作品タイトル不明
第四十八話 最後の黒インク
冬が深まる前、黒インク事件の最後の処理が行われた。
没収された商会の財産が、被害児童の保護基金へ移される。その式典に、私は名前の家の代表として出席した。王都ではなく北境で行われたのは、被害の多くが北境から始まったからだ。
式典は簡素だった。
中央名簿局長、王妃殿下の代理、テオドール様、保護院の代表、そして被害に遭った子どもたちの代理人が集まった。子ども本人たちは参加しない。大人の処理を見せるより、雪遊びをしている方がいい。
基金の目的は明確だった。
拘束印を受けた子どもの医療と心理的支援。
白紙名の子どもの再登録と教育。
各地の孤児院・保護院における名札と名簿の改善。
名綴り師の育成。
私は書面に署名した。
エレノア・ハースト。
今では、その名前を書く手が自然になっている。
中央名簿局長は私に言った。
「あなたには、王都中央局の顧問名綴り師になっていただきたいという話も出ています」
大きな提案だった。
安定した地位、広い影響力、王都での名声。
以前の私なら、それを家のために受けるべきか考えたかもしれない。
今の私は、まずリネリアの生活と名前の家のことを考えた。
「お話は光栄です。ただ、今の私は北境の名前の家に責任があります。王都へ移ることはできません。助言書の作成や月ごとの研修ならお受けします」
局長は満足そうにうなずいた。
「よい答えです。中央に来ればよいというものでもありません。各地に根を張る名綴り師が必要です」
式典の後、私は黒インクの最後の小瓶を見た。
証拠品として保管されていたものの一つで、今後は術式研究のため封印される。小瓶の中の液体は、相変わらず光を吸うように黒い。
名前を守る藍と、名前を縛る黒。
同じ技術から、違うものが生まれる。
私は小瓶を見ながら、改めて思った。
制度も、魔法も、家名も、針も、使う人の目が子どもを見ていなければ凶器になる。
北境へ戻ると、リネリアが玄関で待っていた。
「くろいの、おわった?」
「大きなところは終わったわ」
「もう、こわくない?」
「怖いものが全部なくなるわけではない。でも、怖いものを見つけたら、みんなで止める方法ができた」
娘は少し考えた。
「すず、ならす?」
「ええ。困ったら鈴を鳴らす」
リネリアは手袋の鈴を見た。
「リネ、ならせる」
「頼もしいわ」
その夜、名前の家では冬前の最後の名呼びをした。
子どもたち、職員、見習い、工房、忘れない布の棚。最後に、マリベルが基金の名を読み上げた。
帰名基金。
帰る名前のための基金。
皆が返事をするわけではない。基金に返事はない。
けれど、リネリアがまた「はい」と言った。
子どもたちが続いた。
名前の家が、また一つ大きくなった気がした。