作品タイトル不明
第四十四話 テオドールの告白
テオドール様から正式な食事の招待を受けたのは、夏の終わりだった。
場所は領主館の大広間ではなく、庭に面した小さな食堂。出席者は私、リネリア、アンナ、テオドール様、マリベル。あまりに身内の顔ぶれなので、最初は何の食事か分からなかった。
リネリアは庭で見つけた小さな青い花に夢中だった。
「これ、なまえある?」
「北風草です」
テオドール様が答える。
「夏の終わりに咲きます。冬が来る前の小さな合図です」
「ふゆ、こわい?」
「準備をすれば、怖いだけではありません。暖炉も、毛布も、雪菓子もあります」
「ゆきがし!」
リネリアは冬を少し楽しみにし始めた。
食事は穏やかだった。
北境の魚、柔らかいパン、根菜の煮込み、林檎の菓子。リネリアは行儀よく食べようとして、何度かソースをこぼした。アンナが布を用意し、マリベルが笑い、テオドール様は「私も子どもの頃はよくこぼしました」と真面目に慰めた。
食後、リネリアとアンナは庭へ出た。
マリベルは「少し用事を思い出しました」と言って席を外した。明らかに何かを察している。
食堂には、私とテオドール様だけが残った。
窓の外で、リネリアの笑い声が聞こえる。
テオドール様は少し緊張しているようだった。彼が緊張する姿は珍しい。
「エレノア様。あなたにお伝えしたいことがあります」
「はい」
「離縁が成立してからも、すぐには言うべきではないと思っていました。あなたは新しい仕事と生活を整える必要があり、リネリア様にも時間が必要だった」
彼の言葉は、いつも通り慎重だった。
「ですが、言わずにいることが誠実でない時期に来たとも思います」
私は静かに待った。
急かさない。
彼が私にしてくれたように。
「私は、あなたを大切に思っています。名綴り師としても、母親としても、一人の人としても。あなたとリネリア様が北境に来てから、私の家にも領地にも、呼ぶべき名前が増えました」
胸の奥が熱くなった。
「あなたに結婚を迫るつもりはありません。返事を急ぐつもりもありません。ただ、私の気持ちを、あなたの生活の外側から眺めるだけのものにはしたくなかった」
私は窓の外を見た。
リネリアが北風草を摘み、アンナに見せている。娘はこの領地で笑うようになった。名前の家で、自分の名を好きでいるようになった。
その生活の中に、テオドール様はずっといた。
娘の名前を丁寧に呼ぶ人。
夜に人生の決定を迫らない人。
雪崩の中で守ってくれた人。
エリスの名を、痛みごと見せてくれた人。
「私は、まだ怖いです」
正直に言った。
「結婚していた頃、私は妻という名前の中で、自分を見失っていました。誰かの家に入ること、誰かのために我慢することが、また同じことになるのではないかと怖い」
「当然です」
彼はすぐに言った。
「あなたが怖いなら、その怖さを無視して進むべきではありません」
「でも、あなたの言葉を嬉しいと思っています」
テオドール様の目が少し揺れた。
「それだけ、今は言わせてください」
「十分です」
彼は深く息を吐いた。
「では、私は待ちます」
「待つのは難しいのでしょう」
「ええ。ですが、練習しています」
私たちは笑った。
その時、リネリアが庭から駆け込んできた。
「おかあさま! テオドールさま! おはな、みて!」
両手に北風草を持っている。
空気の変化など気づかない娘は、私たちの間に花を差し出した。
「ふたりに」
テオドール様は花を受け取り、真面目に礼をした。
「ありがとうございます、リネリア様」
リネリアは満足そうにうなずき、私にも一本渡した。
「おかあさまも」
「ありがとう」
花は小さく、頼りない。
けれど夏の終わりに咲き、冬の準備を告げる。
私たちの関係も、今はそのくらいでいいのかもしれない。
咲いたばかりの、小さな合図。