎月50万ずつが振り込まれていたようだが、その理由を聞こう」

「な!? わ、私は何も知りません! 本当です! だ、だいたい、いち平社員が適当に調べた情報が信じられるのですか? まして口座の入金記録なんて調べられるわけがない! 私は課長として何年も会社に貢献してきました。彼と私、どちらが信用できるというのですか!」

口角泡を飛ばすというのはこういう状態を表現しているんだろうな。

見苦しく捲し立てる課長を見ながら、そんなやくたいもないことを考えてしまう。

まぁ、実際、僕の立場で個人の銀行口座の情報を得られないのはその通りだ。

ただ、僕の知り合いにはそれができる人が居る。それだけの話なのだが。

「失礼します。ここからは私がお話しします。課長、あなたはとあるクラブのホステスに随分いれあげて、かなりの借金を抱えているそうですね。そしてK社の代表を名乗る人物はそのクラブの経営者、I社の代表はその知人だそうで。この2年半の間に2社に流れた金額はおよそ8000万円に上ります」

「で、でたらめだ! 平社員ごときが適当なことを言うな!」

「この2社以外にも数社、実際の取り引きよりも多い金額が支出されています。差額の一部が課長の口座に入金されていますね。他には架空の接待費やタクシーチケットの発行にも不審な点が多数」

顔色を変えて僕の言葉を遮ろうとするが構わず資料を読み上げる。

「君は神崎君をいち平社員ごときと言っていたが、彼は決して“ごとき”などと言える立場ではないぞ。なにしろ、我が社の親会社とグループ全体を統括する天宮家の次男なのだからな。当然、その言葉の重みと信用は君とは比べものにならん」

「なぁ!? そ、そんな、名前が……」

「天宮の姓は知られていますし、それほどありふれた苗字ではないので父の旧姓を名乗っているんですよ。もっとも、婚姻前の父を知っている人にはすぐバレてしまいますが」

僕の言葉に、課長は椅子から崩れ落ちてしまった。

「親会社から経理部に調査が入ることになっている。君のおかげで私の評価もガタ落ちになるだろうな。まったく迷惑極まりないよ。もちろん調査で痛くもない腹をさぐられることになる部の社員たちも不満をもらすだろうな」

「不正請求をした取引先はすべて他の会社に切り替えることになりますし、課長は損害額が判明次第、被害届と損害賠償、背任、信用毀損の慰謝料を請求しますので。全ての処分が確定するまでは自宅待機してください。ああ、不法行為の賠償のために自殺しても保険は下りないと思いますよ」

もはや課長の顔は青を通り越して土気色と表現するのが近いくらいに変わっている。

僕が自分の出自を明かしたことで、言い逃れができる状態ではないことを理解したのだろう。

「そういうことだ。荷物の片付けも部署への挨拶も必要ないから、このまま帰りなさい。財布や必要な私物だけは持っていって良い」

部長はそう言って席を立ち、僕も一緒に会議室を出る。

「お疲れさまです」

「ふぅ。私の監督不行き届きです。申し訳ありません」

「いえ、僕はただの平社員ですからこれまで通りにお願いします。それと、今回の件は相当巧妙に偽装されていましたから部長が気付けなかったのも無理はありません。ただ、業務を個人に固定していたのは問題でしたので、それは改善した方が良いかと。父にはそのことも添えて話をしておきます」

僕の言葉に、部長はほんの少しホッとした顔を見せる。

実際、結果だけ見ればお粗末だったが、課長のやり方はかなり巧妙で、僕自身疑って調べたから気付けたようなものだ。

監督責任があるとはいえ、加重な責任を問うのは酷だと思う。

父がどう判断するかはわからないが、部長の普段の仕事ぶりは部下に公平で、責任からも逃げたりしない、客観的に見ても良い上司だからそれは口添えしようと思う。

「お疲れさま! 大変だったみたいだね」

繁華街から少し離れたところにある小さなレストラン。

超高級店ではないけれど知る人ぞ知るっていう隠れた名店らしく、僕も父親と一緒に何度か来たことのあるところだ。

照明は控えめで落ち着いた雰囲気があるので客層は少し高めで予約も取りづらいが、ダメ元で電話をしてみたらたまたま空きがあったのでこうしてセラと一緒に来ることができた。

「少し。あまり外部の人には言えない内容だけどな」

僕の言葉にもセラは微笑んで頷いてくれる。

ここ2週間ほど課長の背任行為の調査や証拠固めで頭がいっぱいだったけど、内容まではわからないまでもプライベートな部分でしっかりと支えてくれた。

今日はそのお礼も兼ねている。

「こういうお店も良いね。料理も美味しいし」

「ワインも銘柄はよく知らないけど料理に良く合ってる」

しばらくは料理とワインをふたりで楽しむ。

一緒に暮らしているからか、こうして外でゆっくりと食事するのも久しぶりだ。

最後にデザートとコーヒーが運ばれてきて、セラは幸せそうな溜め息を吐きながらケーキを口に運ぶ。

……結構緊張するな。

僕はできるだけ平然とした態度を保ちつつ、ポケットから小さな箱を取り出した。

「セラ」

「はい」

僕が名前を呼ぶと、彼女は居住まいを正してこちらをジッと見つめてきた。

これは僕が何をしようとしているか完全にバレてるな。

けれど、それでも彼女の表情に拒絶する色はなく、むしろ何かを期待するかのように微かな笑みを浮かべているように見える。

そのことに少しだけ勇気づけられて、でも口を開くことなくセラの前に小箱を置く。

「……開けてもいい?」

「ああ」

僕が頷くと、彼女はゆっくりとした仕草で箱を開く。

「何も言わないの?」

「言わなくてもわかってるんだろ?」

「それでも言ってほしいものなの!」

唇を尖らせるセラに、僕は小さく息を吐いた。

「結婚、してほしい。僕はまだ平社員だから少し早いかもしれないけど」

こういうのを一世一代と表現するんだろうか。

僕の言葉に、セラはニンマリと笑みを浮かべると、小箱の中に収められていた指輪を抜き取ると僕の方に差し出した。

「着けてくれる?」

「返事を聞かせてくれ」

「言わなくてもわかってるでしょ?」

「それでも言ってくれ」

ついさっきとは真逆の台詞。

きっと彼女なりの意趣返しなんだろう。

「はい。よろしくお願いします」

期待通りの言葉とともに差し出された左手の薬指に、僕は小さな指輪を滑らせた。