軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第14話 ミレイユの怒り

お酒に酔って、カイン様の部屋で目を覚ましてしまった日から、一週間ほどが経った。

あれから私は、深く反省した。

初めて飲むお酒で、飲み比べなどするべきではなかった。

カイン様にも迷惑をかけてしまったし、何を言ったのかも覚えていない。

だから、しばらくお酒は控えよう。

……と、思っていたのだけれど。

「この麦酒、前のものより香りが少し柔らかいですね」

私は杯を手に、真剣にそう言った。

つまり、控えていない。むしろ毎日少しずつ飲んでいる。

だって、麦酒の試飲は必要だ。

それに、今後カイン様と結婚して社交の場に出るようになれば、お酒を飲む機会もある。

その時に、また酔って記憶をなくすわけにはいかない。

だから、慣れる必要がある。

「ミレイユ」

向かい側に座っていたカイン様が、少し呆れたように私を見る。

「研究という顔をしているが、飲みすぎないようにな」

「はい、少しだけです」

「その少しだけが積み重なると酔うと、もうわかっただろう」

「……はい」

反論できない。

イーヤも横から、少し心配そうに口を開く。

「ミレイユ様、本当にお気をつけくださいね」

「大丈夫よ、イーヤ。今日は一杯だけだから」

「昨日もそう仰っていました」

「……昨日は、果実酒の甘みを確認する必要があったから」

「一昨日は薬草酒の香りを確認する必要があったと仰っていました」

「イーヤ、記憶力がいいわね」

「ミレイユ様のためですので」

にこりと笑われて、私は少し小さくなった。

でも実際、いろいろ試すのは楽しい。

麦酒以外にも、果実酒やワインにも挑戦し始めている。

まだ本格的に仕込む段階だけれど、職人の方の話を聞くだけでも面白い。

果物の甘み。花の蜜の香り。香草の苦み。

お酒は、思っていた以上に植物と深く関わっている。

それに私は、お酒に弱すぎるわけではないらしい。

初日がひどかっただけで、量を守れば普通に飲める。

ただ、楽しくなると少し飲みすぎてしまうらしいので、そこは気をつけないといけない。

「お酒は面白いが、ハマりすぎないようにな」

カイン様にもそう言われた。

ハマりすぎる。そんなことはないと思う……たぶん。

今日も昼を過ぎてから、私は領都内の畑を見て回ることにした。

雪は相変わらず残っている。息を吐くと白くなるし、手袋をしていても指先が少し冷える。

でも、畑を見て回るのは好きだ。

小麦も順調に育っている。野菜も、あちこちで収穫されるようになった。

領都の方々は、私が魔法をかけた種を蒔き、それを大事に育ててくれている。

最初は半信半疑だった人たちも、今では寒い中でも畑に出てくれていた。

「奥様、見てください。今年は葉物がこんなに育ちました」

「すごいですね。葉の色もいいです」

「へへ、奥様に教えてもらった通り、雪を避ける覆いを作ったんです」

「上手です。これなら冷えすぎませんね」

そう言うと、畑の持ち主の男性は嬉しそうに笑った。

その隣では、子どもが籠いっぱいの根菜を抱えている。

「奥様、この根っこ、甘い!」

「根菜ね。甘く育ったのならよかったわ」

「母さんが煮てくれるって!」

「きっと美味しいわ」

領民たちの声が、寒い空気の中に広がっている。

畑の仕事は大変だ。特に冬は、手も足も冷える。

それでも皆、やり甲斐があるようだった。

育てればちゃんと実って、食べれば美味しい。

それだけで、人はこんなに前を向けるのだと知った。

私も嬉しくて、胸の奥がじんわり温かくなる。

「ミレイユ様、次は北側の畑ですね」

隣を歩いていたイーヤが言った。

「ええ。あちらは少し土が硬かったから、様子を見たいわ」

「寒いですから、長くなりすぎないようにしてくださいね」

「わかっているわ」

「本当でしょうか」

「本当よ」

イーヤは少し疑うような目をした。

そんな顔をしなくてもいいのに。

……いや、前に畑で時間を忘れてカイン様に迎えに来られたことがあるので、あまり強くは言えない。

馬車で少し移動して、領都の北側にある畑へ向かった。

そこは城壁に近く、風が強い。

雪も他の場所より残りやすい。

それでも小麦は育っているし、寒さに強い野菜も少しずつ根づいていた。

けれど、その一画だけ様子が違った。

「……あれ?」

私は足を止めた。

畑の一部が、荒れている。

畝が崩れ、葉が散らばり、根が掘り返されていた。

まだ収穫前だった野菜が、食い散らかされたように転がっている。

「これは……」

胸の奥が、すっと冷えた。

私は畑の端にいた男性に声をかける。

「あの、この畑はどうしたんですか?」

「ああ、奥様……」

男性は困ったように頭を下げた。

「夜のうちに、鳥の魔物が来たんです。食い散らかしていきました」

「鳥の魔物……」

「はい。城壁はありますが、飛ぶ魔物はどうにも。特に夜に来られると、兵士もすぐには気づけません」

男性は荒れた畑を見る。

「人的な被害がなかったのは幸いですが、畑をやられるのは厳しいですな」

近くにいた別の領民も頷いた。

「冬は特に来るんです。外に餌が減るからでしょうね」

「せっかく育ったと思ったのに」

「まあ、命があっただけよかったと思うしか……」

皆、仕方ないという顔をしていた。

仕方ない……魔物がいる土地では、そう考えるしかないこともあるのだろう。

でも、私はすぐにそう思えなかった。

荒らされた畑。まだ育つはずだった植物たち。

私や領民の方々が、大事に育ててきたもの。

それが、こんなふうに食い散らかされている。

胸の奥が、熱くなった。

実家にいた頃は、温室で育てていた。

自由はなかったけれど、魔物に荒らされることはなかった。

それだけは、恵まれていたのかもしれない。

だから私は、畑を荒らされることに、こんなにも腹が立つのだと初めて知った。

「……なんてことを」

小さく呟いた声は、自分でも驚くほど低かった。

「ミレイユ様?」

イーヤが心配そうに私を見る。

その時だった。ばさり、と大きな羽音がした。

領民の一人が顔を上げる。

「また来たぞ!」

空を見ると、大きな鳥が旋回していた。

屋敷で手紙を運んでくれる賢い魔鳥よりも、ひと回り大きい。

羽は黒灰色で、嘴が鋭く、目つきも荒い。

明らかにこちらを餌場として見ている。

「奥様、下がってください!」

「逃げましょう、ミレイユ様!」

イーヤが私の腕を掴む。

領民たちも慌てて畑から離れようとしていた。

それが正しい。魔物が相手なら、逃げるべきだ。

私は戦うための魔法を持っているわけではない。

わかっている、わかっているけれど……。

鳥の魔物は、荒れた畑の上を低く飛んだ。

また、畑を狙っている。

また、この子たちを食い荒らすつもりなのだ。

「また畑を荒らしに来たの?」

私の中で、何かがぷつりと切れた。

「私の大事な植物を……!」

「ミレイユ様!?」

イーヤの声が聞こえた。

でも私は、馬車のほうへ走った。

馬車の中には、今日持ってきた鞄がある。

その中に、試作用の植物がいくつか入っていた。

薬草。香草。それから、強烈な匂いを出す臭い植物。

もともとは魔物が嫌がる匂いを調べるために持ってきたものだ。

まだ改良途中だったけれど、今は十分。

私は鞄から布袋に包んだ臭い植物を取り出した。

腐った草と苦い薬草と、鼻に刺さる香草を全部混ぜたような匂い。

正直、私でも少し嫌だ。

でも、だからこそ使えるかもしれない。

「奥様、何を……!」

「ごめんなさい。少し臭いです!」

「えっ?」

私は全力で、その臭い植物を鳥の魔物に向かって投げつけた。

「二度と来ないで!」

布袋が空中でほどける。

臭い植物が、鳥の魔物の顔のあたりに当たった。

次の瞬間。

「ギャアアアアッ!」

鳥の魔物が、ものすごい悲鳴を上げた。

翼をばたつかせ、空中で大きく傾く。

どうやら匂いが効いたらしい。

鳥の魔物は何度も首を振り、こちらを睨む余裕もなく、ふらふらと高度を上げた。

そして、逃げるように森のほうへ飛んでいった。

領民たちは、ぽかんとしていた。

イーヤも、目を丸くしている。

私も、自分で投げたくせに少し驚いていた。

「……効いたわね」

「効きましたね……」

イーヤが呆然と呟く。

領民の一人が、おそるおそる口を開いた。

「奥様、今のは……?」

「魔物が嫌がる匂いの植物です。まだ試作段階ですけど」

「試作段階で、あれですか」

「あの……少し臭いですけど」

「少しどころではありませんが、すごいです」

たしかに周囲には、強烈な匂いが漂っていた。

領民たちは鼻を押さえながらも、どこか安心したような顔をしている。

私は逃げていった鳥の魔物の方角を睨んだ。

まだ胸の奥が熱い。怒りが残っている。

畑を荒らされるのは、嫌だ。

領民の方々が寒い中で育てたものを、あんなふうに食い散らかされるのは嫌だ。

私の植物たちを傷つけられるのも、嫌だ。

「もう、植物を荒らされるなんて絶対に嫌」

自分でも驚くほど、強い声だった。

畑の土に、そっと手を触れる。

冷たい。けれど、生きている。

荒らされても、まだ終わっていない。

「大丈夫」

私は小さく言った。

「ちゃんと、守れるようにするから」

今度は、食べ物を育てるだけではない。

植物で、植物を守る。

この辺境伯領で生きるために必要なものを、またひとつ作るのだ。