軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

After story3 下積み悲喜交々-前編-

月末近くの平日ともなれば経理部のオフィスは真剣な顔でモニターの前から動かない社員やデスクに山ほど積み上げられた書類と格闘する社員で殺伐としている。

「 神(・) 崎(・) 君、悪いんだけどこのリストにある会社の請求書と納品書を確認してくれる? それが終わったら昨年のデータと照らし合わせて数量と価格の推移をまとめて」

30代半ばくらいの男性社員がA4のコピー用紙を数枚手渡してくる。

「わかりました」

僕はそれを受け取り、自分に割り当てられたデスクに戻ってパソコンの経理システムを立ち上げる。

会社の経理部門といえばいわば人で言う心臓にあたる。

血液(お金) を集め、精査してから全身に行き渡させる会社の基幹部だ。

会社というものが利益を追求する組織である以上、企画も営業も製造も販売も、全て金銭という制約を受けている。

それを集め、精査し、必要なところに必要なだけ供給する役割を経理部門が担っている。

逆の見方をすれば、経理を見れば会社の全てを知ることができる。

中には経理という部署を軽視して営業や企画部門が会社を背負っていると考えている人も居るようだし、確かに売上がなければそもそも流す 血液(お金) がなくなってしまうのだから一面ではそれも事実だ。

だが同時に、経理が適切な金の管理をしなければ企画も営業も機能しない。

特に、天宮家が経営するAGIグループにおいて経理部は大きな権限とそれ以上の責任を負っている。

パソコンのシステムに入力されている経理データを紙ベースの請求書や銀行口座の入出金記録と照合して誤差がないか確認していく。

経理業務の多くの部分でシステム化が進んでいて、必要なデータはすぐに抽出したり計算したりできるようになっているが、所詮入力しているのは人間だ。

誤入力や入力漏れがあっては正確なデータが集計できないし、システムだけではそれらを全て修正することもできない。

どうしても人の目で確認する必要があるのだ。

見落としや計算間違いがないか、丁寧にチェックしていくと、不自然な日付や入力ミスと思われる箇所が数カ所確認できた。

それらは必要に応じて担当者に確認を取ったり、他の書類と整合性を照らし合わせて修正をかけていく。

(やっぱり入力者の履歴が残るようなシステムに変更した方が良さそうだな。今のままでは上書きされてしまえば修正前のデータがわからなくなってしまう)

仕事をこなしつついくつか気になった点をメモに書き留めておく。

その後も2時間ほど残業で細々とした作業を行ってから家路につく。

毎月のこととはいえ月末月初は経理の繁忙期になるが、それでも決算期に比べれば大したことはない。

それに、家までは会社から地下鉄で数駅、歩く時間を足しても通勤時間はわずか30分ほどだ。越境して通っている社員もいることを考えればかなり恵まれている。

「しかし、毎日オフィスで事務仕事と会社との往復だけだと運動不足になるな。ジムにでも通うか」

地下鉄を降りてマンションまで歩きながら思わずそんな言葉が口から零れる。

いくら何でもまだ20代前半で運動不足では先が思いやられる。大学時代までは弓道を続けていたんだがな。

内勤は身体を動かさないとは聞いていたが、想像以上だ。

マンションのエントランスを抜け、エレベーターで15階まで。

玄関に鍵をかざして開けると食欲をそそる香ばしい匂いと暖かな空気が迎えてくれる。

「おっかえりー! 丁度ご飯ができたところだけど、どうする?」

このどうする? は多分先に食べるか、それともシャワーや仕事の残りを片付けるかってことだろう。

どうにも彼女は言葉が足りないことがあるから推測しなきゃいけない。まぁそこまで複雑な端折り方はしないから難しくはないんだが。

「仕事は持ち帰ってないから温かいうちにいただくことにする。着替えだけさせてくれ」

「おっけぇー」

彼女は俺の言葉にケタケタと笑いながらリビングに戻っていく。

まったく、何がそんなに楽しいんだか。

手洗いとうがいをしてから寝室で部屋着に着替え、リビングに入るとダイニングには鶏肉の香草焼き? と、ポテトサラダ、スープ、それとご飯が並んでいた。

「悪いな、セラ。落ち着いたら僕も作るから」

「月末近いからねぇ。 壮(そう) くんの部署が忙しい時期なのはわかるから大丈夫よ。それに、陽斗くんに鍛えられたから料理は得意なの。知ってるでしょ?」

その言葉に思わず笑ってしまう。

彼女、都津葉セラと付き合い始めたのは大学生の時だが、その少し前からアイツに料理の特訓を受けていたと聞いている。

どこで吹き込まれたのか、男を落とすには胃袋を掴むのが一番だとか言ってたな。まぁ、使い古された表現ではあるが。

結局僕が絆されたのは事実だから、まぁ、無駄ではなかったのだろう。

食卓に着き、向かい合って料理を食べる。

その間の会話はほとんどない。

精々「味、どう?」とか「美味いな」とかそんなものだ。

僕も彼女も食事マナーはかなり厳しく躾けられたからな。

一通り食事を終え、切った果物と温かいココアを淹れてようやく落ち着いて話ができるようになる。

「仕事、だいぶ慣れたんじゃない?」

「まぁな。セラもだろう?」

「私は全然だよ。壮くんほど優秀じゃないから毎日四苦八苦してる」

彼女は大げさに落ち込んだ振りをしてみせるが、第一志望のグローバル企業で初っぱなから秘書課に配属されたのに優秀じゃないなんてあり得ないだろうに。

「でも壮くんは今の部署に2、3年居たらまた異動するんだから楽しまないとね」

「仕事を楽しめと言われてもな。いまだに神崎と呼ばれるのに慣れないし」

「あはは、正体隠すなんて面白そうだけどね」

僕が今居るのは天宮家が経営するAGIグループの中核企業のひとつだ。

将来的には僕も兄を補佐していくつかの会社を経営することになるのだが、今は下積みで一社員として働いている。

ただ、さすがに天宮姓のままではちゃんとした経験を積めないので、父さんの旧姓である神崎を名乗っている。

まぁ、もっとも、社内でも上層部や古参の社員は神崎という姓に聞き覚えがあるだろうが、目的を理解して普通の新入社員として扱ってくれている。

ぼんやりとそんなことを考えていたら、セラが僕の顔を見つめて微笑んでいた。

「なんだ?」

「にひひ、なんだかんだ言いながら結構長く一緒に居るよねぇって」

「……そう、だな。知り合ってからそろそろ9年か」

「付き合い始めてから5年、一緒に住み始めてから2年だもんね」

大学卒業と同時に今のマンションを借りて彼女と一緒に暮らしはじめた。

半ば強引に決められたような気もするが、セラはいつの間にか父さんと話をしていたらしく、この2LDKの部屋も父さんと彼女の父親で用意してくれたものだ。

卒業式当日、式典を終えてすぐに連れてこられて驚いたのを憶えている。

何しろ生活に必要なものは全て揃っていて、在学中に住んでいたマンションにあった僕の荷物もすでに運び込まれていたのだから。

その段取りの良さと強引さには困惑したが、彼女がここまで積極的に動かなかったら今のような生活はしていなかっただろうことを考えると良かったのかもしれない。

「コホン! そ、それじゃあ風呂に入ってくる」

「あ~っ、逃げた」

揶揄うようにセラが言う。

自分でも顔が赤くなっている自覚があったのでさっさと立ち上がってバスルームに向かった。

翌日、いつものように会社で仕事を始める。

朝は僕が簡単な食事を作りふたりで食べてから一緒に部屋を出た。

昨夜のむず痒い雰囲気を引きずらずに済んでホッとしたような残念なような変な気持ちがあったが会社に着くとそれも消える。

「神崎君、取引先への支払いをチェックしてくれ」

「あ、いえ、それは私の方でやりますので、神崎君には別の仕事をお願いしたい」

部長の指示を課長が遮って、僕に分厚いファイルを手渡してきた。

「IRの資料をまとめてくれ。今月分までで良いから、過去5年間の推移と企画部から出ている新商品の損益データの分析もだ」

課長の指示に内心で首をかしげる。

(このタイミングで? IRの決算短信ならともかく、他の資料も? 今は月締めの業務を進めなければならないはずだが)

疑問には思ったものの、上司の指示となればやらないわけにはいかない。

俺は渡されたファイルの確認と、資料集めからはじめることにした。

「取引先への支払いは、金額自体にそれほど変動はなさそうだな」

就業時間が過ぎ、オフィスの中で残っているのは数人だけになってから、僕はIR資料の作成を一段落させ、経理システムを立ち上げた。

今月の支払いと、さらに月ごとの推移を遡って確認していく。

朝の課長の態度がどうにも引っかかっていて、それを確かめるためだ。

今の時期は忙しいので、まだ下っ端の僕が遅くまで残っていても不審がられることはない。

1年、2年と遡ると、ある時期にふたつの取引先が増えているのが目に入った。

「この時期に取引先をふたつも増やしたのか?」

気になった僕はWebで増えた会社の名前を検索する。

「実在する会社のようだけど、生産品目は……ちょっと調べる必要があるな」

僕はカバンから自分のスマホを取り出し、連絡先からひとつを選んで通話をタップした。