作品タイトル不明
第21話 両想い
――カイン様のその言葉が、胸の奥で何度も響いていた。
じんわりと、温かい。
まるで身体の中に、柔らかな灯りがともったみたいだった。
私は握られた手を見つめる。
カイン様の手は大きくて、温かくて、少しだけ力がこもっている。
本当に、私を必要としてくれているのだと伝わってきた。
まさか、こんなにもまっすぐな言葉で言ってくれるとは思わなかった。
顔が熱い。
胸も苦しいくらいに鳴っている。
このまま胸の奥が温かいままでいてほしいと思った。
「……ミレイユ?」
カイン様が少し不安そうに私を見る。
私は慌てて顔を上げた。
「あ、すみません……その、びっくりしてしまって」
「嫌だったか?」
「ち、違います!」
私は思わず強く首を振った。
「嫌じゃ、ありません。むしろ……嬉しくて」
言いながら、また頬が熱くなる。
こんなふうに気持ちを言葉にするのは慣れていない。
でも、ちゃんと伝えたかった。
「私も……カイン様と結婚したい、と思っています」
そう言うと、カイン様が少しだけ目を見開いた。
それから、ほっとしたように息を吐く。
その顔を見て、私まで胸が柔らかくなった。
「この辺境伯領へ来る時、逆に私は期待していたんです」
「期待?」
「はい」
私は小さく笑った。
「実家では、自由に植物を育てられませんでしたから」
好きな植物を育てたい。
新しい種を試したい。
どんな土なら育つのか見てみたい。
そんな当たり前の気持ちさえ、あの家では許されなかった。
「だから辺境伯領では、少しでも自由に育てられたらいいなって思っていました」
「……」
「それを認めてくださったのが、カイン様です」
カイン様は少し苦笑した。
「それは当然のことだ」
「私にとっては、当然ではありませんでした」
私は静かに言った。
カイン様の表情が、少しだけ変わる。
「こちらに来て、自由に育てられて嬉しかったです」
私は、自分の手を見る。
土に触れてきた手。
種を植え、水を与え、葉を撫でてきた手。
「それに、その植物がカイン様や領民の方々の役に立つのも、とても嬉しかった」
「ミレイユ……」
「言っていなかったかもしれませんけど、私は……ほとんど感謝の言葉を直接言われたことがないんです」
そう口にすると、少しだけ胸が痛んだ。
でも今は、昔ほど苦しくはない。
「家族は、私にお礼なんて言いませんでした。決まった植物を育てて当然だ、という態度でしたから」
育って当たり前。
結果を出して当たり前。
できなければ責められる。
でも、できても褒められることはない。
それが普通だった。
「でもここでは、皆さん笑顔でお礼を言ってくれるんです」
領民、使用人、兵士の方々。
侍女のイーヤ。
そして、カイン様。
「ありがとう、と言われるたびに、胸が温かくなりました」
私は少し照れながら笑う。
「嬉しかったんです」
カイン様は、静かに私を見ていた。
それから低い声で言う。
「……礼を言うのは当然のことだ」
「はい」
私は頷いた。
「でも、その当然を当たり前にやってくれるのが、この辺境伯領のいいところなんです」
「……」
「だから私は、ここが大好きになりました」
自然と、そう言葉が出た。
この土地が好きだ。
寒くて、魔物もいて、大変なことも多い。
でも、温かい。
人も、空気も、全部。
「辺境伯領のためにもっと役に立ちたいです。もっと植物を育てたい」
私は笑った。
「それが、楽しいですし……幸せなんです」
そう言うと、カイン様がゆっくり目を細めた。
とても優しい顔だった。
「それに」
「ん?」
「カイン様に褒められるのも、好きです」
言った瞬間、自分で恥ずかしくなった。
「や、優しいですし……守ってくれますし……声も好きですし……」
どんどん声が小さくなる。
何を言っているのだろう、私は。
でも止まらなかった。
「植物の話もちゃんと聞いてくださいますし……」
カイン様は、嬉しそうに笑っていた。
完全に笑われている気がする。
恥ずかしくて顔を隠したくなる。
「あと……私の匂いを好きって言ってくれたのも、嬉しかったです」
カイン様が少し驚いたような顔をした。
「匂い?」
「はい。私、家族や元婚約者に、植物臭いから近寄るなって言われたことがあって……」
思い出すと、少しだけ胸が痛む。
温室に長くいると、どうしても草や土の香りが移る。
私はその匂いが好きだった。
でも、家族は嫌そうな顔をした。
ダニエル様も、露骨に顔をしかめたことがある。
だから私は、あの匂いを嫌われるものなのだと思っていた。
すると、カイン様の表情が少しだけ険しくなった。
「……そんなことを言われていたのか」
「はい。でも、今はもう気にしていません」
「俺は、君を臭いなどと思ったことは一度もない」
カイン様ははっきりと言った。
「俺も、使用人たちも、領民たちもそうだ」
「……」
「むしろ、君らしい匂いだと思っている」
胸が、また温かくなる。
カイン様は少しだけ視線を逸らした。
「俺は君の匂い、落ち着いて好きだ」
「……っ」
「ずっと嗅いでいたいと思うこともある」
「カ、カイン様……!」
一気に顔が熱くなった。
な、何を言っているのだろう、この人は。
カイン様も途中で気づいたのか、少しだけ咳払いをした。
「……すまない。変なことを言った」
「い、いえ……」
私は胸元を押さえながら、小さく首を振る。
「嬉しいです」
自分が気にしていたものを、嫌われると思っていたものを、好きだと言ってもらえるのは。
こんなにも、心が軽くなるのだと初めて知った。
私はカイン様の手を握り返す。
「私も、カイン様が好きです」
カイン様が、静かにこちらを見た。
「この晩酌の時間も楽しくて……ずっと一緒にいたいって思ってしまって」
だから、最近は安心して眠くなってしまうのだ。
「いつもここで眠ってしまって、迷惑をかけてすみません」
そう言うと、カイン様はすぐに首を振った。
「迷惑なんて、全く思っていない」
「でも……」
「むしろ、毎日ここで眠ってほしいと思っている」
「……っ」
また心臓が跳ねた。
そんなことを真顔で言わないでほしい。
嬉しくて、恥ずかしくて、どうしていいかわからなくなる。
私は何とか落ち着こうとして、小さく息を吐いた。
それから、ちゃんとカイン様を見る。
「……カイン様」
「ああ」
「私も、カイン様のことが好きです」
胸がどきどきする。
でも、今はちゃんと言いたかった。
「こんな私でよければ……結婚してください」
そう言った瞬間、カイン様がふっと笑った。
とても嬉しそうな笑顔だった。
そして、私の手を持ち上げる。
手の甲に、そっと唇が触れた。
「君じゃなければ駄目だ」
低い声が、甘く響く。
「ミレイユがいい」
次の瞬間、私は強く抱きしめられていた。
「……っ」
広い胸。
背中に回された腕。
近い体温。
胸が苦しいくらい鳴っているのに、不思議と落ち着く。
私は少し迷ってから、そっとカイン様の背中に腕を回した。
抱き返す。
すると、カイン様の腕に少しだけ力が入った。
「……好きです」
思わず、小さく呟く。
「ああ。俺も好きだ」
低い声が耳元で響く。
心地いい。
恥ずかしいのに、離れたくない。
私たちはしばらく、そのまま抱き合っていた。
やがて、少しだけ身体が離れる。
でも距離は近いままだった。
顔と顔が近い。
呼吸が触れそうなくらい。
カイン様の黒い瞳が、すぐ近くにある。
胸が、どくどくと鳴った。
そして――どちらからともなく、唇が重なった。
「……」
初めてのキスだった。
優しくて、温かい。
ほんの少し触れただけなのに、頭が真っ白になる。
離れたあとも、しばらく何も言えなかった。
ただ見つめ合う。
それから、どちらともなく笑ってしまった。
「……幸せにする」
カイン様が静かに言う。
私は胸がいっぱいになりながら頷いた。
「はい。私も、幸せを分けられるように頑張ります」
そう言って、私とカイン様は体温を分かち合うように、また抱きしめ合った。