作品タイトル不明
第四十九話 雪の日の返事
初雪の日、テオドール様が名前の家を訪ねてきた。
窓の外では、細かい雪が静かに降っている。リネリアは中庭で雪を手に乗せては、すぐ溶けるのを不思議そうに見ていた。
私は工房で、冬用の相談記録を整理していた。
テオドール様は入ってくるなり、少し緊張した顔で言った。
「エレノア様。今日は仕事の話ではありません」
私は手を止めた。
前にも似た空気があった。
彼は私の前に、小さな布を置いた。
そこには、二つの名前が仮縫いされていた。
エレノア・ハースト。
テオドール・グランヴィル。
そして、その下に空白。
「結婚の申し込みです」
声は静かだった。
「あなたの名前を変えるためではありません。リネリア様の居場所を奪うためでもありません。あなたがハーストの名を持ったまま、私と家族になる道を選べるなら、私はそれを望みます」
胸が震えた。
「リネリアのことは」
「リネリア様は、あなたの娘です。私が父親の席を奪うことはしません。彼女が望む距離で、家族として関わりたい。家名についても、彼女が成人後に選べるようにします」
彼は一つ一つ、私が怖いと思うことを先に言葉にしてくれた。
「あなた自身の仕事も、名前の家も、続けてください。グランヴィル家に入ることで、それらをやめる必要はありません。むしろ、支えたい」
私は布の空白を見た。
「この空白は?」
「あなたが返事をする場所です。今でなくてもいい」
待つ人だ。
本当に、どこまでも。
私は窓の外を見た。
リネリアが雪を追い、アンナが「手袋を濡らしすぎです」と叱っている。マリベルが薪の数を確認し、リンがリリの鈴を直している。名前の家は、冬の中でも温かい。
私はもう、侯爵家の妻だった頃の私ではない。
誰かの家に入れば自分が消えると思っていた。
でも、ここでなら、自分の名前を持ったまま、誰かと並ぶことができるかもしれない。
「テオドール様」
「はい」
「返事を、今してもよろしいですか」
彼の目が少し見開かれた。
「もちろん」
「私は、あなたと家族になりたいです。ただし、名前の家を続けます。リネリアの意思を最優先にします。私の名前を消さないでください」
「誓います」
即答だった。
私は布の空白へ、震える手で糸を置いた。
はい。
たった二文字。
けれど、私が自分で選んだ返事だった。
テオドール様はその布を見つめ、ゆっくり息を吐いた。
「ありがとうございます」
その声があまりに真剣で、私は少し笑ってしまった。
「こちらこそ」
その時、リネリアが窓の外からこちらを見た。
何かを察したのか、雪まみれのまま駆け込んでくる。
「おかあさま、なに?」
私は膝を折った。
「リネリア。テオドール様が、お母さまと家族になりたいと言ってくれました。お母さまは、そうしたいと思っています」
リネリアはテオドール様を見た。
「テオドールさま、リネのおなまえ、とらない?」
「取りません」
「おかあさま、とらない?」
「取りません」
「リネ、ここにいていい?」
「もちろんです」
娘は真剣に考えた。
「じゃあ、いい」
あまりに簡潔な許可だった。
テオドール様は深く礼をした。
「ありがとうございます、リネリア様」
「でも、だっこは、まだ」
「分かりました」
「おてがみは、いい」
「では、時々手紙を書きます」
リネリアは満足そうにうなずいた。
私たちは笑った。
雪の日の返事は、派手な求婚ではなかった。
工房の机と、仮縫いの布と、娘の条件。
それが私には、何よりふさわしかった。