作品タイトル不明
第16話 食魔植物の効果と可愛さ
食虫植物を魔化させて、食魔植物に改良した翌日。
私は朝から、領都内の畑を回っていた。
まずは、畑のそばに植えてある食虫植物の一部を、食魔植物に魔化させることにしたのだ。
全部ではない。食虫植物は、虫を捕まえて野菜を守ってくれている。
全部を食魔植物にしてしまったら、害虫対策が薄くなる。
それでは本末転倒だ。だから、ひとつの畑に一つか二つ。
魔物が近づいた時に反応できる場所へ植える。
食魔植物は魔物の魔力に反応し、魔物が好むような匂いを出すようにした。
だから魔物が畑に近づけば、食魔植物のほうへ引き寄せられるはずだ。
「ここにも一つ置いておきましょう」
「お、奥様。本当に大丈夫なんですかい?」
畑の持ち主の男性が、食虫植物を見ながら恐る恐る尋ねた。
まだ魔化させる前なのに、もう少し怯えている。
「はい。人は襲わないように調整しますから」
「それはありがたいんですが……」
「見た目は少し大きくなるかもしれません」
「少し、ですか?」
「少しです」
私はそう言って、食虫植物に手をかざした。
「『命よ、巡れ』」
魔力を流す。
昨日と同じように、人と魔物の魔力の違いを刻み込む。
葉が震え、茎が伸び、根が土の中へ深く入っていく。
そして、食虫植物は一気に私の背丈ほどになった。
大きな葉が、ゆっくり開く。
棘のある縁。
内側の粘り気。
魔物を待ち構えるような堂々とした姿。
うん、可愛いわね。
「……」
畑の持ち主の男性が無言になった。
「できました」
「こ、これで少し……」
「はい。可愛いでしょう?」
「か、可愛い……」
男性は何とも言えない顔をした。
隣にいたイーヤも、少し遠い目をしている。
「ミレイユ様、たぶん可愛いと思っているのはミレイユ様だけです」
「……そうかしら?」
「はい」
きっぱり言われた。
可愛いと思うのだけれど。
葉の開き方も元気だし、根の張り方もしっかりしているし。
でも、領民の方々にはまだ早いのかもしれない。
それからも、私は畑を回った。
食虫植物を、食魔植物へ。
午前中だけで二十ほど。
昼を挟んで、さらに三十ほど。
合計で、五十草ほど魔化させた。
さすがに、夕方になる頃には疲れていた。
魔力が少なくなっているのがわかる。
でも領都内の主な畑には、ひとまず食魔植物を配置できた。
領民の方々は、最初こそ食魔植物の見た目に驚いていた。
けれど私が説明すると、少しずつ受け入れてくれた。
「奥様が作ったなら、大丈夫なんだろう」
「魔物を食べてくれるならありがたい」
「でも、夜に見たら腰を抜かしそうだな」
そんな声もあった。
まあ、たしかに夜に大きな葉が開いていたら、少し驚くかもしれない。
でも、魔物対策にはなるはずだ。
屋敷へ戻る頃には、夕食の時間を少し過ぎていた。
カイン様は先に食べているかもしれない。
そう思いながら食堂へ向かうと、彼はまだ席に着いたまま、食事に手をつけずに待っていた。
「カイン様」
「戻ったか」
「すみません。遅くなりました」
「構わない」
「先に食べていてくださってよかったのに」
私がそう言うと、カイン様は少しだけ目を細めた。
「ただ、君と一緒に食べたいと思っただけだ」
「……」
胸が、ふわっと温かくなる。
そういうことを、さらりと言う。
前より少し慣れたと思っていたけれど、やっぱり慣れない。
「……ありがとうございます」
「ああ。座ってくれ」
私は席に着いた。
夕食は温かいスープと、焼いた根菜、それから柔らかなパンだった。
疲れていたせいか、いつもより美味しく感じる。
「今日は五十草ほど魔化させました」
「五十?」
カイン様の眉が動いた。
「やりすぎではないか?」
「少し疲れましたけど、大丈夫です」
「少し、か」
「……それなりに疲れました」
「正直でよろしい」
カイン様が小さく笑う。
イーヤは後ろで、少しだけ頷いていた。
夕食を終えたあと、私はいつものようにカイン様の部屋へ向かった。
今日はお酒ではない。さすがに疲れているので、ハーブティーだ。
寝る前のお酒は、今日は控える。
「失礼します」
「ああ」
部屋に入ると、カイン様はすでにソファに座っていた。
私はハーブティーを用意し、彼の隣に腰かける。
最初の頃は、向かい合って座ることが多かった。
けれど最近は、こうして隣に座ることが増えている。
婚約者なのだから、問題ないのだろう。
そう思うけれど、隣に座るとまだ少し胸が高鳴る。
カイン様の体温が近い、声も近い。
それだけで、少し落ち着かなくなる。
「今日は疲れただろう」
「少しだけです」
「また少しだけか」
「……かなり疲れました」
「よろしい」
カイン様はそう言って笑い、ハーブティーを飲んだ。
私も自分の茶器を持つ。
温かい香りが広がる。
体の奥まで、ゆっくりほどけていくようだった。
「食魔植物は問題なく配置できたか」
「はい。領民の方々は少し驚いていましたけど」
「だろうな」
カイン様が苦笑する。
「でも、皆さん受け入れてくれました。魔物を防げるならありがたいと」
「そうか」
「見た目も可愛いですし」
「……そうか」
カイン様が少しだけ視線を逸らした。
今の間は何だろう。
やはり、可愛いと思っていないのだろうか。
そう思っているうちに、だんだん瞼が重くなってきた。
魔力を使いすぎたせいだろう。
体が温まったせいもある。
隣にカイン様がいるから、安心してしまうのもあるかもしれない。
私はソファの背に体を預けた。
まずい。
このままでは、ここで眠ってしまう。
「……そろそろ、戻ります」
私は茶器を置いて、立ち上がろうとした。
けれど、その前にカイン様が静かに言った。
「今日は疲れたのだろう」
「でも、このままだと眠ってしまいそうで……」
「眠ればいい」
「ここで、ですか?」
「ああ」
カイン様は私の肩に手を添えた。
そして、そっと私の頭を引き寄せる。
気づけば、私はカイン様の肩に頭を乗せていた。
「カ、カイン様……?」
「少し休め」
低い声が、すぐ近くで聞こえる。
近い。
とても近い。
でも、今はなぜか居心地がいい。
カイン様の肩はしっかりしていて、温かい。
それから、いつもの香りがする。
「ゆっくり休め」
そう言われた瞬間、体の力が抜けた。
駄目だ……眠ってしまう。
そう思ったのに、もう瞼が開かない。
「……少しだけ」
「ああ」
本当に少しだけのつもりだった。
けれど、私はそのまま眠ってしまった。
――翌朝。
目を覚ますと、見慣れない天井があった。
「……ん」
私はぼんやりと瞬きをする。
そして、少しずつ状況を思い出した。
ここは、自室ではない。
「……カイン様の部屋だ」
一気に目が覚めた。
私は寝台の上にいた。
しかも、もう日がかなり高い。
朝食の時間は、とっくに過ぎているようだった。
「え、ええっ……?」
慌てて体を起こす。
カイン様はいない。
昨日、私はカイン様の肩に寄りかかって眠ってしまった。
その後、どうなったのだろう。
また運ばれたのだろうか。
以前、お酒で寝てしまった時と同じように。
……また。
また私は、カイン様の部屋で朝を迎えてしまった。
どうしよう。
かなり恥ずかしい。
急いで部屋を出ようとしたところで、扉が軽く叩かれた。
「ミレイユ様、失礼いたします」
「イ、イーヤ?」
入ってきたのは、イーヤだった。
彼女はいつも通り、穏やかな笑顔を浮かべている。
手には着替えと、身支度の道具を持っていた。
「お目覚めですね。お支度いたしましょう」
「えっと、その……」
「はい」
「私、昨日……」
「大変お疲れでしたので、カイン様がこちらでお休みになるようにと」
「そ、そうなのね」
「はい」
イーヤはにこにこと笑っている。
何も言わない。
何も言わないのだけれど。
私はただ疲れて眠ってしまっただけだ。
それだけなのに……一晩、カイン様の部屋で過ごした。
そう思うと、顔が熱くなってくる。
「ミレイユ様、お顔が赤いです」
「か、寒暖差かしら」
「そういうことにしておきます」
「イーヤ……」
やっぱり何か勘違いされている気がする。
私は恥ずかしさで小さくなりながら、イーヤに支度を整えてもらった。
その後、遅い朝食を取ろうと食堂へ向かった時だった。
「きゃああああっ!」
裏庭のほうから、女性の悲鳴が聞こえた。
「今のは……!」
私は思わず走り出した。
イーヤも後ろからついてくる。
廊下の向こうから、カイン様も現れた。
彼も悲鳴を聞いたのだろう。
「どうした!」
カイン様が低い声で言いながら、裏庭へ向かう。
私もその後を追った。
裏庭に出ると、一人のメイドが地面に座り込んでいた。
顔が真っ青だ。
彼女のすぐ近くに、昨日作った食魔植物がある。
その大きな葉は、今、半分ほど閉じていた。
そして、その口の端から――大きな鳥の翼が見えている。
「……あ」
私は足を止めた。
カイン様も同じものを見たらしく、眉を寄せる。
「何があった」
彼がメイドに問いかけると、メイドは震える声で答えた。
「ま、魔物を……すごい勢いで食べて……!」
どうやら、目の前で鳥の魔物が食魔植物に食べられたらしい。
食魔植物の中で、鳥の魔物はまだ少しじたばたしていた。
翼がぴくぴく動いている。
けれど、その動きはだんだん弱くなっていく。
食魔植物の葉脈が、ゆっくり光っていた。
魔力を吸っている。
魔物の体だけではなく、魔力も栄養として取り込んでいるのだ。
「……なるほど」
私は思わず頷いた。
「魔力も食べているのね」
「ミレイユ」
カイン様がこちらを見る。
その顔は、少し引きつっていた。
「これは成功なのか?」
「はい!」
私はしっかり頷いた。
「実験は成功です。ちゃんと魔物にだけ反応して、捕食しています」
「そうか……」
カイン様は微妙な顔をした。
イーヤも同じような顔をしている。
「よ、よかったですね、ミレイユ様」
「はい!」
私は食魔植物に近づいた。
メイドが小さく悲鳴を上げた。
「奥様、危ないです!」
「大丈夫です」
私は食魔植物の根元に手を添えた。
大きな葉は、魔物を飲み込んだまま静かに揺れている。
少し誇らしげに見えた。
「さすがね。ありがとう」
そう言って撫でると、食魔植物がくすぐったそうに葉を揺らした。
感情があるのかどうかはわからない。
でも、返事をしてくれたみたいで嬉しい。
「よく守ってくれたわね」
私はもう一度、そっと撫でた。
カイン様が後ろで小さく息を吐く。
「……本当に、ミレイユらしいな」
「そうでしょうか」
「ああ。魔物を食べている植物を、褒めて撫でるところが特に」
「だって、この子はちゃんと畑を守ってくれましたから」
「そうだな」
カイン様は少し呆れたように、それでも優しく笑った。
座り込んでいたメイドも、まだ青い顔をしているけれど、少しだけ安心したようだった。
「畑を……守ってくれたんですね」
「はい。もう少し見た目は怖いかもしれませんが、味方です」
「味方……」
メイドは食魔植物を見上げた。
葉の端から、鳥の翼が少し見えている。
味方と言われても、すぐには納得しづらい見た目だろう。
でも、実際に守ってくれた。
この結果は大きい。
「領都の畑に植えた子たちも、きっと役に立ってくれると思います」
「まずは兵士たちにも報告しておく」
カイン様が言った。
「夜の見回りで、食魔植物に驚かないようにしなければならない」
「あっ、それは必要ですね」
「領民にも改めて説明しよう。人を襲わないことと、近づきすぎないことを」
「はい」
私は頷いた。
食魔植物は畑を守れる。
それがわかった。
私は食魔植物の大きな葉を見上げた。
冬の冷たい空気の中で、その葉は堂々と揺れている。
「これからも、よろしくね」
そう声をかけると、食魔植物はまた、かすかに葉を揺らした。