軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

301(前)・植物学者、ヴォラック・ラッカ

その日、半年にも及ぶ北部での植物採集旅行を終えて、ヴォラック・ラッカは久々に皇都の自邸へ帰った。

古参のメイドから「奥様も旦那様も、お嬢様に負担をかけすぎです」などと苦言を呈されつつ、庭に生えていた見慣れない植物に首を傾げる。

「出かける前にはなかった植物だよね。これはなんだい?」

「ソラネお嬢様が学園からもらってきた『トマト様』という新種の野菜ですよ。興味をもたれるだろうと思って、新聞を保管してありますから⋯⋯後でご覧になってください」

根元にしゃがみこんだヴォラックは、トマト様の枝葉と実を仔細に観察しつつ、背後のメイドと会話を続ける。

「ほう? 唐辛子の亜種かな⋯⋯しかし、唐辛子と違って水気が多そうだ。どこの植物だろうか」

「原産地はネルク王国とのことです。現地のキルシュ坊ちゃまから届いたお手紙にも、そう書かれていましたよ」

はて、と疑問が生じる。

「⋯⋯あれ? ネルク王国? キルシュはレッドワンドへ行ったんじゃなかったっけ?」

「レッドワンドはもう滅んで、今はレッドトマト商国ですよ。キルシュ坊ちゃまもその混乱を避けて、ネルク王国へ移住されたのでしょう。そのご様子だと、坊ちゃまが結婚されたこともまだご存じないのですよね?」

「ああ、初耳だね。そうか、結婚したのか。あいつもいよいよ、身を固める気になったんだなぁ」

他人事のように言って驚きもしないヴォラックに、メイドが深い嘆息を向けた。

「父親なんですから、もう少し、こう⋯⋯あるでしょう。驚いたり、焦ったり」

「キルシュは私よりよほど賢いから、どこに行こうと上手くやるよ。で、相手は誰だい? 王族かな? それとも魔族? 獣人という線も捨て難い。いや、もちろん平民でも別にいいというか、むしろそのほうが安心できるんだが⋯⋯あいつは節目節目で、何か予想外のことをやらかしそうな雰囲気があるだろう? ほら、日々が平凡な私と違って」

メイドが鼻で嗤った。なにせ古参なのでラッカ家の家風に慣れ切っている。

「旦那様とキルシュ坊ちゃまは、似なくて良いところまで本当にそっくりで⋯⋯お相手は有翼人のお嬢さんだそうですよ。長女もお生まれになって、そろそろ生後一歳ぐらいのはずです」

「へえ、有翼人! それは興味深⋯⋯いや、おもしろそ⋯⋯じゃなくて⋯⋯えぇと、良縁に恵まれたね?」

本音の後にとってつけたようなフォローを付け加えたが、メイドからの眼差しは冷ややかである。まぁそうなる。

ヴォラックの専門は「植物」なので、民俗学やら人類学的な意味での興味は薄いが、たとえば有翼人だけが知る植物とか食文化は気になる。

あとは確か⋯⋯何かの書物で、『有翼人の中には、植生管理という特殊な能力を持つ者がいる』とも読んだことがある。もしも本当なら、助手として一人か二人くらいはいずれ雇ってみたい。そんな機会はそうそうないだろうが、希望に胸を膨らませるだけならタダである。

希望はいい。生きる活力になる。

希望を失うと、人は鬱になったり攻撃的になったり、あるいは酒に溺れたりと、日々を楽しめなくなる。

何をしてもつまらない、何を読んでもおもしろくない、何を聴いても心が震えない⋯⋯そんな状況に陥れば、負の感情に引きずられるまま体調さえ損なってしまう。

だからヴォラックは、息子達と娘が、それぞれの「希望」を持ちやすいようにとその成長を見守ってきた。決して放任だったつもりはない。

⋯⋯結果的にややそんな感じにはなったかもしれないが、しかし三人とも立派に育ってくれた。

長男は「好きな子を支えたい」と言って、貴族の婿養子になった。逆玉である。

次男のキルシュは大叔父の影響で民俗学やら神話やらに興味を持ち、好奇心を原動力として家を出た。優秀な魔導師でもあり、たぶん一番、人生をエンジョイしている。

長女で第三子のソラネは、ラッカ家には珍しい上昇志向の持ち主で、官僚候補生として日夜、 研鑽(けんさん) を重ねている。

たぶん学業面では一番優秀だし、常識も良識もある。ふらっと気まぐれに失踪したり、「帰るのが面倒だったから」みたいな理由で研究室に数ヶ月泊まり込んだりもしない。古参のメイドとも仲が良い。

庭に生えたトマト様の観察を切り上げて、ヴォラックは邸内に戻り、そのソラネがまとめておいてくれた『要確認の書類、手紙』の類を適当に流し見していった。

研究関係、親類知人からの連絡、資産管理⋯⋯

急ぎの案件はだいたい娘が対応しておいてくれたので、気楽なものである。申し訳ないとは思うのだが、研究旅行だけはどうしても辞められない。

特に食用植物の品種改良とその普及は、ヴォラックの人生をかけた研究テーマとなっている。

収穫量の増大、食味の進化、病害虫や気候への耐性⋯⋯そうした要素を「操る」ことまではさすがにできないが、かけ合わせによって「偶発的に発現させる」ことは可能である。この試行錯誤が成功すれば、それこそ世界が変わることさえ有り得るのだ。

それはさておき。

「⋯⋯あれ? ラルゴ君が来ていたのか。しまったな。元気そうだったかい?」

自分の留守中、ラルゴ・クロムウェル伯爵がこの屋敷に滞在していたらしい。彼が残していった置き手紙があった。

子供の頃から見知っているので「ラルゴ君」などと呼んでしまうが、相手は伯爵である。ヴォラックは学者とはいえ平民なので、あまり良いことではないのだろうが⋯⋯しかし、今更「ラルゴ様」などと呼んでも、ラルゴ本人から「⋯⋯えぇ?」と嫌な顔をされそうなので、これは仕方ない。

ラルゴがラズール学園に通っていた頃、ヴォラックは学園で講師をやっていたので、一応は教師と教え子の関係でもある。

「ラルゴ様はお元気そうでしたよ。双子の娘さんが今年、ラズール学園にご入学なさいまして⋯⋯奥様とお嬢様は、すでにご挨拶もお済みです」

「うわあ、ポルカ様とマズルカ様もそんなお年か⋯⋯懐かしいな。以前に島でお会いしてから、十年近くにもなるのか」

父親のラルゴは「君」づけだが、その娘のポルカ達は「様」づけになる。相手は貴族令嬢なので当然である。ラルゴは教え子だから仕方ない。

思い出にひたっていると、玄関から帰宅した娘の声が響いた。

「ただいまー⋯⋯ん?」

靴で気づかれた。ラッカ邸はシンザキ様式ではないが、玄関で靴を脱ぐ生活をしている。なにせ植物、農業関係者が多いため、そのまま踏み込むと床が土だらけになってメイドと娘がキレる。

ヴォラックの靴は山行に適したゴツめのものなので⋯⋯玄関ではまあまあ目立つ。

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯お父さん。帰ってる?」

「おお、我が愛しの娘! パパが帰ってきたよ!」

居間から廊下へ歩み出て、両手を広げ満面の笑みで娘を出迎えようとすると、露骨な舌打ちと冷たい視線が返ってきた。ソラネはどうも、両親より祖父母のほうに似たらしい。

研究者気質でありながらやや天然の両親と 次兄(キルシュ) 、あとはお調子者の長男(婿養子行き)という家族構成の中で、ほぼ唯一、まともな社会常識と良識を身に着けてしまったのが、彼女の泣き所かもしれない。でも助かってる。

「おかえりなさい。ご無事でなによりです」

声は平坦だが、一応、作り笑いは見せてくれている。そう、常識はあるので⋯⋯でもちょっとこわい。言葉遣いが他人行儀なのもよろしくない。古参のメイドも気を利かせてそそくさと家事に戻る。

父娘の再会を邪魔したくない⋯⋯というムーブに見せかけて、これは「お嬢様、お好きなように」の合図である。古参はこれだから。ほんとにもうこれだから。

⋯⋯そして尋問が始まった。

「えぇと⋯⋯今回の採集旅行は、確か三ヶ月のご予定でしたよね? 出かけたのが去年の年末で、今は夏休みの前ですから⋯⋯」

「い、いや! ちょっと北の方でいろいろあって! 帰るに帰れなくなってね!?」

言い訳ではあるが、事実でもある。

そろそろ皇都へ帰ろうとした矢先の三月頃、知人の農場で謎の害虫が発生し、その対応に追われる形で滞在期間を延ばした。

それは一見するとただのミミズに見えるのだが、植物の根に絡みついて栄養を吸い、枯らしてしまう性質を持っていた。本来、ミミズは土壌を改良してくれる益虫のはずであり、その思い込みゆえに発見が遅れた。

急拵えの農薬で駆除はできたが、おそらくはまだ世にあまり知られていない害虫で、駆除の 顛末(てんまつ) は記録にまとめてある。

ただ、官僚候補生の若い娘相手にそんな苦労話をしてもウケはとれないので⋯⋯追及を避けるべく、ここは別の話題を振る。

「そうそう! さっき聞いたんだが、キルシュが結婚して、子供まで生まれたんだって? お前もさぞ驚いただろう」

ソラネは嘆息しつつ、それでも一応は脱力気味に頬を緩めた。あわせて口調も親子らしい気安いものになる。

「確かに驚いたけれど⋯⋯どっちかっていうと、結婚したことそのものより、兄さんにはもったいないくらい綺麗で真面目で素敵なお嫁さんだったことに驚きました。エルシウルさんっていう有翼人です。私より少し年上ですが、背中の翼もあいまって、もう本当に天使みたいな佇まいで⋯⋯」

ヴォラックはかくんと首を傾げた。

「え? もう会ったのかい?」

「はい。魔族のオズワルド様が『ついでに』と、転移魔法で現地に連れていってくださったんです。兄とオズワルド様は友人関係だそうで⋯⋯私の姪にあたる『ルシーナ』とも会いました。もうかわいくてかわいくて! お母さんも孫に喜んじゃって大変でしたね」

⋯⋯あれ? もしかして旅に出ている間に、家族の決定的瞬間を逃したのでは⋯⋯?

そう思い至りつつ、ヴォラックはもう一つ、聞き流せない単語にツッコミをいれる。ついさっき、『結婚相手は王族か魔族か?』的なことをメイドに言ったが、あれはもちろん冗談であり、魔族⋯⋯それも『転移魔法』を気楽に使えるレベルの上位者との縁など想定していない。

「魔族のオズワルド様⋯⋯? ちょっと待て。キルシュに何があった? すまん、順番に説明を⋯⋯」

「え。めんどくさい」

「ソラネ!? たぶんこれスルーしていい話題じゃないぞ!?」

どうにか娘から聞き出したところでは、①キルシュの義兄のシャムラーグが、旧レッドワンドで陰謀に巻き込まれた。②そのあおりを受けて、キルシュとその妻も無実の罪で捕縛された。③これに怒った魔族のオズワルドがレッドワンドを転覆させ、新たにレッドトマト商国を成立させた⋯⋯という流れで――

知らないうちに、息子が一国の 趨勢(すうせい) を左右するキーマンになっていたらしい。

昔からいずれ何かやらかしそうな気配は感じていたが、こういうやらかし方は想定していなかった。

我が息子ながら「引きが強い」などと感心していると、ソラネが話題を変えてくる。

「お父さんは、しばらくはこちらでゆっくりできるんですか?」

「ああ。帰還報告も兼ねて、夏の短期集中講義はやるつもりだけど、それ以外は論文を書いたり研究を整理したり、デスクワーク中心になるかな」

ソラネが眉をひそめた。

「短期集中講義の、講師側の最終登録⋯⋯四日前が締切でしたけど?」

「そこは大丈夫。旅に同行していた弟子の一人が、一週間くらい先行して小型の高速艇で帰ったんだよ。彼に私の登録書類も託したから、もう提出済みのはずだ」

別行動になったのは、高速艇の乗船券が一人分しか確保できなかったためである。他の弟子達も彼に急ぎの手紙や書類を託した。

高速艇は水属性、もしくは風属性の魔導師が同乗しないと速度を出せないため、需要の割に絶対数が少ない。

魔導師側にとっても「儲かるけど重労働」という印象が強いようで、あまり就職希望者が多くない。魔導師ならばもっと楽な仕事がいくらでもある。

ソラネが納得したように頷き、一枚の書類⋯⋯ではなく、チケットを差し出した。

「なるほど。講義の登録にはお弟子さんが行ったんですね。でしたら、この情報はまだですか?」

「ん? なんだい、それ?」

受け取ってまじまじと眺めれば、何のことはない、ただの聴講券だった。大講堂を使うような不特定多数向けの人気講義の場合、こうした前売券を販売する形で受講料を得る。もちろん普通の講義ならこんなものを発行する手間はかけない。

「⋯⋯宮廷魔導師スイール・スイーズ特別講義、水属性魔法の可能性と未来⋯⋯ほう! あのスイール女史が学園で講義をやるのか? あんなに面倒がっていたのに、どういう心境の変化だろうね」

本人と親しいわけではないが、人づてに噂は聞いていた。

スイールは後進の面倒見は良いし、部下達からも慕われているが、こうした不特定多数向けの大仰な講義は滅多にやらない。「魔導師向け」ならいざ知らず、公開講義となるとヴォラックの記憶にある限りでは初めてかもしれない。

「それ、明日なんです。私も聞きに行くつもりで買ったんですけど、誘導係とか案内係が足りなくて、雑務に駆り出されちゃいまして⋯⋯まぁ、講義中は裏方として聞けるので、そこは問題ないんですが、聴講券が余っちゃったんですよね。もしよかったら、いかがです?」

「ふむ。しかし⋯⋯水魔法かぁ。私にはあまり縁がなさそうな⋯⋯」

「例の『トマト様』の話も少しやるらしいです。最近のスイール様は、農業方面に強い興味を示していらして⋯⋯うちのお母さんとも一緒になんかやってるみたいですね。『稲作』がどうとか」

「なんと」

ヴォラックが知らないうちに、ラッカ家とスイールの縁はもうできていたらしい。

稲作ということは、南方の国家で栽培されている『米』に目をつけたのだろう。

気候的にはホルト皇国でも栽培可能だろうが、国民の嗜好には合わない気がする。

パンや焼き菓子などに加工する上では小麦のほうが使い勝手が良いし、収穫量が多いわけでもない。

それでも宮廷魔導師が動くということは、何かしら成算があるのだろう。

「お母さんだけでなく、私も最近、スイール様にはちょくちょくお世話になっているんです。ラッカ家の家長として、ついでにちゃんと挨拶をしてきてください」

ヴォラックは襟を正し、聴講券を胸ポケットに仕舞った。

「わかった。これはありがたくいただくとしよう」

そんなわけで、翌日――

採集旅行から帰宅したばかりのヴォラック・ラッカは、スイール・スイーズの特別講義に出席した。

その上で彼は、この日の出来事を日記にこう記すこととなる。

『 ねこがかわいかった。すごく。 』