作品タイトル不明
刺繍絵のデザインの打ち合わせ
クラウディアはモーガン侯爵家を訪れていた。
刺繍絵のデザインの打ち合わせのためだ。
案内された部屋にはヴィヴィアンと夫人の他にアーネストもいた。
「お兄様ったら本当に有給を使ったらしいわ」
「溜まっていたからね。いつも使えと文句を言われているから」
……職場の同僚はさぞかし驚いたに違いない。
「そうですか」
「わたくしたちだけでいいと言ったのだけれどね」
「私がいたら邪魔だろうか?」
母と妹の文句は流し、アーネストはクラウディアに訊く。
「いいえ。私は構いませんわ」
「よかった」
アーネストがほっとしたように微笑む。
「仕方ありませんわ。お兄様は大人しくなさっていてくださいませ」
「ああ、私はそういうセンスがいまいちだから大人しくしているよ」
何とも返事に困る言い方だ。
「だからといって追い出さないでほしい。私もクラウディア嬢のデザインを見たい」
クラウディアにはもちろん追い出すつもりはない。
「仕方ないわね。大人しくしているのよ?」
「もちろんです」
「えっと、アーネスト様もご希望がありましたら遠慮なく言ってくださいね?」
「うん、ありがとう」
「お兄様の意見はあくまでも参考意見でいいわよ」
いつもはきちんとアーネストを立てるのにヴィヴィアンの言葉はなかなか辛辣だ。
それだけ本気ということなのかもしれない。
侯爵夫人もヴィヴィアンと同意見なのかはっきりと頷いた。
了承していいものか迷う。
アーネストに失礼ではないかと。
だが、当のアーネストがあっさりと頷く。
「うん。私の意見は参考程度に考えてくれればいい」
本人がそう言っているのだからクラウディアも従うことにした。
どう参考にするかはクラウディアの裁量だろう。
どう取り入れるかは意見を聞いてみないとわからない。
「わかりました」
「では早速本題に入りましょう」
侯爵夫人の一言でみんなの顔つきが真剣なものになる。
クラウディアは口を開いた。
前回と同様の失敗はしない。
「私のほうでいくつかデザインを描いてきました」
「まあ、どんなものかしら?」
「ヴィヴィアンに贈ったハンカチは古詩の一節でしたので、いくつか詩からデザインを興してみたのです」
「まあ見せてちょうだい」
キティからスケッチブックを受け取り、手を差し出したヴィヴィアンに渡す。
ヴィヴィアンがそのまま侯爵夫人にスケッチブックを渡し、見える位置まで移動する。
「母上、テーブルの上に置いて開いてください」
「わかっているわ」
表紙を捲った侯爵夫人がスケッチブックをテーブルの上に置く。
「デザインの後ろに詩集の題名と詩を書いてあります」
軽くページを捲って裏を確認した侯爵夫人が頷く。
それから三人は真剣な顔で一つ一つ詩とデザインを確認していく。
クラウディアはそんな三人の表情を注意深く観察していた。
どういうものを好むのか知るためだ。
無意識のその表情にこそ本音が出る。
それを次に図案を描く時に活かすのだ。
できるだけ好みのものを作りたい。
それは作り手としてのクラウディアの矜持だ。
本人が自覚しているものももちろんいいが、無意識の好みを反映しているほうがよりいっそう嬉しいものだ。
せっかく注文してくれるのだから是非とも喜ばせたい。
結局一冊丸々使ってしまったのでそれなりの枚数がある。
今日は別に使っていないスケッチブックも持ってきてある。
希望があれば簡単に描き、方向性だけでも擦り合わせたいと思っている。
手を止めた侯爵夫人が感嘆の息とともに呟く。
「ここまででもどれも素敵ね」
「本当ですね」
「ああ。もうこのまま飾りたいくらいだ」
アーネストの言葉に困惑する。
それはあくまでも刺繍の図案だ。
「えっと、図案ですので」
「うん、わかっているよ。それだけ素敵だったということだ」
「ありがとうございます」
一言だけ、お礼を言い、邪魔をしないように口を閉じる。
三人はまた続きを見始める。
クラウディアはまたその表情を観察していた。
程なくして。
最後まで見終わった。
侯爵夫人は最後の一枚を捲って我に返ったようだ。
それはヴィヴィアンやアーネストも同じようだった。
「あら、終わってしまったわ」
「残念な気持ちになりますね」
「本当ですね」
本当にそれはデザイン案を描いたもので見て楽しむものではない。
いや楽しんでくれたならそれはそれでいいのだが。
今日の本題からはずれている。
一言告げるべきかと悩んだがすぐに侯爵夫人が本題に戻した。
「でも迷ってしまうわね」
困ったというように侯爵夫人が頬に手を当てて言う。
「そうですよね。選べませんわ」
ヴィヴィアンがページをぺらぺらと捲りながら同意する。
「どれも素敵だからね。いっそ全部作ってもらいたいくらいだよ」
アーネストが何やらとんでもないことを言っている。
もちろん気に入ってくれたなら嬉しいが。
「気持ちはわかるけれどさすがにそれは駄目よ」
「わかっていますよ。それだけ素晴らしいと言いたいだけです」
まだ図案なのだが。
クラウディアは困惑する。
「おっしゃりたいことはわかりますわ。ですが、クラウディアが困っていますわ」
「ああ、すまないね。困らせるつもりはないんだ」
「いえ、大丈夫です」
それしか言えなかった。
「どれも素晴らしいよ」
「ありがとうございます」
デザイン性を褒めてもらったのだと受け止めることにした。
それもあながち間違ってはいないと思う。
「どれがいいかしらね?」
ぺらぺらとスケッチブックを捲りながら侯爵夫人が呟く。
「あくまでも参考に、と描いたものですので」
きちんと主張しておかないとこの中から決めそうな雰囲気だった。
いや、別にデザインが気に入ったのだったらそれで発注してもらっても構わないのだが。
どうせならお気に入りの詩があるのならそちらでデザインしたほうがいいのでは思う。
「もしお気に入りの詩や物語の一場面などありましたらそちらを刺繍することもできますので」
「ふふ、ありがとう」
「でも、これも十分素敵なものだよ」
「ええ。そちらはまた今度でもいいわ」
……本当にこの中から選んでしまいそうだ。
それはそれで別に構わないのだけれど。
好きな詩のほうがいいのではないかと思うだけだ。
「このスケッチブックは預かってもいいかしら?」
侯爵も交えて話し合うのだろう。
「はい、構いません」
もともとそのつもりで持ってきたものだ。
他で使うデザインなどは描いていないので問題はない。
「ありがとう。近日中には返事をするわ」
「はい。お待ちしてます」
その返事を聞いて改めて図案を描き、侯爵夫人やヴィヴィアンと相談して色を決めていくことになる。
そしてそこから糸や布を手配してようやく刺繍を始めることになる。
完成まではまだ先が長い。
クラウディアはやるべきことをやるべき時にやるだけだ。