作品タイトル不明
第219話 陽斗、婚約する?
地方にある学校の倍以上という広い敷地。
都心から離れた地方都市の郊外とはいえ、一般庶民からすればとんでもない大豪邸に暮らしているのが陽斗とその祖父である皇重斗、桜子の兄妹。
その屋敷は2階建ての大きな建物なのだが、同じ敷地内の10mほどの位置に新しく建物が建設中である。
普段は滅多に使用人以外の他人を本邸の敷地内に入れることがない重斗だが、さすがに専門の業者は別だ。
数人の警備班員が念のため近くで見ているものの、建築会社の職人が10人ほど忙しそうに建物を造っている。
「すごい。もうほとんどできてるみたい」
「普通はもっと時間が掛かると思いますわ。今回はあまり日にちもありませんので、人数を増やして対応していただいているそうです」
数日前に基礎部分ができたと思えば、もう建物が外見上完成しているように見える。
「まだこれから内装がありますから、完成まではひと月ほどでしょうか」
驚きと感心が混ざったようなキラキラした目で工事を見つめる陽斗に、穂乃香が答えた。
今建てている建物は頑丈な鉄筋コンクリート製のものなので、通常工期は半年ほどかかる。
これを重斗は多額の割増料金によって大幅に短縮してもらったのだが、それでも基礎と建物で2ヶ月が経過している。
重斗としてはできるだけ外部の人間が出入りする期間を短くしたかったようだが、コンクリートというのは完全に固まるまで約一ヶ月かかるのでこれ以上の短縮は無理だったらしい。
「えっと、彰彦さんはやっぱりまだ反対してるの?」
「反対はしていませんわ。ただ、ちょっと、拗ねているというか、愚痴を言ってくるので面倒ですけれど」
「あ、あはは、この間会った時は僕にもものすごくなにか言いたそうにしてたけど」
「まったく、同じ部屋に住むというわけでもなく、同じ敷地の別の建物ですのに。マンションで隣近所に全然知らない人が住んでいる方がよほど心配だと思うのですけど」
困ったように頬を掻く陽斗に、穂乃香は苦笑を浮かべて頭痛を堪えるように額に手を当てた。
ふたりがこんな話をしている理由はというと、春から穂乃香はここに現在建設中の建物に引っ越してくることになったからだ。
切っ掛けは、陽斗の家で穂乃香がマロンパイを作った時に、彼女のメイドである千夏が提案したことだった。
あの時点では、単に穂乃香を揶揄う&いつまで経っても進展する気配のない陽斗と穂乃香の関係に発破を掛けるという意味での発言だったのだが、後日になってそれを聞いた桜子が途端に乗り気になったのだ。
もちろん、日本屈指の名家の令嬢が、結婚前に男と同棲などというのはゴシップになりかねない。
にもかかわらず桜子がそれを進めようとする理由があった。
それは、陽斗を切っ掛けに隣国からの経済侵略が失敗したことだ。
黄偉(ホアン・ウェイ) が失脚し、華僑の重鎮である 呂光龍(リュ・グンロン) 主導で黄が送り込んでいた工作員を撤収させたのだが、そのせいで本国で大規模な粛正がおこなわれたらしい。
その事自体はあの国では珍しいことではなく、政治的にも経済的にも大きな混乱はないのだが、実際に粛正された当事者やその家族、利権を失った連中が、元凶である陽斗を逆恨みすることは十分に考えられる。
重斗が呂と連絡を取り合っていてある程度の暴走は止められるだろうが物事に絶対は無い。
目下、陽斗自身は神級過保護の重斗によって万全の警備態勢が敷かれているし、重斗と桜子も外出時は常にボディーガードを連れている。
そして、陽斗が家族以外にもっとも親しいのは間違いなく穂乃香で、これまでにも何度かパーティーなどで一緒に参加しているのを見られている。であれば狙われる可能性を考えないわけにはいかない。
もちろん四条院家であれば陽斗同様護衛を付けることはできるが、不特定多数が出入りするマンションで暮らすとなるとどうしても隙ができるのは避けられない。
万が一、穂乃香が害されるようなことがあれば陽斗はもの凄く悲しむだろうし、程度によっては心に深い傷を負うだろう。
重斗も桜子も、そのような事態を許すわけにはいかないのだ。
そんなふうなことを桜子は穂乃香に話し、彼女の両親を説得した。
当然最初は反対した。
父親の彰彦が。
母、遙香のほうは逆に大賛成で、娘の安全のためにも陽斗の屋敷に同棲、もとい、同居する方が良いと言っていた。
実際、陽斗の暮らす皇邸の警備は国家元首以上とすら言えるほどで、銃火器を装備していないだけで、屈強な警備班が数十名、365日24時間態勢で鼠一匹入り込めないくらいの警戒をしている。
……陽斗の飼い猫、レミエはしっかりと入り込んでいるが。
なので、少なくとも家に居る間はほぼ安全が確保されるわけだ。
さすがに彰彦もそれは認めざるを得ない。
そもそも反対している理由が父親としての感情からで、それも自覚しているのだ。
ただ娘が自分たちの元から離れていくのはもう少し先のことだと思っていたら、その日が突然目の前に現れたので反射的に反対しているだけの話である。
そんな彰彦の心情は重斗も経験済みだ。
なので、妥協案として皇邸の敷地内に穂乃香と、身の回りの世話をする使用人のための家を建て、そこで暮らしながら大学に通うというのを提案した。
重斗の案と、穂乃香の兄、晃とすでに結婚して家を出ている姉の亜也香が賛成に回ったことで孤立無援となった彰彦は渋々ながら許可したのだった。
1ヶ月後。
真新しい建物の前に駐められたトラックから次々に荷物が運び込まれていく。
といっても家具の類はベッドやドレッサー、いくつかの家電くらいでほとんどは段ボールだ。
入り口では穂乃香付の家政婦、千夏が配送業者に運ぶ場所を指示している。
そんな光景を複雑な表情で見つめている人物がひとり。
「はぁ~、こうして新居に娘の荷物が運ばれていくのを見ると、いよいよ穂乃香が我が家から巣立っていくのを実感せざるを得ないな。いや、別に陽斗君が嫌というわけではないんだ。君のことはとても好ましい男の子だと思っているし、条件としても申し分ない。ただ、なぁ、やっぱり早すぎるんじゃないかと思ってしまうんだよ」
「そ、その、ごめんなさい」
「貴方! いつまでグジグジ言ってるんですか。しかもそれを陽斗君に言ってどうするの!」
沈んだ声で彰彦が愚痴り、遙香が強い口調でたしなめている。
まぁ、男親というものは娘が自分の手を離れていくのをなかなか認めたくないもののようで、穂乃香の姉が交際相手を家に連れてきた時や、結婚すると報告してきた時もしばらく機嫌が直らないほどだった。
そして今度は穂乃香の番だ。
といっても、小学校を卒業して黎星学園に入学した時から生活の場所は離れていたわけだし、今回も一応は大学に通学するためという理由があるのだが、それでも重斗の邸宅の敷地内ということで、これまでのように頻繁に様子を見に来るのは気が引けてしまうらしい。
それに、同じ敷地内に暮らしているのは娘の思い人である陽斗だ。
重斗が提案したとおり、建物は別で泊まったりもしない。屋敷には使用人たちも多く居るので羽目を外しすぎることもないだろうとはわかっているが嫉妬に似た感情が湧くことだけはどうしようもない。
ちなみに建物は2階建てで、上の階に穂乃香の部屋が用意されている。
間取りや大きさは陽斗の部屋とほとんど同じで、隣には千夏の部屋もある。
下の階には浴室とリビングがあり、キッチンも備えているがそちらは主に千夏が軽食を作ったり、穂乃香が料理の練習をするくらいしか使わない予定だ。
食事に関しては効率を考えて屋敷の方で重斗や陽斗と一緒に摂ることになる。
見方によっては、というか、客観的に見れば寝室が違うだけでほぼ同棲のようなものだ。
「わ、わかってるさ。ただ、顔写真は出ていなかったが雑誌のインタビューを受けたわけだし、これから陽斗君はどんどん注目されていくだろう? 学生同士が同じ家で暮らすとなればゴシップにもなるわけだし」
「まぁ、それはそうね」
往生際悪く彰彦がこぼすが、それには遙香も同意せざるを得ない。
以前陽斗が受けたインタビューの記事が少し前に掲載され、普段の数倍の部数を売り上げたらしい。
といっても、元々知る人ぞ知るような弱小経済誌だし、皇の名も政財界以外に浸透しているわけではないため、一般の人の話題に上るほどではなかったのだが、
それでも重斗のことを知る人の多くが陽斗のことを知りたがっていたようで、財界関係者を中心に話題になっているようだ。
記事の内容は、幼少期に誘拐されたと明かされ、詳細は伏せられていたものの過酷な生活を強いられていたことを想像させるような文章で始まり、陽斗の穏やかな人柄や努力家の面などを、読む人が好印象を持つような取りあげ方がされている。
それほど深く切り込んだ内容ではなく、ページ数も多くはなかったが、これまでベールに包まれ一部の人しか会ったことのない謎めいた皇の後継者ということで、かなり関心を集めたのだろう。
ただ、この先表舞台に出る機会がますます増えていけば、些細なことで反感を買うこともあるし、それは穂乃香にも波及することだろう。
父親としては嫉妬だけでなく、そういった面での心配もあるのだ。
遙香も頷ける部分があったのだろう。表情を改めて陽斗に向き直る。
「陽斗君、わかっているとは思うけれど、穂乃香は四条院家の、世間では名家と呼ばれる家の娘よ。普通の女の子のように自由に恋愛して、異性と付き合って、失恋して、婚活して、なんてのはそれだけでゴシップになってしまう立場なの」
それはずいぶん前に穂乃香からも聞いたことがあった陽斗は、遙香が何を言いたいのかわからず曖昧に頷く。
「陽斗君は穂乃香とこれから先もパートナーとして支えあうつもりがあるのよね?」
「え、えっと、はい。ぼくはこれからもずっと穂乃香さんと一緒に居たいと思っています。今は、助けてもらってばかりだけど、いつか穂乃香さんを支えられるようになるつもりです」
遙香の言葉にこめられたものをようやく察して、陽斗は顔を赤くしながらもしっかりと言葉を返した。
「ありがとう。その言葉を聞いて安心したわ。じゃあ、穂乃香と婚約発表してしまいましょう」
「はぁ!? ちょ、おまえ……」
「……えぇぇ!!」
唐突な申し出に彰彦が絶句し、陽斗は一瞬ポカンとしてから素っ頓狂な声を上げた。