作品タイトル不明
思い描く楽しい未来
あの日から三カ月。靴を履くの履かないの、自分でやるのやらないの、とにかく全てが許せないのと手を変え品を変え、よくまあここまで様々な理由で怒れるものだと半ば呆れ、半ば感心する日々を送った。
エルンストと共に頭を抱え、時に苦笑し、励まし合う日々だった。最近になって、激しい癇癪を起こすことが減ってきた。まだイヤイヤと言うことは多いが、語彙が増えるにつれ、気持ちを切り替えることが上手くなってきたように感じる。機嫌よく遊ぶ時間も増えてきた。
「おとうまま、おおましゃしてえ!」
「よし、おいでアルベルティナ」
エルンストがアルベルティナを持ち上げ、木馬に乗せる。木馬を揺らすと、アルベルティナはキャッキャと笑い声を上げた。
語彙は増えたけれど、言葉はまだたどたどしい。お父様は『おとうまま』、『おおましゃ』はお馬さんだ。私のことは『おたあまま』と呼んでくれる。かわちいが限界を越えてきゃわわちい……! 私は目尻を下げて木馬を揺らすエルンストと、木馬の上で器用におしりを弾ませるアルベルティナを眺める。
アルベルティナは馬が好きだ。お散歩ではいつも厩舎に向かう。エルンストが一緒のときは馬を撫でたり餌をあげたり出来るので、アルベルティナは最近もうめっきりお父様が大好きになっている。エルンストはとてもうれしそうで、私もそんなふたりを眺める時間に幸せを感じる。
「――奥様、そろそろ」
「ああ、もうそんな時間ね」
ヨランダに声をかけられ、私は立ち上がった。エルンストも木馬を揺らす手を止め立ち上がる。
「さあ、アルベルティナお嬢様。お二方におやすみの挨拶をする時間でございますよ」
「はあい!」
今日は第一声がイヤじゃない……! うれしい!! 使用人に抱き上げられたアルベルティナが笑顔で手を振ってくれる。
「おややまなたい!」
「ええ、ティナ、おやすみなさい」
「おやすみ、アルベルティナ」
笑顔で手を振り、エルンストと微笑みを交わし合った。
§
「え……っアルベルティナを馬に?」
「ああ。あの子は馬が好きだろう。馬に対してしてはいけないこともしないし、姿勢の均衡を保つ力も育ってきた。一度乗せてやろうと思うのだが……」
夕食の席で、エルンストが思いもよらない提案を口にした。私は手に持ったフォークを意味なく上げ下げし、たまらず心の叫びを口に出す。
「だめ、だめだわエルンスト……! 私とても見ていられない……っ!」
「乗せると言っても、私の前に座らせるだけだ。しっかりと抱えるし、厩舎長に手綱を引かせる。常歩で歩かせるだけだから危険はない。……それでも、あなたは不安だろうか?」
「違うのよ……! あなたがアルベルティナを危険な目に合わせるわけがないって信じてる。違うの、私が怖くて見ていられないの!!」
ワア! と思わず両手で顔を覆う。落ちやしないかとハラハラし通して、少しでも危なく見えたら大声を出しかねない。私のせいで馬を驚かせて、危険な状況にしかねないのだ。そんな光景がまざまざと目に浮かぶよう……!
「……やめておいたほうが良いだろうか?」
「いいえ。あなたはアルベルティナを馬に乗せてあげて。私は部屋にいるから」
なんてことだろう。私たちはこんなところでも補い合える。私はきっと、少しでも危なく思えたら『やめて』と止めてしまう。でもそれではいけない。アルベルティナの可能性を潰してしまう。
戸惑ったように「あなたがいいのなら」とこたえたエルンストの顔をじっと見つめる。彼に任せよう。エルンストならきっと安全に、様々な経験をさせてやってくれる。私は見ない方がいい。
「……もしや、あなたは馬に乗ったことがない?」
「ええ、もちろん。馬車に乗るくらいだわ」
それもたまに。実家にいたころは馬車なんてめったに乗る機会がなかったし、今はほとんどの物事が敷地内で事足りてしまう。広いし、大体のものが揃っているんだもの。
「思うにだが、馬と身近に触れ合ったことがないから、殊更恐ろしく思えてしまうのではないだろうか」
それは、その通りだと思う。私はためらいがちに頷いた。馬の背も、地を踏みしめる蹄も。アルベルティナと比べてあまりにも大きいから、危なく見えてしまうのだ。私が馬と親しんで、信頼したことがないから。
「気性の穏やかな、気の優しい馬を選ぶから、あなたも一度馬に乗ってみないか?」
「……私にできるかしら」
馬を眺めて、少し触れて、『美しい』と思う気持ちに嘘はない。風を受けるのが心地よさそうだと思う気持ちにも。怖いと思う気持ちと、やってみたいと思う気持ちが半々。私はおずおずとエルンストに問いかける。エルンストは自信ありげに頷いた。
「私が責任もって教える。二人乗りで慣れることから始めよう」
「それなら……やってみようかしら」
馬に乗れるようになった自分を想像する。木陰の道をぽくぽくと歩かせて、大きくなったアルベルティナを前に乗せたエルンストが隣で馬を歩かせていて。『競走よ!』なんて言って馬を走らせて、馬の背で風を受けるのだ。
……かっこいい! そんなお母様、きっとかっこいいわ!!
「ねえ、私が乗れるようになるまで、アルベルティナには内緒にしてくれる?」
「ああ、約束しよう」
いたずらっぽく笑いかけると、エルンストが愉快げに笑う。なんて楽しいのだろう。挑戦しよう、と手を引いてくれるエルンストが頼もしくて、きっと出来ると思えるのだから。