軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

丙子の章 義を見てせざるは公爵家にあらず

「ありがとう。おかげで助かったわ。あの、貴女のお名前は…」

ベアトリスが言い淀むと、ハナが元気に答える。

「高等部一年のハナ・ベランメーです!こちらは友人のゲルダ・イナセダネ男爵令嬢と、エマ・ナムサン。

あの……今回助けていただいたのとは別に、実は私たち、前から公爵令嬢にお礼を言いたかったことがあるんです」

「お礼を………?どうして………」

「入学時に学院から配られる手引きの他に、生徒会で発行している、細かな学院生活のコツや、身分ごとに注意すべき点をまとめた冊子がありますよね?

あれを作っているのが公爵令嬢だときいたものですから」

「私たちのような、下位貴族や平民の新入生にとって、あの冊子は本当にありがたいものなんです!

いろんな身分や立場の生徒が集まる場って、目に見えない決まりごとが多いじゃないですか……そんなとき、あそこに書かれている内容にどれだけ助けられたかしれません」

「下位貴族や平民の生徒は、あの冊子を『聖書』って呼んでるくらいなんですよ!」

ベアトリスは驚いた。

確かに生徒会に入りたての頃、レオポルドの思いつきで、生徒会による学院生活虎の巻を作ろう、という話が出た。

しかし、着手して早々にレオポルド以下生徒会の面々は作業に飽きてしまったので、結局ベアトリスが一人でコツコツとまとめ、その後も時折改訂を重ねていたのだった。

今となっては生徒会の誰も見向きもしないその冊子が、他の生徒の役に立ち、あまつさえ聖書とまで呼称されていたとは。

ベアトリスは鼻の奥がツンとして下を向いた。

(姫さんのことをちゃんと見てる人間もいる)という源太の言葉が頭をよぎる。

「………公爵令嬢?」

ハナが心配そうにベアトリスの顔を覗き込んだ。

「あ、ごめんなさい。ちょっと嬉しくて。

あと……できれば『公爵令嬢』じゃなくて『ベアトリス』って呼んでくれたら嬉しいわ」

その言葉に下級生三人はキャアと歓声を上げた。

※※※※※※※

その後、もっとベアトリスと話したいという下級生たちに押し切られる形で、四人は生徒会の書類仕事を一緒にすることになった。

お陰で、お喋りに花を咲かせながらの作業にも拘らず、仕事はあっという間に片付いた。

それをまた皆で手分けして生徒会室に運び入れると、まだ残っていた生徒会メンバーがその姿に目を剥き、「じゃあまた!失礼しますベアトリス先輩!」と口々に挨拶する下級生たちの声に耳を疑っていた。

(貴族学院たァ、なかなかおもしれえところだなァ、姫さん)

仕事を終えて一人校舎を出たベアトリスに、源太が朗らかに話しかける。

「そうね………私も今日初めて知ったわ」

(ハハッ、そりゃいいや)

日が傾く中、二人はアレ公とヒル公が並んで待っている校門へとゆっくり歩いて行った。

※※※※※※※

その日の夜、ベアトリスの部屋にノックの音が響き、フェルディナンドが顔をのぞかせた。

「どうしたの、フェルディナンド。また課題?」

ベアトリスが声をかけると、フェルディナンドはモジモジしながら部屋に入ってくる。

「いえ、その………今日姉上が、貴族と平民の揉め事を治めた上、教師の横暴を見事に退けたと聞きまして……」

「いやだ、今朝の出来事がもう中等部にまで伝わってるの?

……お父様やヴェラボーメ夫人の耳に入ったら大変だわ。お願い、黙っててね」

ベアトリスはフェルディナンドに椅子を勧めながら顔を赤らめた。

しかし、フェルディナンドは身体を乗り出すようにして、興奮気味に話し続ける。

「私は……その話を聞いて、誇らしかったのです。

中等部でも身分差によるイジメは多い。

それを目にするにつけ、筆頭公爵家の跡取りとしてどう振る舞うべきか、ずっと悩んでいました。

でも結局、友人たちの目を気にして見て見ぬふりをしてきたんです。

それなのに、散々気弱と揶揄されていた姉上が、勇気を出して正面から立ち向かったのですから……」

目を輝かせるフェルディナンドに、ベアトリスはますますきまりが悪くなった。

「……あのね、そんな大げさなことじゃないのよ?

一歩踏み出したら、後はお任せっていうか………」

「そして、誇らしいと同時に自分が恥ずかしくなりました。

実は、こないだ姉上に叱られてから、ずっと謝りたいと思っていたんです。

幼い頃は優しい姉上を慕っていたはずなのに、いつの頃からか、『気弱令嬢』と呼ばれている姉上を見ると歯痒くて、その弟だからと周囲の人間に私までからかわれるのが腹立たしくて、姉上にキツく当たるようになってしまった。

そして、姉上が言い返してこないのをいいことに、どんどん図に乗って…………本当にひどいことをしてしまいました。どうか、愚かな弟を許してください」

「フェルディナンド………ありがとう。

貴方だって、とても勇気があると思うわ。

貴方の年頃の男の子が自分から謝るのは、きっとすごく難しいことでしょう?

貴方のお陰で、またこうして仲良く話せるようになって、本当に嬉しい」

フェルディナンドは赤面する。

「やはり……母上の言ったことは本当だったんですね」

「……お母様が?お母様が貴方に何を言ったの?」

「母上がまだお元気だった頃、幼い私に言ったことがあるんです。『貴方のお姉様は、心が優しいせいで時々弱虫に見えるかもしれないけど、本当はとっても強い子なのよ』と……」

「……!……お母様がそんなことを……」

(……良い話だなァおい……チキショー、泣かせらァ。おいら芝居でも草双紙でも、母子モノにゃァてんで弱ェんだよ……)

ベアトリスは、初めて知った母の言葉に涙が出そうになったが、頭の中で源太が盛大に男泣きしているものだから、つい泣きそびれてしまった。