作品タイトル不明
第15話 魔化と食魔植物
屋敷に戻った私は、すぐに裏庭へ向かった。
正直、体は少し冷えていた。外は雪が残っているし、北側の畑では風も強かった。
普通なら、まず温かいお茶を飲んで少し休むべきなのだろう。
イーヤも、馬車の中で何度かそう言っていた。
「ミレイユ様、一度お部屋で温まりませんか?」
「大丈夫。先に確認したいことがあるの」
「ですが……」
「本当に大丈夫よ」
そう答えながらも、私はたぶん少し早足だった。
さっき見た荒れた畑が、頭から離れない。
あれは、ただの食べ物ではない。
領民の方々が寒い中で大事に育てたものだ。
私が魔法をかけた種から育ったものだ。
土も、葉も、根も、ちゃんと生きていた。
それを、あんなふうに荒らされた。
思い出すだけで、胸の奥がまた熱くなる。
植物の匂いで魔物を撃退できることはわかった。
さっき投げた臭い植物は、鳥の魔物にかなり効いていた。
ただ、あれには問題がある。
人の手で投げなければならない。
領民の方々に持ってもらうのは、身を守るためにはありかもしれない。
けれど、植物を守るには心もとない。
人がいない夜に来ることも多いと、領民の方々は言っていた。
なら、人がいなくても魔物を撃退できるものが必要だ。
魔物が近づいたら、自分で動いて追い払う。
畑のそばに植えておけば、野菜や小麦を守ってくれる、そういう植物。
正直、普通の植物では無理だろう。
今育てている薬草や香草でも無理だ。
臭い植物も、置いておくだけでは効果が弱い。
だから、新しく作らないといけない。
新しい種を、改良して。
さらに、魔力を込めて。
「……できるはず」
私は裏庭の畑に入り、ある一角へ向かった。
そこには、虫対策用の植物が並んでいる。
食虫植物だ。
もともとは、野菜を食べに来る虫を減らすために改良したものだった。
普通の食虫植物よりも寒さに強く、葉の開閉も早い。
甘い匂いで虫を誘い、捕らえて、栄養にする。
野菜の周りに植えておくと、害虫がかなり減る。
この子たちはすでに十分役に立ってくれていた。
けれど、相手が虫ではなく魔物となると、話が違う。
普通に改良するだけでは足りない。
もっと大きく、もっと強く、もっと反応を鋭くしなければならない。
「ミレイユ」
不意に声がした。
振り返ると、カイン様がこちらへ歩いてくるところだった。
雪の中でも背筋は真っ直ぐで、いつものように落ち着いて見える。
けれど、その表情には少しだけ焦りがあった。
「カイン様」
「鳥の魔物が出たと聞いた。怪我は?」
「私は大丈夫です。領民の方々にも怪我はありません」
「そうか」
カイン様はほっとしたように息を吐いた。
でも、すぐに私の顔を見て眉を寄せる。
「……どうかしたか?」
「はい」
私は頷いた。
「私は、全力で魔物から植物を守ります!」
「……」
カイン様が一歩、ほんの少しだけ後ろへ下がった。
「魔物に畑を荒らされるのは、絶対に嫌です。領民の方々が大事に育てたものを食い散らかされるのも嫌です。だから、畑を守る植物を作ります」
「……そ、そうか」
カイン様は少しだけ瞬きをした。
そこへ、息を切らしたイーヤが追いついてくる。
「カイン様……ミレイユ様は先ほどの畑で、植物が荒らされているのを見てからずっとこの調子でして」
「怒っているのか」
「はい、とても」
「……初めて見る表情だが、ミレイユらしいな」
カイン様が小さく笑った気配がした。
私はその会話を聞きながらも、すでに食虫植物の前にしゃがみ込んでいた。
植物魔法には、いくつか扱いの難しい領域がある。
そのひとつが、『魔化』だ。
植物に魔力を込めすぎると、通常とは違う色や形、特性を持つことがある。
それを、『魔化』という。
普通は避けるべき状態だ。
扱いが難しいし、性質も変わりすぎる。
野菜でやれば、実が大きく歪んだり、味が強くなりすぎたり、苦みが出たりする。
美味しくなくなることのほうが多い。
薬草なら、効能が強くなりすぎて危険なこともある。
だから、私は今まで極力避けてきた。
でも、畑を守るための植物だ。
それなら、魔化させる意味がある。
ただ大きくすればいいわけではない。
魔物を相手にする。
けれど、人を間違えてはいけない。
領民を襲うようなものでは意味がない。
魔物の魔力と、人の魔力。
それぞれの違いを、植物に覚えさせる。
植物は思っているより賢い。
光を探す。
水を探す。
土の中で、根を伸ばす方向を知っている。
なら、魔力の違いも覚えられるはずだ。
人の魔力と魔物の魔力。
その差を、根と葉に刻み込む。
「……やります」
私は深く息を吸った。
食虫植物の中でも、一番魔力の馴染みがいい株に両手をかざす。
「『命よ、巡れ』」
そう唱えた瞬間、淡い緑の光が食虫植物を包んだ。
最初は柔らかい光だった。
けれどすぐに、色が濃くなる。
魔力が大きく減っていくのがわかる。
でも、問題ない。
もともと私の魔力は多い。
緑の中に、深い紫が混ざった。
葉が震え、茎が伸びる。
根が土を割るように広がる。
食虫植物は、ぐんぐん大きくなっていく。
そして、私の身長を超えた。
大きな葉が開く。
虫を捕るための小さな袋だった部分は、魔物を呑み込めるほどの大きな葉になっていた。
縁には細かな棘。
内側には、獲物を逃がさないための粘り気。
けれど、むやみに暴れる気配はない。
根はしっかり土に張っている。
魔力の流れも、安定している。
成功だ。
「よし!」
私は思わず声を上げた。
「これで魔物対策ができます。食虫植物ではなく、食魔植物ですね!」
そう言って振り返ろうとした時だった。
「ミレイユ!」
鋭い声。
次の瞬間、強い腕に抱き寄せられた。
「きゃっ!」
視界がカイン様の胸元でいっぱいになる。
カイン様は私を庇うように抱きしめ、食魔植物との間に立っていた。
片腕で私を引き寄せ、もう片方の手はいつでも剣に触れられる位置にある。
「カ、カイン様?」
「下がれ。あれは危険だ」
「え? あ、大丈夫です!」
「大丈夫に見えるか」
カイン様の声は低い。
かなり警戒している。
その視線の先では、巨大な食魔植物がゆっくり葉を揺らしていた。
たしかに、初めて見る人にはかなり怖いかもしれない。
イーヤも少し離れた場所で、尻餅をついていた。
顔が青い。
「イーヤ、大丈夫?」
「わ、私は大丈夫です……ですが、ミレイユ様、それは本当に大丈夫なのですか?」
「はい。問題なく魔化できました」
「問題なく、魔化……」
イーヤが震えた声で繰り返す。
カイン様も私を抱いたまま、こちらを見る。
私は慌てて説明した。
「人には反応しないようにしました。魔物の魔力を感知するように調整してあります」
「本当にか?」
カイン様がまだ私を抱き寄せたまま聞いてくる。
「はい。人と魔物の魔力を区別できるようにしています。領民の方々が近づいても、襲うことはありません」
「……」
「たぶん」
「ミレイユ」
「いえ、かなり大丈夫です」
「かなり、か」
「ほぼ大丈夫です」
「言い方が少しずつ不安になるな」
カイン様の腕に、少しだけ力が入った。
私は慌てて食魔植物に向かって手を伸ばす。
「大丈夫よ。閉じて」
食魔植物は、ゆっくりと巨大な葉を閉じた。
棘も少し引っ込む。
ただの大きな植物……に見えるかはわからないけれど、少なくとも襲う気配はない。
カイン様はそれを見て、ようやく少しだけ力を抜いた。
「……本当に、君は驚かせる」
「すみません」
カイン様がため息をついた。
でも、まだ腕は離れない。
私はそれに気づいて、急に落ち着かなくなった。
さっきまで魔物への怒りでいっぱいだったのに。
食魔植物を作ることで頭がいっぱいだったのに。
今は、カイン様に抱き寄せられていることばかり気になってしまう。
外套越しの体温、背中に回された腕。
私を守ろうとしてくれたのだとわかる距離。
胸が、また違う意味で熱くなる。
「あの、カイン様」
「何だ」
「もう、大丈夫です」
「……そうか」
そう言いながら、カイン様は少しだけ遅れて手を離した。
離れた瞬間、寒い空気が戻ってくる。
少し残念だと思ってしまった自分に驚いた。
私は慌てて食魔植物のほうを見る。
そう、今は研究で魔物対策だ。
ドキドキしている場合ではない。
「これを畑の周りに植えれば、魔物を防げると思います」
「まずは屋敷の畑で試そう」
カイン様が言った。
「いきなり領民の畑に置くのは危険だ」
「はい。私もそう思います」
「兵士にも見張らせる。何かあった時に対応できるようにする」
「ありがとうございます」
イーヤもようやく立ち上がり、服についた雪を払った。
「ミレイユ様……心臓が止まるかと思いました」
「ごめんなさい、イーヤ」
「でも……畑を守る植物、すごいです」
イーヤはまだ少し青い顔のまま、食魔植物を見上げる。
「怖いですけれど」
「そう? 可愛くない?」
「か、可愛い……? これがですか?」
「ええ、可愛いわ」
私は頷いた。
イーヤは顔をしかめていた。
カイン様の顔を見ると、どうやら彼も可愛いとは思っていないみたいだ。
可愛いのに……でも、この子は畑を守ってくれる。
植物を守るための植物。
きっと、この辺境伯領に必要なものになる。
私はそっと食魔植物の根元に触れた。
「一緒に守りましょうね」
葉が、かすかに揺れた。
返事をしてくれたみたいだった。
その様子を見て、カイン様が小さく息を吐く。
「……本当に、君らしい」
「そうでしょうか」
「ああ」
カイン様は少しだけ笑った。
「魔物に怒る理由が、領民と植物のためなんだからな」
「だって、大事ですから」
「ああ。知っている」
その声が優しくて、また胸が温かくなる。
さっきまでの怒りは、もう少し落ち着いていた。
私は白い息を吐きながら、もう一度食魔植物を見上げた。
寒い冬の中で、その大きな葉は力強く揺れていた。