軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第20話 正式に結婚を

グレイハルト辺境伯領の、本格的な冬が過ぎ去ろうとしていた。

少し前までは、朝起きて窓の外を見ると、どこもかしこも白かった。

けれど今は、もう雪はほとんど残っていない。

息を吐いても白くならない日が増えてきた。

それでも、まだ寒い。

朝、布団から出るのは少し辛い。

「……ん」

私は寝台の中で、ぼんやりと瞬きをした。

今日は、自分の寝室で目を覚ましている。

それは本来、当たり前のことなのだけれど、最近はそうでもなかった。

カイン様と晩酌をしたり、ハーブティーを飲みながら話したりしていると、気づけば眠くなってしまうことがある。

そういう時、カイン様は決まって優しい声で言うのだ。

『眠ってもいいぞ』

そして私は、少しだけのつもりで目を閉じる。

それなのに、次に目を覚ますと朝で、カイン様の部屋にいることが何度かあった。

時々、起きた瞬間に目の前にカイン様の顔があって、心臓が止まりそうになる。

整った黒髪。

眠っている時のあどけない表情。

普段より近い距離。

あれは、本当に心臓に悪い。

今日はちゃんと自室で起きたので、そういうことはなかった。

……なかったのだけれど。

「少し、寂しいかも」

口に出してから、私は布団の中で固まった。

まだ正式に結婚もしていないのに。

カイン様が隣で眠っていることに慣れて、一人で起きるのを寂しいと思うなんて。

「……恥ずかしい」

私は布団を少し引き上げ、顔を隠した。

でも、いつまでもそうしているわけにはいかない。

グレイハルト辺境伯領へ来てから、もう四カ月ほどが経つ。

今では、私の一日の流れもだいたい決まってきていた。

まずは朝食を食べる。

それから屋敷の裏庭と、外の庭にある畑を管理する。

ここには、新しい植物を多く植えている。

どれも、見ているだけで楽しい。

この子はお酒に使えるかもしれない。

この香りなら、お菓子に合うかもしれない。

この葉なら、薬草と合わせて疲労回復の茶葉にできるかもしれない。

そんなことを考えていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

昼食の後は、領都内を馬車で見て回る。

だいたいの畑は、もう大きな問題なく育つようになった。

小麦も野菜も、領民の方々が上手に世話をしてくれている。

だから最近は、問題が起きた時に対処するくらいで済んでいた。

食魔植物も、ちゃんと働いてくれている。

最初の頃は、食魔植物が魔物を食べているのを見て腰を抜かす方が何人かいたらしい。

でも最近は、それも少なくなってきた。

慣れてくれたのだと思う。

ただ、一カ月ほど経っても、食魔植物を可愛いと思っているのは私だけのようだった。

あんなに頑張って畑を守ってくれているのに……少し不思議だ。

夕方くらいになると屋敷に戻り、今度は辺境伯領内の町や村から届いた報告を見る。

植物の育ちはどうか。

食魔植物はちゃんと機能しているか。

ところどころで、やはり問題は起こる。

寒さが戻って芽が弱った村もある。

食魔植物がうまく根づかない畑もある。

小麦の成長に差が出ている場所もある。

そういう時は手紙を書き、新しい種を送る手筈を整える。

実家にいた頃は、自分の手の届く範囲にある温室や畑だけを見ていた。

今は違う。

遠くの町や村の植物まで、報告を通して管理している。

直接触れられないもどかしさはあるけれど、それも新鮮だった。

遠くの土を想像し、気候を考え、その土地に合うように種を調整する。

それは、とても面白い。

そして夕食は、カイン様と一緒に食べる。

その日あったことを話したり、領地のことを相談したり、時々何でもない世間話をしたりする。

それからお風呂に入り、夜はカイン様の部屋で少しだけお酒を飲む。

最近は、これが楽しみになっていた。

今日は、蜜花酒ができた日だった。

ベルマン商会から届いた蜜花草を使って、少量だけ試しに作ったものだ。

私はそれを楽しみにしながら、いつものようにカイン様の部屋へ向かった。

「失礼します」

「ああ、入ってくれ」

部屋に入ると、カイン様はすでにソファに座っていた。

小さなテーブルの上には、透明な瓶と二つの杯が置かれている。

瓶の中には、淡い金色のお酒が入っていた。

「これが蜜花酒ですか?」

「ああ。料理人と酒職人が、試しに作ってくれたそうだ」

「いい香りですね」

近づくだけで、ふわりと甘い花の香りがした。

果実酒ほど重くなく、薬草酒ほど苦くもなさそう。

私は少しわくわくしながら、カイン様の隣に座った。

もう向かい側ではなく、隣に座るのが自然になっている。

それに気づいて、少しだけ胸がくすぐったくなった。

「では、いただきましょう」

「飲みすぎないようにな」

「はい、わかってますよ」

そう答えると、カイン様は少し笑いながら蜜花酒を杯に注いでくれた。

私は杯を受け取り、香りを確かめる。

甘い。

でも、しつこくない。

一口飲むと、柔らかな甘みが舌に広がった。

「……美味しい」

「飲みやすいな」

「はい。花の香りが強すぎなくて、後味も軽いです。これなら食中でも飲みやすいと思います」

「商品にできそうか?」

「できると思います。ただ、もう少し香りを安定させたいですね。蜜花草の育て方で変わる気がします」

「また研究だな」

「はい!」

私は頷いた。

楽しい。

本当に、毎日やりたいことが増えていく。

そう思っていると、カイン様がふと静かになった。

「ミレイユ」

「はい?」

「そろそろ……正式に結婚式をしようと思っている」

その言葉に、私は杯を持ったまま固まった。

「結婚式……」

「ああ。冬も明けてきた。道も少しずつ使えるようになる。一カ月後くらいなら、式を挙げられると思う」

一カ月後……胸が、どくんと鳴った。

もちろん、私はグレイハルト辺境伯家に嫁ぐためにここへ来た。

カイン様の婚約者として過ごしている。

いつか正式に結婚式をするのも、わかっていたことだ。

でも、いざ言われると。

これから本当に、カイン様の妻になるのだと思うと。

急に現実味が増して、頬が熱くなった。

「急、ですね」

私がそう言うと、カイン様は少し申し訳なさそうに頷いた。

「そうだな。本来ならもっと早く話すべきだった。ただ、冬の間は領内の対応が多かったし、君も忙しかった」

「いえ、私も……少し驚いただけです」

「辺境伯家として、しっかりしなければならない部分でもある。だが、それだけで話しているわけではない」

カイン様は杯を置いた。

その表情が、いつもより真剣になる。

「ミレイユ。正直に言うと、君が嫁ぐことが決まった時、俺はあまり期待していなかった」

「……はい」

不思議と、傷つきはしなかった。

今のカイン様の声には、冷たさがなかったからだ。

「辺境伯家に嫁ぎたいという女性は、ほとんどいなかった。何度か婚約の話もあったが、破談になった」

カイン様は静かに言う。

「一度は、実際にこの土地を見てから逃げられたこともある。あんな荒れた地で生きていけない、と言われた」

「……」

「だから今回、君との話が決まった時も、また同じかもしれないと思っていた。逃げなければいい。形だけでも、辺境伯家の夫人としていてくれればいい。そう思っていた」

胸が、少し痛くなった。

カイン様はずっと、この土地を守ってきた。

その土地を、嫌われてきたのだ。

それはきっと、カイン様自身を否定されるような痛みでもあったのだろう。

「だが、君は俺の想像以上の女性だった」

「想像以上、ですか?」

「ああ」

カイン様は少し笑った。

「初めて会った日に、植物を育ててもいいかと聞かれた時は、心底驚いたよ」

「あれは……」

私は思わず視線を逸らした。

「少し、変だったでしょうか」

「かなり変だった」

「かなり……」

「だが、君らしかったな」

カイン様の声が柔らかくなる。

「君はこの土地に来て、荒れ地を見て、嘆くのではなく、何を植えられるか考えていた。土を見て、種を植えて、楽しそうに植物を育て始めた」

「ええ、とても楽しかったです」

「知っている」

カイン様は優しく笑う。

「そして、その植物の恩恵を、この領地は受けている。小麦も、野菜も、薬草も、酒も、食魔植物も。君が自由に育てたものが、領民を助けてくれた」

「それは、私だけではありません」

私は慌てて言った。

「カイン様が場所を与えてくださったからです。領民の方々も一緒に育ててくれましたし、イーヤも手伝ってくれました……こちらこそ感謝しています」

私は杯をそっと置く。

「自由に、楽しく植物を育てさせてもらえているんです。感謝しているのは、私のほうです」

「そう言ってくれるのが、君らしいな」

カイン様は少しだけ目を細めた。

「だが、その恩恵だけではない」

「え?」

「本当に、君が来てくれてよかった」

低い声だった。

けれど、胸の奥にまっすぐ届く声だった。

「俺が心の底から愛せる女性が嫁いでくれたことを、神に感謝したいと思うくらいだ」

「……っ」

息が止まった。

愛せる女性……今、そう言われた。

私はカイン様を見る。

彼は冗談を言っている顔ではなかった。

まっすぐに、私を見ている。

「君が植物を楽しそうに育てる姿は、見ていて飽きない。土まみれになっても気にせず、葉の色ひとつで嬉しそうに笑う。そういう姿が、どうしようもなく魅力的だと思う」

「カイン様……」

「話していても楽しい。君の植物の話は、時々俺には難しいが、それでも聞いていたいと思う。君が嬉しそうに話すだけで、こちらまで嬉しくなる」

カイン様は少しだけ苦笑した。

「いつからか、この晩酌の時間を楽しみにしている自分がいた。今日は何を話してくれるのか。どんな植物を見つけたのか。君がどんな顔で笑うのか。それを考えるようになっていた」

胸がいっぱいになる。

嬉しくて、恥ずかしい。

どう返せばいいのかわからない。

けれど、目を逸らせなかった。

「ミレイユ」

カイン様が私の手を取った。

いつもより、少し強く。

でも、とても優しく。

「好きだ」

「っ……」

「君が辺境伯家に嫁いでくれて、本当によかったと思っている」

手の温かさが伝わる。

その温かさが、胸の奥まで広がっていく。

「君にも、そう思ってもらえるように、今後も努力するつもりだ」

カイン様は、まっすぐ私を見た。

「だから、俺と結婚してくれ、ミレイユ」