軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

After story1 幸せの鐘の音

「もう! 少しは落ち着きなさいよ」

「いや、しかしだな」

祭壇の前、真ん中の通路を挟んだ両側に木製の粗末な長椅子が並んだ最前列で落ち着きなく身体を揺すったりしきりに顔や髪を触ったりしている旦那様とそれを呆れたように窘めている桜子さん。

といっても、その桜子さん自身、朝からメイクに失敗して左右の色が違ったり洗顔料で歯磨きしたりしてたのですけどね。

ですが、それも無理はありません。

おふたりが誰よりも慈しみ、愛し、幸せを願った葵様の忘れ形見である陽斗様がひとつの区切りを迎えようとしているのですから。

それも、20数年前に葵様と佑陽様が誓いを立てたこの場所で。

一番見たかったであろうおふたりはここには居ないけれど、代わりに旦那様と桜子さん、沢山のご友人が見届けようとしています。

「比佐子は意外と落ち着いているな」

隣に座っている兄がどこか可笑しそうといった声音でそう言ってきました。

屋敷でメイドたちに見せている姿と変わらないと言いたいのでしょうか。

「そうでもないわ。でも、色々と思い出してしまって心が定まっていないような気がしてる」

「そうか、そうだな」

兄はそう呟いて祭壇のほうに目を向けた。

私たちが旦那様のところで働き始めてからずいぶんと長い月日が経ちました。

兄は旦那様のお父上に、私は旦那様にそれぞれ声を掛けていただき、皇家にお仕えしてすでに30余年。

その中で沢山の喜びと、そしてそれ以上の悲しみを背負うことになりました。

今度こそ。

それが私の、そして兄と旦那様たちの望み。

そしてそれはきっと果たされる。と、何故だかそう思えます。

「それにしても、穂乃香さんがここを選んだのには驚いたな」

「そう、ね。でも、ここは葵様が式を挙げた教会だから。きっと陽斗様の内心を慮ったのでしょう。お優しい方だから」

そう返しながらも、それだけではないのはわかっています。

陽斗様と穂乃香様の交際は順調。というか、喧嘩らしい喧嘩は黎星学園高等部の頃から一度もしていません。

それでもどちらかが過剰に我慢をしたり相手に合わせたりという感じではなく、自然にお互いを尊重して思いやるという理想的な関係を築いています。

普通はそういう山も谷もない関係は惰性になりやすく、それを倦怠期などと呼称しますが、あのおふたりはまるで付き合い始めたばかりの初々しさを保っていて、誰かから揶揄われれば顔を真っ赤に染め、相手がどこかの異性からアプローチを受けているのを見れば小さなヤキモチを焼き、相手からの厚意には笑みを浮かべて心からの感謝を伝えている。

誰もが経験し、誰しもが簡単にできることをおふたりはずっと続けている。それは誰でもできることでありながら継続することはとても難しいこと。

でも、だからこそ今のようなふたりでいられるのでしょう。

礼拝堂を見回す。

右側の最前列は相変わらず落ち着きのない旦那様とそれを窘めつつもやはり同じように緊張した様子の桜子さん。

その後ろの席に座っているのは武藤賢弥さんと都津葉セラさん、天宮壮史朗さん。そこから数列は陽斗様のご学友の方々が。

左側の2列目に着席されているのは穂乃香さんの母君と兄君。次の列に陽斗様が旦那様に引き取られるまで親代わりとなられていた大沢さまご夫妻。その後ろに門倉光輝さんとそのご両親。

他にも穂乃香さんのご友人や錦小路琴乃さんと雅刀さんご夫婦など沢山の方々が式典の始まりを待っておられます。

ちなみに、皇家の使用人たちも来たがっていましたが、さすがに人数の関係で代表して私と兄のふたりだけが参列しています。

後日もっと大きな会場で披露宴が行われるのですが、その時は参加できることになっていますので我慢してもらいましょう。

この席次を決めたのは陽斗様と穂乃香さんのおふたりです。

本来、教会での式は最前列の右側が新郎の、左側が新婦の両親が座る場所となります。ですが、現在の陽斗様の親は旦那様。

もっともこの日を待ち望み、そしてそれが叶わなかった人物のための席。

穂乃香さんは今は居ないその方たちの場所を用意したいと言い、両親も快くそれを受け入れてくださいました。

左側の最前列。

案内に記載された名前は、西蓮寺佑陽、西蓮寺葵。

陽斗様のご両親です。

東北地方南部にある旦那様の別荘近くにある小さな教会。

ここを選んだのも穂乃香さんです。

おふたりの家柄や資産からすれば不釣り合いでしかない辺鄙で質素な昔ながらの小さな教会は、佑陽様と葵様が結婚式を挙げた場所。

穂乃香さんがここで陽斗様との結婚式を挙げると決めたのは、所縁のある思い出深い場所で新たな道を歩み出す姿を陽斗様のご両親に見せたいという想いと同時に、自分が、自分こそが陽斗様とこれから先の長い時間を共に歩み、支え、幸せにするのだという決意表明なのではないでしょうか。

これはただの私の推測、いえ、願望なのかもしれません。

「始まるぞ」

兄の呟きに私は祭壇とその奥に視線を移す。

そこにはいつの間にやって来たのか老齢の神父が穏やかな微笑みを浮かべて立っていて、彼がわずかに頷いたのを合図に教会の奥に設置されていたパイプオルガンが荘厳な音色を響かせ始めました。

オルガンを奏でるのは陽斗様の学園時代からのご学友で、今や世界的なピアニストとして知られるようになった羽島華音さん。

もっとも私たち皇家で働く者達にとっては迎賓館の一室に転がり込んできた、マイペースで面倒くさがりの風変わりな女の子でしかないのですけど。

とはいえ、その演奏技術は卓越していて、共通して鍵盤で演奏するというだけのまったく特製の違うパイプオルガンを数ヶ月練習しただけで見事に弾きこなしているのには驚きます。

彼女がバッハの『主よ人の望みの喜びよ』を奏で始め、それにわずかに遅れて教会の扉が半分だけ開かれました。

入場されたのは白いタキシード姿の陽斗様です。

礼拝堂に入ったところで立ち止まり、ゆっくりと一礼してから再び歩き出します。

陽斗様は学園と、大学に入ってからも背は伸び続けていたようで、最初に会った頃よりもずっと大人びました。

もう小学生と間違われるようなことはなくなり、嬉しそうにしていたのが思い出されます。もっとも、今でもときどき中学生には間違われるようですが。

毎朝の鍛錬は今でも続けていますが、体質的にあまり筋肉がつかないらしく技術的には上達しているものの見た目は相変わらず華奢なままです。

でも、その眼差しと表情からは最初の頃の自信なさげな気の弱さは消え、しっかりと自分の足で人生を歩む力強さを感じさせています。

旦那様と桜子さんもそれを感じたのでしょう。陽斗様を見つめる眼差しは潤み、頼もしさと淋しさがこもっているようです。

陽斗様が祭壇の前で振り向き、入り口の扉を見つめます。

そしてその直後、扉が再度、今度は大きく開かれました。

漆黒のモーニングコートを纏った新婦の父親、四条院彰彦氏。

そして純白のウェディングドレスに身を包み、ヴェールで顔を隠した花嫁。

パイプオルガンの旋律が結婚行進曲に変わる。

神秘的な音色が満ちる空間をゆっくりと進む親娘の姿に、参列者から溜め息が漏れる。

それほどまでに幻想的で美しく、それでいてどこか瑞々しい活力を感じさせる歩み。

……父親である彰彦氏の表情は複雑さを感じさせますが。

まぁ、大学を卒業してすぐというのは今の世の中の風潮としてはかなり早いので、親馬鹿で知られるあの方としてはもう少し猶予が欲しかったのでしょうが、何年も前からわかっていたことなのでいい加減諦めてほしいものです。

祭壇の前で陽斗様と穂乃香さんが向かい合い、彰彦氏が彼女の手を陽斗様に託す。

陽斗様は一瞬だけ彰彦氏の方を向いて目礼してから穂乃香さんに小さく何かを囁いたようです。

神父の祈りが始まりました。……パイプオルガンの音でほとんど聞き取れませんが。

朗々と紡がれる祈り(だと思います)が途切れたと同時にオルガンの音も余韻を残して消える。

「スメラギ・サイレンジ・ハルト、貴方はホノカさんを妻とし、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しい時も、愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り共に歩むことを誓いますか」

「誓います!」

「シジョウイン・ホノカ、貴女はハルトさんを夫とし、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しい時も、愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り共に歩むことを誓いますか」

「誓います」

「今日、この時、ふたりは夫婦となりました。あなた方に神の祝福を」

その言葉に礼拝場は割れんばかりの拍手に包まれました。

それはまるで、おふたりの将来が輝きに満ちたものになることを約束する旋律のようです。

「比佐、アレ」

不意に隣からそんな声が聞こえ、その顔を見ると兄が信じられないといった表情で一点を見つめていました。

その視線を追うと、そこには……

「葵、さま……佑陽、さま?」

左側の最前列。

誰も居ないはずのそこにうっすらと人の姿があります。

呆然として思わず瞬きすると、次の瞬間には消えていました。

もしかしたら私と兄の願望が作り出した幻だったのかもしれません。

ですが確かにそこにはわずかな温もりと、懐かしい声が聞こえたような気がしました。

ところで、ひとつだけ疑問が残りました。

陽斗様と穂乃香さんの口吻はしないのでしょうか。